満たされた埋葬

浅里絋太

第1話

 戸川とがわ優衣ゆいは黄色いリュックを背負い、アパートのロビーから外に出た。


 リュックから折りたたみの日傘を取り出したのだが、花柄のスカーフが落ちてしまった。


 そのとき黒い影が飛来しスカーフをさらっていった。黒い影――カラスはスカーフをくわえたまま、電線にとまった。


「もう、なんで、出がけになって、こんなことに……」


 派手なスカーフだったから、カラスの気をひいてしまったのだろうか。


「ケチがついたな、外出は止めとけよ」


 と、もし兄が生きていれば言っていただろう。


 何かをはじめるときに、悪いことが起こったら、慎重になるべきである。


 確かにそれは兄の考え方だが、わたしは違う。――そう思って、優依はスカーフを無視して、歩き出した。


 背中のリュックには、別れた彼氏からもらった、一抱えの熊のぬいぐるみが入っている。それを処分するために、せっかくこの日曜日の段取りをしたのだ。



 秋晴れのいわし雲の下、駅に向かって歩いてゆく。電車で久魯川駅に向かう。駅を出ると、また日傘をさして歩き出す。駅の近くにその店があるはずだ。やがて、ある古びた雑居ビルを見つけた。


 一階には不動産屋があった。その脇からビルに入り、かび臭い階段を上がると、目の前に茶色の鉄製のドアが現れた。


 看板などはないが、そこが『埋葬屋』のはずだ。


 埋葬屋のことは、アルバイト先のカフェの先輩が教えてくれた。


 埋葬屋はどんなものでも望む方法で埋葬してくれるのだという。その話を聞いて優依は飛びついた。


 熊のぬいぐるみの処分に困っていた優依は、まさにそんなサービスを求めていた気がしたからだ。


 それでさっそく、先輩に聞いた電話番号へ連絡した。



 優依はおそるおそる、ドアの横のインターフォンを押した。――するとしばらくして足音が聞こえ、ドアが開いた。


 現れた青年は、胸に小さなトンボの柄の入った白い開襟シャツを着ていた。鼻筋がすらりとしており、端正な顔立ちが、どこか神経質そうにも見える。


 青年はドアを押さえながら、「はい、どなたですか?」


 その青年に対して、優依は懐かしい感じを受けた。どことなく兄に似ていたから。


「予約をした、戸川です」

「ああ、ようこそ。白石だ」と、青年はドアを開けた。


 内部は1Kの手狭な間取りだ。中央の鼠色のデスクにノートPCが置かれていた。部屋の隅にはダンボールが積まれている。


 白石は立ったままの優依に一枚の書類を手渡してきた。


 その様式の一番上には、『埋葬依頼書』と書かれていた。


「え、これは……」と優依が尋ねると、

「ああ。埋葬を依頼するなら、これを書いてもらわなきゃいけない」

「わ、わかりました」


 優依はボールペンを取ると、少し考えてから、埋葬依頼書をデスクの端に置いて記入しはじめた。



  埋葬場所:どこかの山とか

  埋葬物:チャマル(熊のぬいぐるみ)


 その埋葬依頼書を渡すと白石は不満そうに、


「こんな曖昧な内容じゃ、埋葬物に向き合うことはできないな」

「そ、そうですか……」

「そうだ。どこかの山とか、ってさ。――そうじゃなくて。もっと具体的な地名とか、せめて場所の雰囲気とか。そういうことをしっかり書いてもらわないと」


 優依は困ったように首を傾げた。


「そう、ですよね。――でも、なかなか思いつかなくて」

「ああ、わかったよ。仕方がない。――きょうは三件の埋葬があるから、よかったら連れていくよ。それらをよく見て、埋葬場所を決めるといい。おれは依頼された仕事は必ずやる。だから、依頼者にも、真剣に挑んでほしいんだ」


 そのきっぱりとした口調もどこか、兄に似ていた。優依が白石のことを信じたのは、そのせいかもしれない。



 白石が運転するのは、白いワゴン車だった。


 優依は助手席に座っていた。膝にはチャマルの入ったリュックを載せて。ダッシュボードには書きかけの埋葬依頼書が置かれていた。


 車は海岸のほうへ向かっていった。やがて海浜公園の駐車場に入ると、白石は後部座席から白い布に包まれた、平板状のものを取り出した。肩にショルダーバッグを掛けると、


「よし、いこう」


 先をゆく白石は包みを抱えて、砂浜を進む。


 潮のにおいが波音と共に漂ってくる。海風に髪があおられる。細かな砂が舞う。やがて、波打ち際までやってきた。


 白石はショルダーバッグを開けて、埋葬依頼書を取り出すと、「見ておくか?」と差し出してきた。ずいぶんな達筆で、


  埋葬場所:砂浜

  埋葬物:絵画


 と書かれていた。


 依頼者はおそらく、病気か何かの事情で自身ではこられなかったのだろう。


 白石はシャツの袖をまくると、ショルダーバッグへと手を入れた。ビニール袋に入った黒いスコップを取り出すと、砂浜に穴を掘っていった。


 白い布に包まれた絵画は優依が預かっていた。


 小気味よいザクザクという音をたてて、砂がえぐられてゆく。


 やがて穴は、絵画が十分におさまりそうなほどに広がった。白石は手を伸ばして、「絵を……」とつぶやいた。



 埋葬のときがきた。


 白石が白い布を剥がすと、焦茶色の額縁におさまる一幅の油絵が現れた。そこには、都市の街角で笑う、女性が描かれていた。


 桃色の帽子をかぶった女性の両脇には商店が並ぶ。人々が歩き、子どもの手には赤い風船の紐が握られている。雑踏や笑い声が聴こえてきそうな絵だった。


 白石は絵画を両手に持ち、空にかざして目をつむった。


「新婚旅行の思い出と、依頼者の亡き奥様のために、この絵画をいま、砂浜に埋葬します」


 そう宣言すると、絵画へとうやうやしく額を当て、再び言った。


「想いよ、とわに……」


 感傷的な声だった。それに、仔猫でもあつかうような優しい仕草だった。細く締まった腕には、青い血管がほんのりと浮かぶ。


 優依は思わず胸を締めつけられる感じを覚えた。兄の面影が脳裏に浮かんだからだ。



 兄は右手を伸ばして、優依の頭をふわりと撫でた。


「おれの見てないとこで、無茶するんじゃないぞ」


 いつものように、そんなことを言って。


 けれど優依は一度だけ、その手を振り払ったことがある。


 いつも口うるさい兄が、うっとうしく感じたのだ。高校生のとき、友人たちと夜に、カラオケへ行くことになった日のことだ。


 夕方五時過ぎだった。おしゃれをして、出掛けようとしているときに兄が部屋にやってきた。


 そこで兄は諭すように言った。


「遅くにそういうところへ行くのは、止めとけよ。男子もいるんだろ? 昼間にしとけよ……。な?」


 そう言って、包み込むような笑顔で、手を伸ばしてくる。そんな笑顔がうっとうしく思えてしまった。だから、はじめて優依は左手を振って、兄の手を弾いた。


「わたしは大丈夫だよ。そんなにさ、干渉しないでよ」

 兄は驚いたような、悲しむような表情をした。

「……そうだよな。おまえも、ガキじゃねえもんな。すまん。でも、心配してるってことだけは、わかっといてくれ」

 事故が起きたのは、その日のことだ。

 すれ違いが、永遠のものになったのはあの日だった。

 あれほど慕っていた兄の顔を、困惑させたまま、塗り替えることができなくなった。

 心の中の兄の顔は、いつまでも引きつっている。


 神様は、兄へ謝る機会すら与えてくれなかった。神様は冷酷なのだろうか? と、優依は考える。


 ――いや、違う。冷酷なのは、わたしだ。わたしなんだ。


 優依が気がついたときには、とうに絵画は砂浜に埋められていた。優依は白石を追って、また駐車場へと歩いていった。


 車に戻ってから、白石は事務的な口調で聞いてきた。


「埋葬場所は、決まったか?」


 優依は首を振ると、「いえ、まだです」そう答えて白石の横顔を見る。


 白石が絵画を埋葬するときに見せた、繊細で優しい様子は消え去っていた。そこで優依は疑問に思った。


 白石はなぜこんな仕事をやっているのだろうか。いつからやっているのだろうか。


 そんなことを考えていると、質問せずにいられなくなった。


「――あの。なんだか、不思議なお仕事ですね。埋葬屋って」


 すると白石は鋭い目つきで、


「何が言いたい?」

「い、いえ。ただ、どうしてこのお仕事をされているのかなって。それが気になって……」


 白石は険しかった目つきをいささか緩めて、


「そうだな。確かに、たまに聞かれるよ。――おれは、思うんだ。去りゆくものたちは、埋葬によって、満たされる、って……」


 白石はフロントガラスの向こうの空を見ているようだった。遠い空には雲が白くたなびいていた。


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