『あなたは今日から我が家の子どもです』

尾藤みそぎ

奴隷の少女

 双子の月が雲で覆い隠された暗い夜。

 雨の中、首輪をはめられた子供たちが歩いている。


 向かう先にあるのは古びた洋館。

 雨天だというのに、そこには大勢の人間が詰め掛けていた。


 薄暗い室内。2人の少女が身を寄せ合っている。

 年の頃は10歳ほどであろうか。


「やめて! 連れて行かないで!」


 茶髪の少女が金切り声を上げた。

 彼女の前で、黒髪の少女が大男に腕を掴まれていた。

 力任せに引っ張られ、2人はあっという間に引き離されてしまう。


「メグお姉ちゃん……。助けて……」


 大男に抱えられた黒髪の少女が、か細い声で助けを求める。


「カスミ!」


 メグと呼ばれた少女は鳶色とびいろの瞳に怒りを滲ませ、大男に飛び掛かろうとした。


 しかし、メグの足はすぐに止まる。

 彼女の細い足首には、足枷がはめられていたのだ。


 メグのたった1人の妹、カスミは抵抗も虚しく連れ去られてしまった。


 メグは悔しさに歯噛みしながら、今までの生活を思い返した。

 口減らしで親に捨てられ、家もなく満足な食事もできない。


 そんな生活でも妹がいたからなんとか耐えていられた。

 奴隷商に捕まっても、カスミと2人だから踏ん張ることができていた。


 しかし、彼女は今唯一の心の拠り所を失ってしまった。

 妹はこれから誰とも分からない金持ちに買われてしまうのだ。


 呆然と立ち尽くしながら、メグはただ涙を流すことしかできなかった。



 それから一体どれだけの時間が過ぎただろうか。

 檻の中に押し込められたメグは、生気を失った眼で虚空を見つめていた。


 不意に、彼女がいる檻の前に人が現れた。

 真っ黒な礼服に身を包んだ男だ。


「その子の顔を見せてくれないか」


 頑丈な扉が開き、鎖に繋がれたメグは乱暴に引きずり出された。

 まるで魂のない人形のようにうなだれるメグ。


 男は品定めするようにメグの顔や身体をじっと見た。

 軽く頷くと、男は鎖の端を持つ商人に金貨を握らせた。


 

 メグはこの時、自分にどんな未来が待っているかなど気にも留めていなかった。

 どうせひどい目に遭うのは分かり切っている。考えるだけ無駄なのだ。

 馬車に乗せられ揺れが収まるまでの間、メグは一切口を開かなかった。


 馬車から降ろされたメグが顔を上げると、そこには巨大な屋敷があった。


「おかえりなさいませ。旦那様」


 使用人たちに迎えられ、メグを買った男は1人で屋敷に入っていく。

 狼狽うろたえるメグの前にメイドが歩み出た。

 メイドは笑って手を差し伸べる。


「あなたは今日から我が家の子どもです」


 メグは銀髪碧眼のメイドに手を引かれ、屋敷へ足を踏み入れた。


「私はサーシャ。怖がらなくていいですよ」


 サーシャに連れられて向かったのは浴室だった。


「まずは身体を綺麗にします」


 泥と垢を洗い落し、髪を乾かして上等な部屋着を着せられる。

 以前と全く違う扱いに、メグは困惑した。


「ここがあなたの部屋です」


 案内された部屋に入り、メグは目を丸くする。

 そこは大きなベッドや豪奢な鏡台など、様々な家具が揃った清潔な部屋だった。


 メグは室内をキョロキョロと見回す。

 ひとしきり家具を触った後、窓に興味を惹かれて近寄り外を覗いた。


 窓の正面には庭園が広がっている。

 敷地の外周は柵で囲まれ、まるで檻のようだ。

 出入り口はさっきメグが入って来た両開きの堅牢そうな正門のみ。


 そして、開け放たれている門の前に誰かの後姿が見えた。

 月明かりの中、荷物を持って佇む淡い菫色すみれいろの髪をした女性。


 その女性は不意にこちらを向いた。

 紫色の眼を細め、悲し気に屋敷を見つめている。


「アンタが新入り?」


 メグは声がした方へと振り返る。

 サーシャの横にメイド服姿の小さな女の子が立っていた。


 メグとそう変わらない背格好。赤髪に琥珀色こはくいろの瞳が印象的だ。

 髪は短く、釣り目で活発そうな印象がある。


「アタシ、ランカって言うの。アンタの先輩よ」


 ランカは胸を張ってメグの前に進み出た。


「アンタ、名前は?」


 メグは聞かれるままに名を口にした。

 すると、ランカはメグの手を無理やり取って握手する。


「覚えたわ。メグ、よろしくね」


 メグは控えめに頷いて、ランカの手を握り返した。

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