第34話 ふたりのために

「君はこれからどうしたい?」


 地下室から出ようとしていたとき、いきなり博士が聞いてきた。

 そんなこと、すでに答えは出ている。


「お風呂に入りたいです」

「あ、ごめんそういう意味じゃなくて。君は君としてどうしていきたいかってこと」

「あぁ……あはは、そういうことですか」


 わたしがわたしとして。つまり、クローン人間であるわたしがこれからどうするかと聞かれている。

 聞かれてはじめてわかった。わたしは四感実験が終わったあとのことを考えていなかった。

 自分が何をしたいかと聞かれても、今はお風呂に入りたいという答えしか出ない。


「その顔、今はお風呂以外に何も浮かばないって感じかい?」

「いやぁ……はい。まったくそのとおりです」

「ははっ、そうか」

「……お風呂に入ってきても?」

「あと少しだけ、聞いてもいいかい?」

「まあ、少しなら」

「もし僕がこのまま実験を続けてほしいと言ったら……君はどうする?」


 止められた時点でこうなることはなんとなくわかっていた。博士はとにかく奥さんと娘さんに会いたいのだ。


 正直、わたしにとって実験を続ける意味はないと思う。自分はふたりのオリジナルから作られたとわかった。もうこれ以上は自分について知ることはない。


 ただ、ふたりはどうだろう。わたしの意識を奪ってまで詩を表現しようとする娘さんに、少しずつではあるけど自分の記憶をわたしに見せている奥さん。

 考えなくてもわかる。きっとふたりは自分を知ってほしいのだ。そして家族である博士に伝えてほしいのだ。

 わたしの心は決まった。ふたりのために。


「わたしは……ふたりのためなら続けられると思います」

「そうか、ほんとにありがとう」

「あくまでふたりのためです。そこはまちがいのないようお願いします」

「ああ、わかった」

「じゃあもうお風呂入ってもいいですか?」

「ちょっと待った!」

「もう、なんなんですか!」

「最後にひとつだけ確認させてほしい」

「確認?」

「ああ。僕は最初に人格はひとつしかないと言ったけど、実験の結果は僕の予想を超えるものだった。今後もしかしたら妻と娘の人格が表に出てくる可能性もある。そうなったとき、君の人格がどうなるかは僕にはわからない。それでもいいのかい?」


 それと似たようなことをわたしも考えたことがある。オリジナルの記憶が元に戻ったとき、わたしはどうなってしまうのか。

 でも、今はなるようになるとしか思わない。

 それに、たとえどちらかの人格が出てきたとしても、わたしの人格が完全に消えることはないと思う。なぜかはわからないけど、そんな気がする。ふたりがわたしを見守ってくれているような、そんな気がするのだ。


「大丈夫です。なるようになりますよ」

「ふっ、君はやっぱり強いな……」

「もう止めないでくださいね?」

「ああ」


 わたしの中には、博士の奥さんと娘さんがいる。これからは三位一体となって生きていくのだ。

 不思議と背中を押されているような感覚になりながら、わたしはお風呂場に直行した。





 ——数日後。


「そういえば、なんでひとつの実験に時間をかけなかったんですか?」

「あぁ、単純に危ないからだよ。刷り込みのようなことが起こらないともかぎらないし」

「えっ……それってつまり、機能を消失している状態が普通だと脳が思い込む可能性があったってことですか?」

「ああ」

「えぇ……いまさらですけどそんな状態で実験してたんですね」

「そうだな」

「こわっ……」


 今のは実験に対してもあるけど、やっぱり博士はマッドサイエンティストだったと思わされたのもある。


「まあ、もう気にしなくて大丈夫だから」

「その根拠は?」

「僕は天才だからだよ」

「ですよねぇ……」

「ティーユ。エトリーのことは頼んだよ」

「任せろ。俺は高性能ロボットだからな」

「よし! じゃあ、はじめるよ」

「はぁ……お願いします」


 博士が放った特殊な電磁波を浴び、わたしは視覚を消失した。

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四感のエトリー 平葉与雨 @hiraba_you

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