この恋は水星より重い

路地表

あの日、初恋のきらめき

 初恋は、水星よりも重いんだって思った。

 君に出会ってしまった、その日から。


『直径4880km、密度5.43g/cm3、年齢45億3000万年、昼夜の温度差600度、公転半径0.39 AU、自転周期55日、公転周期88日、1日の長さ176日、名前の由来はローマの商売神にちなんでMERCURY』


 今でも空で言えるほど、僕は水星に魅了されていた。

 けれど、僕の興味の矛先は、水星から君へと、簡単にわってしまった。


 君と、出会ってしまったから。


───


 いつも通り、仕事という仕事も無く、図書委員としてお決まりの位置に座り、ただ大人しく本を読んでいた。


『19世紀、水星の軌道にみられた摂動を説明する理論として、かつて仮想上の惑星の存在が信じられていた。その惑星の名前は──』


 君が入ってきたのは、その時だった。


 ガラッ──


 静かな図書室には到底似つかわしくない大きな開閉音を立てて、一人の女子生徒が入室した。

 読んで欲しそうにたたずむ本棚たちを君は無視して、窓辺の机に位置した。


 そして僕は、初恋をしてしまった。

 

 猫の様なその目は、人を寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。

 長く黒いその髪は、太陽のぬくい光を反射し、美しい艶を放っていた。


 何をするでも無く、彼女は片肘を突いて、ただ外を眺めていた。

 部内試合をするサッカー部でも無く、寂しく町を眺める鉄塔でも無く、まだ雪の残る山々でも無く、そのより向こう側を見つめている様だった。


 初恋は、運命の事故なんだと思った。

 まるで天体と天体の衝突だ。衝撃波が地上を包み、それに伴い酷く暑い季節が到来する。

 心が、ぐらぐらと燃えている。

 僕の心に空いたクレーターは、既に君無しでは埋まらなくなってしまった。


 図書委員の仕事も忘れて、君を見つめる。

 奇人が素数を数えて落ち着く様に、僕は水星の情報を頭の中で繰り返し唱える。

 未だ心臓の高鳴りは止まないが、このまま待ってみたところで、時は何もしてくれない。

 席を立ち、満を辞して君に声をかける。


「……はい? なんでしょう」

 驚いた様な表情さえ美しく、既に愛おしい。

「ぼ、僕は、2年の木村旭きむらあさひっていいます。図書委員で、いつも……放課後はいつも、ここにいます。……あと、帰宅部です」

「はい……?」

「突然ごめんなさい」

 二人の間を、そよ風が抜ける。開いた窓を、ふと彼女は一瞥いちべつする。

 その美しい横顔が、オレンジ色に染まった。


 今しか無い。


「あなたのことが、好きです」

「……え?」

「一目惚れです」

「いや……え?笑」

「僕は、本気です。……意味分からないと思いますが……水星よりも、あなたが好きです」

「ふふふ、なにそれ、ウケるんだけど笑」

「突然すみません……」

「……でも、君面白いね、久々に笑えた」


 彼女の向かいに座る。

 緊張する僕と相対して、彼女はニコニコと、何故だが嬉しそうに微笑んでいた。事情は何であれ、会話が出来るという事実が、私を喜ばせた。


「私、白鳥めるるって言うの。メルって呼んで」

「いい名前ですね」

「ありがと! 自分でも気に入ってる」

「何年生ですか?」

「いち……あ、もう5月だから2年か。あんまり学校来ないから忘れてた」

「僕も、2年です」

「そうなんだ! 同学年で友達出来たの、入学してから初めて!」

 その異質さよりも、初めてという響きに、嬉しさが込み上げる。

「図書室……よく来るんですか?」

「さっきも言ったけど、学校あんまり来ないから久々。本は少し好きだけど……。今日は、一人になりたくて来てみた」

「……僕も、特段本が好きな訳じゃないんです。一人が好きで、口実が欲しくて、図書委員にまでなりました」

「別に図書委員にならなくても、早く帰ればいいだけじゃん笑 めちゃ変わってるね笑」

「そうなんですけど、親が心配するのが嫌で……笑」

「そーいうことね! 優しいんだね、そういうの良いと思う!」

「いやいや、そんなこと無いです……あと、宇宙が好きで、その本をふけって読みたいっていうのもあります」

「へー! 宇宙好きなんだ。……まあ、さっきの告白で、何となくそんな気はしたけど笑」

 改めて先程の出来事を正面から告げられ、途端に顔が熱くなる。

「……嬉しかったよ、本当に」

 メルは、真っすぐにこちらを見ていた。

 日にさらされたその瞳は焦げ茶色をしており、表面の凹凸までもがよく見えた。

「……惑星みたいだ」

「え?」

「メルの瞳、惑星の表面みたいで……すごく綺麗」

「ウケるんだけど笑 どんだけ星が好きなの笑」

「ごめん笑」

「……でも、嬉しいかも。そんなこと言われたの初めて」


 僕はただの図書委員で、

 君は正体不明の異邦人だ。


「返事はさ、ちょっと待っててね。……でも、大丈夫。前向きに考えてていいよ!」


 僕は、今日、異邦人に恋をした。

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