辺境伯家の追放事情・7

 東通りへと近付くに連れ少しずつガヤガヤとした人々の喧騒がキールの耳にも届き始める。東通りの最北部にある三階建てバロック建築の冒険者ギルドを横目に本格的に通りへ踏み入れば騒がしさは更に一段と増し、酒場の並ぶ区画に至っては飲めや歌えやのばか騒ぎ。

 夜にこの東通りを訪れる機会のなかったキールは冒険者達の有様を見て呆気にとられる。


 日銭稼いでパーッと使い、また次の日を食いつなぐために命を懸けるのが冒険者の常。なんて話は聞いたことあるけど、こんな…いや、感心している場合じゃなかった。流民街へ急がないと。


 感心も程々にして足早に喧騒の中を通り抜けようした時、その肩を何者かの手が掴み止めた。キールはビクリと刀の柄へ手を伸ばしながら振り返る。


「なんら坊主、景気ろわるそうな顔しへるじゃねえか。ほら、めしを食へめしを、ひょうはおじさんが払っといてやる!」


 そこにいたのは酷く酔っぱらっているらしい冒険者の男だった。年齢はぱっと見三十前後、目の焦点は定まっておらず顔も真っ赤で強い酒気が鼻を突く。


「悪いけど、急いでるんだ」


 内心ホッと息を吐きながらそう断って先へ進もうとするキールだが、流石冒険者と言うべきか男の力は強く中々肩を離してはくれない。腰にぶら下げたドッグタグは微かに光沢の残る銅製、昇給から数年の銅級冒険者といったところか。


「ウップ…いいかぁ、すきっ腹の冒険者なんざ角のねえゴブリンみてえなもんら。だからめしをだなぁ」


 質が悪いのは男に悪気がなさそうなところ、何なら本人は若い後進にお節介を焼いているくらいの気分だろう。ちなみにゴブリンに角はない。


 どうする…今はまだ注目も集まっていないけど、夜とはいえこんな往来で押し問答を続ければ目立つことこの上ない。気は引けるけど、


 キールは自然な動きで正面からフッと男へ接近し、手に持っていた刀の柄でみぞおちを軽く突く。


「おっ?うぉ、う、おぇぇぇ」


 軽くとはいえ、ただでさえ呂律が回らない程に酔っていたところに急所を突かれては溜まったものではない。男は気持ち悪そうにその場にしゃがみ、胃の中を満たしていた酒精を地面にぶちまけた。

 一瞬、周囲の冒険者達の視線が集まるものの酒場の並ぶこの区画では珍しい光景でもない。男を介抱するようにその背をさするキールを見ていつものことかと注目はすぐに霧散する。そのタイミングを見計らってキールはその場を後にした。


 酒場の区画を抜け東門へ近づけば喧騒は遠くなり、安宿の立ち並ぶ通りには静けさが強まる。キールは周りに人影が無いことを確認して魔法灯の明かりに先程の冒険者の腰から拝借したドッグタグをかざした。そこに刻まれている氏名はホトップ、裏面の記録を見る限り王都リマニで長らく活動していたらしく、ルステニアに来たのは少なくとも一年前の昇格の後であることが分かる。


 この人には悪いけど、これがあればだいぶ楽に外に出られる。


 馬車が二台はすれ違えるであろう東門の下には門番の兵士が二人、落とし格子はすでに降ろされているが二重の門扉まではまだ締め切られていないようだ。門の前まで歩を進めたキールに、門番の一人が近づいてくる。


「君、これから街を出るのか?」


 ここまでくれば最悪強行突破も選択肢の一つではあるが、隣の詰め所には一個小隊が待機しているはず。出来るならことを荒立てたくはない。


「はい。ちょっと急ぎの依頼で」


「依頼ってことは冒険者か。名前と等級は?」


「銅級冒険者のホトップです」


 そう答え先程拝借してきたドッグタグを差し出すキール。その対応は冒険者として何ら違和感のあるものではない。


「ホトップ?ホトップ…あー、ちょっとここで待ってて貰えるか?」


 しかし兵士は何か引っかかったようにもう一人の門番に目配せをして、詰め所へと引っ込んだ。


 何かしくじった?今なら兵士は一人、無理やり突破を…いや、少しでも手こずれば詰め所の小隊がすぐに駆け付けて来る。けど……


 焦燥感に刀を握る手に力が入り、その頬を冷や汗が一筋伝って落ちる。それから一分も経たないうちに先程の兵士が再び詰め所から姿を見せた。そして、


「確認は出来ました、依頼のご健闘お祈りします」


 先程とは打って変わって、やけに丁寧な対応と共にガラガラと格子が上げられる。


「ありがとうございます」


 キールは想定していた状況とその対応の落差に湧き上がる困惑を抑え込み、何とか平然な態度を崩さずに門を潜り抜けた。そして再び格子が降ろされる音を背に街道を外れ、城壁を北から回り込むように流民街へと歩を向ける。


 そして四半刻程、辿り着いた流民街の様相にキールは言葉を失った。


「何だよ、これ……」


 道端に打ち捨てられた死体の山に野鳥が集ってその死肉を啄く。木の杭に吊るされた四肢を縛られ眼球をくり抜かれた骸。道の脇に並んだ廃小屋のような家々からは生活の気配が感じられず、まるで街全体が何かを恐れ沈黙しているかのよう。

 元々流民街は貧困による飢餓が蔓延り治安も悪く、特に北側の地域は飢餓や暴力による死者も少なくはない場所ではあった。しかしこれはそういったモノとは違う、殺戮を目的として意図的に生み出された惨状だ。


「そうだ、孤児院の皆は……」


 鼻を突く鉄錆と腐敗臭の混ざったような匂いに込み上げる吐き気を抑え付け、キールは知己の人々がいる流民街の南区へと脇目も振らずに駆け出した。

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