第6話 友人との再会

 町中の人混みをかき分けていく余裕はなかったので、南門の城壁を駆け上がり、廃屋の屋根に飛び移って、いくつもの家々を伝って北西の方角へ急ぐ。これほど急いだのは初めてかもしれない。教会に着く頃には、すっかり息が切れていた。

 両開きの古めかしい扉を開くと、まさに礼拝の最中で、ひざまずき祈りを捧げる修道士たちがいた。

 私は声を張り上げた。


「すみません!」

「なんですか、騒々しい」


 講壇の上からこちらを怪訝な目で見たのは、この教会を預かる神父だ。この人は私の顔を知っている。ニーナを勇者パーティに加える際に、少し話した。顔見知りに会うのは避けたかったけれど、今はやむを得ない。


「礼拝に参加したいというわけではなさそうですね。何かご用なら時を改めて……」

「えっ、イリス!?」


 神父の言葉を遮ったのは、私が聞きたかった声。

 ふわふわの赤毛に人懐っこそうな垂れ目。長旅でくたびれた修道服。私は思わず彼女の名を呼んだ。


「ニーナ……!」


 ニーナはすぐに立ち上がり駆け寄ってきて、私が抱きかかえた男の子を見るや、その額に手をかざした。


「癒しよ」


 温かな光がニーナの手のひらから広がり、みるみるうちに男の子の額の傷が塞がっていく。


「よかった……」


 安堵のため息をつく私に、ニーナは言う。


「この子、ほかにもわ。救護室、行こ」

「シスター・ニーナ。まだ礼拝の最中ですよ」


 神父がニーナをとがめたが、ニーナは意に介さず礼拝堂を出ようとする。


「ニーナ!」


 再び呼びかける神父に、ニーナは振り向きもせずに告げる。


「あーしが信じてる神様は、人助けよりお祈りを優先しろなんて心の狭いこと言わないんで」


     * * * * * 


 私はニーナについて救護室へ行き、男の子をベッドに横たえた。

 この教会の救護室では、お金がなかったり事情があったりで病院にかかれない人を治療しているそうだ。


「んで、この少年は何者?」

「わかりません。悪漢に絡まれていたのを助けました」

「やば! めっちゃイリスっぽくてウケんね」


 話しながら、ニーナは手早く消毒液や包帯を準備すると、男の子のベッドに横座りして手当てをはじめた。


「痛みが見えるのは、おでことほっぺと首と膝か。頭に蹴り入れられて、思いっきり転んだとか?」

「そうです」

「おでこのは、転んだときに切れたっぽいね。出血はあるけどそんな深い傷じゃない。包帯しとくわ。ほっぺは……ここを蹴られたのかな? 蹴られたときに首グキッて頭グラって気絶かも。膝はおでこと同じで、転んだときに擦りむいてんね」


 ニーナは、“痛みを見る”ことができる。痛んでいる部分に、「ゴチャついた光の糸みたいなのが見えるんよね」とのことだが、実際にどう見えているのかは彼女にしかわからない。さらに、痛みを見ることで、けがをしたときの状況が推測できるそうだ。男の子の状況も完璧に言い当てている。だから、ニーナが勇者パーティの一員として選ばれた。


「んーでも、この少年かーなーり体丈夫だわ。安静にしとけばすぐ治るっしょ」


 私はほっと胸をなで下ろした。しかし、心にはチクリと残る棘がある。


「私にも癒しの魔法が使えたら、もっと早く治してあげられたのに」

「んー……まあ積もる話もあるし? その辺座って。そのバカデカ荷物も下ろしてさ」


 ニーナが促してくれて気づいた。立ったままだったし、男の子の荷物も背負ったままだった。言われた通り荷物をそっと下ろし、古びた木の椅子に座った。


「前も話したけどさ、癒しの魔法って別に万能じゃないんよ。傷を早く塞げるってだけで」

「けれど、ちぎれた腕を元に戻したり……」

「あれは、切れてすぐで、しかも患者に体力があればなんとかなるときもある、ってだけで、誰でも治るわけじゃないんよ。トトだから治っただけで、フツーの人ならたぶん治んない。上手くいっても何ヶ月も寝込むんよ。魔法で治したあとも、ちゃんとした医者に診せなきゃいかんね」

「……そうでしたね」


 魔法がまったく使えない私にとっては、魔法は奇跡の力に見える。何もないところから炎や水を出したり、傷を治したり。我が国に暮らす人々は、その能力に差はあるが、みんな魔法を扱える。私を除いて――


「とか考えてるんじゃないの?」

「えっ」

「イリスの考えてることくらいお見通しなんよ」


 ニーナは私の額を指でツンとつついた。


「んで、少しは元気出たん?」

「元気……」


 その言葉はピンとこない。私は、元気ではない気がする。それでも城の外へ出ようと思ったのは、ニーナがあの本をくれたからだ。


「ニーナがくれた“断罪された悪役令嬢は氷の騎士に溺愛される”、とてもおもしろかったです」

「え!? もう読んだの!? 超マジ早くない? 密偵屋に会ったの、昨日なんだけど」

「みっていや?」

「あー、えっと、ロビンだっけ? まあとにかく、すげくない? イリスって一日で本読めるんだ」

「おもしろかったので、読み終わるまでやめられませんでした」

「わかるー! 先、気になるのにさ、神父さまの朗読が毎日細切れだったから一ヶ月もかかったし」

「朗読ですか?」

「そーそー。読み書きできない貧民街の子たちを集めて神父さまがやってんの。あーしも読み書きできないから一緒に聞いてて」

「え……」

「あっ」


 ニーナは額に手を当てて天井を仰いだ。


「しまったー、あーしの年上としての威厳がー!」

「読み書きができない……では、どうやって魔法を覚えたのですか?」

「キソ・キホンは神父さまの仕事見た後に教えてもらって、すげーやつはおじいちゃんに教えてもらった」


 おじいちゃんとは、フラドナグのことだ。孤児のニーナはフラドナグを本当の祖父のように慕っている。フラドナグもまんざらではなかったように見えた。

 ニーナの言うとおりならば、彼女は魔法を口伝で覚えたことになる。私は宮廷魔道士に教わりつつ教本を何冊も読んで、それでも、ひとつも習得できなかったのに。ニーナはすごい。


「だからさ、あーし、手紙なんて生まれて初めて書いたんよ。マジで字書くのってむずい。でもこうやってイリスが会いに来てくれたし、恥かいてよかった~」

「恥? 何がですか?」


 ニーナは私の問いに目を丸くした。それから、八重歯を見せて破顔した。


「そうだった。イリスってそういうやつだった。だからあーしも、イリスのこと超マジ大好きなんよ」


 ニーナはベッドから立つと、ぎゅっと私を抱きしめた。

 大好き、という言葉と、彼女の温かさが、胸にしみこんでいく。


「ニーナ……手紙を、ありがとう。あの本も私を元気づけるためにくださったのでしょう。外へ出て、新たな光を見つけろと」

「うん?」


 ニーナは体を離し、私の顔を覗き込んだ。


「城に籠もっていた私を、外に出すために……」

「いや、“だんでき”は、第二王子より氷の騎士の方がイケメンじゃんね」

「だんでき?」

「“断”罪された悪役令嬢は氷の騎士に“溺”愛される、で、だんでき」

「略称でしたか」

「そーそー。んで、あーしがあの本イリスに読んでほしいなーと思ったのは、あとから出会った男の方がいい男だったってとこだけで……」


 私の肩に両手を置いたまま、ニーナは目を逸らす。

 もしや、私はニーナの意図を勘違いしていたのだろうか。


「要は、そのー……トトよりいい男なんていっぱいいるって言うかあー……」


 ぼそぼそと小声で言うニーナに、なんと返せばいいのかわからない。

 思えばロビンも、凄腕の殿方のことを教えてくれた。二人とも私に、トト以外の男性に目を向けろと言いたいのだろうか……


「ああ~、やめよこの話! あーしには無理だあ~」


 ニーナは「ぬああ」と唸りながら頭を抱えている。

 が、急に眉間に皺を寄せ、唇を尖らせた。


「てかさ、王女の愛を拒否る勇者、不敬じゃね? 田舎のド平民のくせに、、高すぎん?」

「不敬……でしょうか?」

「でしょうよ! だってイリスってこの国で一番偉い人なのに」

「いいえ」

「いや、王女じゃん!?」

「一番は父です」

「あ」


 ニーナはまた、額に手を当てて天井を仰いだ。


「そうだった、イリスのパパって王様だった~」


 アハハ、とニーナは笑ったけれど、その表情がどこかぎこちなく見えた。


「なんで、泣いてるの?」


 そう言ったのは、私でも、ニーナでもない。子供の声だった。


「ここ……どこ?」


 男の子が、ようやく目を覚ました。

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