第2話 コーヒーを飲みながら

 上流豆ウエルズ亭と悠真の付き合いは長い。美術の専門学校時代からだった。晴夏は同じ学校に通う女友達だった。晴夏と一緒に上流豆亭に来たこともある。二、三回程度だが、いずれも今のような寒い季節だった。だから寒がりの晴夏はマフラーよりも大きいストールをくるりとコートの上に撒いていた。どんなコートだったか。悠真は覚えていない。ボルドー色のそのストール、その模様と色が鮮やかに思い出されるだけだ。


 晴夏とやって来た時から、十年以上の時が流れた。上流豆亭も少しずづ変わった。まず、店長が変わった。悠真より少し年上くらいの現在の店長の男性は二代目なのだ。創業者の子息である。初代店長の創業者は今は新たに出店した姉妹店の方に力を入れていると二代目から教えてもらった。創業者は年齢を重ねても理想を失わない人なのだろう。


 時は過ぎていく。二代目店長は結婚して、年齢の離れた彼の妹が成長して店に顔を出すようになった。その頃になって、悠真は店長に友美という妹がいると知ったのだった。店長の名前は知らない。妹の方は名前でよく呼ばれるが、店長の方は「あなた」か「お兄ちゃん」と呼ばれることばかりだからだ。ちなみに店長の奥方の名前はみちるだ。店長からそう呼ばれているのを、悠真は聴いていた。

 

 店が変化していく間、悠真も変化した。専門学校を卒業し、仕事を始めた。元々特別に親しいというわけでは無かったが、晴夏とは卒業してからもう会っていない。

 そういえば、と悠真は思った。今日の由香里のように、あのストールを上流豆亭に忘れたことがあった。店の外に出たとたんに晴夏が、寒い!と小さく叫び、あわててストールをとりに戻ったのだ。その時だった。ストールの模様について教えられたのは。

「この模様気に入ってるんだ。アラン模様って言う編み方で、生命の木って言う模様なんだけど」

 今から十年以上前のあの日、晴夏は確かにそう言ってストールをぐるりと上半身に巻き付けたのだった。


 そういえば、と更に悠真は思い出した。バレンタインデーに晴夏にチョコレートのお菓子を奢ってもらったことがあった。上流豆亭で。

 

 上流豆亭はコーヒー専門店だが、コーヒーに合う手作り菓子も商品にある。ロングセラーのクルミ入りブラウニーもその一つだ。晴夏とやってきた三回の内の最後の一回がバレンタインデーに近かったため、彼女が奢ってくれたのだった。

 

 今になってはっきりと思い出した。晴夏と上流豆亭に来たのは三回だった。一回目には何事もなく、二回目に生命の木の模様のストールを彼女は忘れ、三回目に悠真にクルミ入りブラウニーを奢ったのだ。

 その時だった。晴夏は言ったのだ。女性からのチョコレート菓子に悠真があまりにも感激している様子に。

「貴方はどこまでも純粋なのよ。ちょっと心配になるくらいだなあ」

 晴夏はそう言って微笑んでいた。

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