正解は不明

「人の良さが湯車の強みだけどさあ、あんまりお人よし発揮してたら死ぬって前に言ったじゃん?」

「は?」



 呆れたような目をした不動が、事務所に来て早々部屋の中を漂っていたらしい何かを握り潰しながらそう言った。

 訳が分からずどういうことだと思いつつ、湯車がデスクに置いていた湯呑みに手を伸ばすと、いつの間にか目の前にまで来ていた不動にその手をぺしりと叩かれた。



「それ、ちゃんとよく見てごらんよ」

「だから何なんだよ。よく見ろも何もただのお茶……なんだよこれ!?」



 湯呑みの中には見慣れた緑色の液体ではなく、とんでもない異臭を放つどす黒い赤色の液体が入っており、真ん中で茶柱の代わりとばかりにぷかぷか浮かぶ目玉がじっと湯車を見ていた。

「信仰を失った元土地神だねぇ」彼女はそう言って目玉をひょいっと摘み上げ、パクリと食べた。

 ついでに異臭を放つ液体も全て飲み干し、おいしいと呟きながら蕩けるような笑みを浮かべたため、背筋に冷たいものが走った。



「美味しいってお前……いやそもそもそんなもん食って大丈夫かよ!?」

「問題無いよー。元々の格からして私の方が上だもの」

「お前本当に何なんだよ!!」

「今は人間だよー」

「人間がそんなもん食って平然としてられるわけがねえだろうが!!」

「そう言われてもねえ。体が人間だってのは確かだし」



 先程までのゾッとするような笑みを引っ込め、いつも通りの無表情に戻った不動はお茶をくれと空になった湯呑みを差し出してくる。

 なんとも言えない気持ちになりつつ、湯車は椅子から立ち上がって湯呑みを受け取り流し台に置いているゴミ箱代わりの袋に入れて、とっておきのお札を貼り付け厳重に封をした。



 それから新しい湯呑みを取り出し、冷蔵庫から出したペットボトルの緑茶を淹れて既に応接用のソファに座っている不動の前に置いてやる。

 お茶菓子も強請られたので、この前買ったちょっとお高いどら焼きを出した。



「で、アレはマジでなんなんだよ!? あんなのに祟られるようなことした覚えないんだが!?」

「祟られてるんじゃないよ、気に入られたんだよ」

「気に入られた!?」

「そ、婿に迎えようとしたみたい」

「婿ってことは相手は一応女なのか?」

「いやオスだけど」

「なんっっっでだよ!?」

「人じゃないのを相手に雌雄がどうたらこうたら言っても意味無いよ?」

「それはそうなんだが……!」



 ど正論過ぎてなにも言い返すことができず、どうしてこんなとんでもない不運に見舞われたのだと頭を抱えた。

「お人よし過ぎたせいだよ?」と言われたが全く思い当たる節が無い。



 壊れた祠を直してなんていないし、寂れた神社にお供物も今はしていないし、山や森などで変わった色をした動物や虫を助けてもいない。

 ということを伝えたが、不動はやれやれと肩をすくめて溜息を吐いた。これだからお人よしの無自覚お節介焼きはと。



「君ねえ、この前大雨降った日にびしょ濡れ男に傘あげたでしょ」

「え? ……そういえば、折りたたみの傘渡したな。午前中は晴れてたから、傘持って行くの忘れたんだと思ってな」



 十日前のことだ。午前中はとてもいい天気だったが、午後から大雨が降った。

 その日は仕事で電車で少し遠出をし、その帰りに随分と草臥れた様子の男を見つけた。

 年は二十歳過ぎくらいで、びしょ濡れになりながらとぼとぼと道を歩く姿があまりにも哀れだったので、鞄に入れっぱなしだった折りたたみの傘を渡したのだ。



 そこまで思い出して、さあっと血の気が引く。

 傘を渡した男の顔はどろりと半分溶けていた。顔だけではなく手足も半分溶けていて、どうやって立っているのか分からない状態だった。



 それなのに自分は普通に話しかけて、折りたたみの傘を渡した。

 普段なら絶対に見て見ぬフリをするだろうに、何故かその時は普通に話しかけてしまったのだ。

 そして男の異様な姿を今の今まで忘れていた。ギラギラとした恐ろしい光を宿すあの目にジッと見られて、にちゃりと歪な笑みを向けられたのに。



 ふと、先程不動が食べた目玉を思い出す。

 ギラギラとした恐ろしい光を宿すあの目と同じだった。

 あれは出会ったあの日からずっと、ずっと、ずぅぅぅっと、自分を見ていた。



「不動、頼みがある」

「なあに?」

「俺を婿にしようとしてるヤツを退治してもらえるか?」

「いいよー。君を守るのも契約の内だしねー」

「よろしく頼む」

「報酬はこの前近くにできたケーキ屋のケーキ全種類でよろしくー」

「ホールも食うのか?」

「食べるけど?」



 当たり前じゃないかと言わんばかりにこちらを見てくる不動に、「なんかしょっぱいのも買っとくわ」と言えばよろしくと軽い返事が返ってきた。

 そして事務所に入ってきた時と同じように、どら焼きを食べつつナニカを握り潰していて、何が見えているのかと聞いてら「眷属」と返ってきた。食べても美味しくないから潰していると。

 なるほどと頷くことしかできなかった。なるほどではないし、なにも納得できてなかったけれど。



 それから数日後、とある廃神社が突然跡形もなく消えてしまったというニュースを観て、やべえのにさらにやべえのをぶつけるのは本当に正解なのだろうかと、とある映画を思い出して身震いした。

 あの映画のような結末にだけならないことを心から祈る。



「なんか小さくなったからあげるね」

「どういうことだ一から全部説明しろ!!」



 廃神社が消えてからさらに数日後、大型犬サイズのムカデとバスケットボールサイズの数十匹のムカデの群れを連れてきた不動に怒鳴った。

 大型犬サイズは嬉しそうに事務所に入ってすぐ湯車の足元に来てぐるぐる回るし、バスケットボールサイズのムカデの群れは「よろしく!」と言わんばかりに頭をフリフリしている。

 ちっとも可愛くなかったし、パニックホラーのごときこの光景に気絶しなかった自分を誰かに褒めてもらいたかった。



 そうしてムカデたちは事務所に(湯車の許可無く)住み着いたのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る