第32話 もう未熟じゃない魔法使いの俺

 あやの表情で、おもむろに水槽に視線を投げた。


 先ほどまでは、反応すらもしなかった水槽がボコボコと音を立て始めてから、止まるどころか勢いが増していく。


『先輩……! ここは危険です!』

「俺もそう思う……。早く此処から出よう!」


 いつの間にか先輩に戻ったあやに嬉しさ半分、先ほどの顔がちらついて不安があった。

 ただ、液体の中に膨れ上がる泡が、あやかしを隠すほど白くにごっていき俺たちは部屋を飛びだす。


 ――その直後だった。


 ガラスの割れる音が聞こえてきたかと思うと、中から叫び声のようなうなり声が聞こえてきて耳を塞ぐ。


雪璃せつり先輩、こっちです!』


 思い切り腕を引っ張られた瞬間、部屋の扉はおろか、横の壁も破壊して視界に入るあやかしは、もう”バケモノ”としか呼べない風貌ふうぼうだった。


 緑の液体に浸かっていたときは分からなかった、青い血を流すあやかしのような色合いで、六本の手と二つの顔がある。

 狭い廊下も砕いてバケモノは立ち上がり、高い天井に届きそうだった。


「水槽の中にあやかしは”二人”いた……。まさか、上位のあやかしに進化する際に合体したのか!?」

雪璃せつり先輩、戦闘態勢をとってください! このあやかし、見るからに先ほどのやつより強いです!』

「分かってる! しかも、どこかで見覚えある風貌ふうぼう……。もしかして、”阿修羅像あしゅらぞう”……?」


 阿修羅像あしゅらぞうは顔が三つあるが、そんなのはどうでもいい。

 先に攻撃をしかけるあやに対して、あやかしは六本の腕をバラバラに動かしてみせる。

 しかも、巨体にも関わらず動きが速い。

 さっきのやつは、一撃が重いことで動きも遅かった。


 俺は前衛をあやに任せて後方に飛び退く。


あやとは意思疎通が出来た……。俺なら、あやに当てずに連携できる力がある!」


 横の壁も使って素早く空中を飛び回るあやに意識を合わせるように、裏地が茶色のローブにチェンジした。

 デカブツは、足下が弱点だって相場が決まっているはず!


『先輩! 地響きに備えてください!』

「へっ……? うおっ!?」


 俺が考えている間に、こぶしで砕かれた二本の腕が床に落ちて地面が揺れた。

 苦しむ声はあげるが、人間の言葉は話せない様子のあやかしに、俺は続けざま地面に手をつく。


「足も貰ってやるよ!」


 床が裂けると鋭く太い針のような大地がせり上がり、流れるように一直線であやかしの片足を貫いた。

 バランスを崩したあやかしは大きな音をさせ、先ほどの腕以上に身体が浮き上がるような地響きを立てる。


「よしっ!」

『いきます!』


 間髪入れず畳みかけるあやの鋭いかかと落としによって心臓部は砕け散り、あっけなく砂になって消えていった。

 実験台にされていたことで、言葉を話せなかったのかもしれない。


 再びあやかしの血に濡れたあや呆然ぼうぜんと立ち尽くしてみえる。

 どこか近づけない雰囲気をだすあやに一歩を踏み出すが、静止をうながすように横へ伸ばされる手に足を止めた。


『先輩のこと大好きです。だから、貴方になら殺されてもいい。私を殺してください。それが私の願い・・・・

「さっきも言ったけど、ふざけるな! 俺の回答は決まってる。俺を信じてくれ!」

『ふはっ……雪璃せつりさんは、なーんにも分かってない。良い事を教えてあげますね? ハンターに所属している身体強化能力者ホルダーは、全員が”上位のあやかし”です』


 思いがけない爆弾発言に俺は耳を疑う。

 前に初めて会った、関西から来た萌葵もえぎさんも、夜市よいちも、上位のあやかしってことか……?


「えっ……? もしかして、あの”赤ワイン”みたいな怪しい飲み物って……」

萌葵もえぎさんは、”吸血鬼”です。あれは、人間の”生き血”です。当然、病院とかにある輸血ですけど』


 まさかの血液だったことに驚愕きょうがくする。


 いや、待てよ……?

 あの匂いを嗅いで、俺は甘い匂いだとか思ってた。つまり、俺もあやかしに関わりすぎて人間辞めてたり……。


 妙なことばかり考えていたら、急に変身が強制解除される。


『ちょっ! 魔法使いの力で殺さないと、条件が適ってるか分からないのに! 貴方は唯一人間の希望なんですよ!』

「人間の希望なんて、この際どうでもいい。俺は、あやがいない世界なんて考えられない! 他の三人だって、お前に関わった全員そう思ってるぞ!」

『だって……そんなこと言っても。あやかしの前王の言葉を鵜吞みにするんですか!? 雪璃せつりさんの愛情は、同情かもしれない。私の抱えている愛情も、美味しい餌を前にして愛でている感情かもしれないんですよ!』


 サラッと凄いことを口にする後輩に、俺も思わず顔を引きつらせた。

 美味しい餌を愛でて殺す趣味もあったらしい。


 俺は子供のようにおびえてみえるあやに一歩ずつ近づいていく。


『やめて……生身の状態で私に近付かないでください! 私は、あやかしの王なんですよ……知らず知らずのうちに、何かするかもしれない……』

「俺は、あやのすべてを受け入れる。出会った頃の、セーラー服姿に美少女で後輩だって名乗った柏野彩かしのあやも、あやかしの王であるアヤも。――好きだ。心の底から愛してる」

『ひっ……! ウソだウソだ! そんなつかないで!!』


 あやの叫び声に反応するよう胸が焼ける気がして、首にかけているお守りを取り出した。

 すると中心部から穴が空いていて、中から脈打つ宝石の欠片が覗く。

 思わず前を向く俺に、あやは両手で顔を押さえていた。


「もしかして、これって……」

『――私の分身わけみである心臓の半分です……。あやかしは心臓を砕かれると砂になって消えますが……”自ら割ること”は可能です。ただ、無意味なので、そんなことをするあやかしは私しかいません』

あや……。そこまでして、俺の先祖から渡って俺たち子孫を守ってくれていたのか?」


 俺は優しく心臓を手の平に乗せる。

 きっと、この心臓を壊しても、本体であるあやの心臓を壊しても死を意味していた。


「あやかしは、本当に感情がないのか? 俺は、みんなを見てそうは思わない。だって、あやかしは人間の感情から生まれたんだから」

『……雪璃せつり、先輩……。私、本当はもっと先輩のそばにいたいんです! これから来るハロウィンイベントも、先輩と出会った日とは違うクリスマスイベントもしたい! みんなと、まだ――』


 ボロボロと涙を流して悲痛に叫ぶあやを半身である心臓と共に抱きしめる。

 その瞬間、あやの半身である心臓が輝きだし、俺の姿が変化した。


 漆黒しっこくのローブに裏地が桜色をしている。

 それに、すそにはあやの心臓と同じ色と形をした宝石が散りばめられていた。


雪璃せつり先輩……ローブの中心に、私の……心臓の欠片があります』

「えっ!? なんなんだ、このローブ……これも、魔法なのか? でも、今なら奇跡でも起こせそうだ! あや、今度こそ俺を信じてくれ――」

『……私も、雪璃せつり先輩のことが、大好きです。それから……私の命は、初めから貴方のものです――』


 俺はあやの腰を引き寄せると、反対の手で指と指を絡めるように力強く握りしめ合い、唇を寄せて軽く触れるように重ね合わせる。


 ――あやかしの王としての彼女を殺して、人間と同じ存在にしてくれ!


 心の中で叫んだ瞬間。あやだけが眩しく光り輝きだした。


『えっ!? なに!?』

あや!!」


 思わず握りしめていた指に力を込めるが、すぐに光は消えてあやは自分の異常に気がついたらしく手を放す。


『あれ? 胸の奥がスーッとします。能力を使ってみます』


 あやは、あやかしが崩した壁の残骸を拾い上げて力を込めた。

 だが、普段なら握りしめた瞬間粉砕ふんさいされていた石はびくともしない。


『先輩! 私、能力ちからが使えません! でも、どこか温かい加護のようなものを感じます……』

「もしかして、”王の加護”ってやつじゃないか?」

『えっ? 先輩、どうして知っているんですか?』


 再び魔法使いの手記を取り出して見せる。

 納得した様子のあやは、急にしおらしくにじり寄ってきた。


『……雪璃せつり先輩。私、”ファーストキス”だったんですけど……』

「……俺もだよ」


 感情が冷めると同時に二人して顔に熱があふれてくる中、いつからいたのかも分からない外野の声が耳に届き、大きく肩を揺らして横を向く。


『あー……うん。お取り込み中、悪いんだけどぉ……せっちゃん、攻撃タイプの変身になって蹴散らすの手伝ってくれない?』


 横にいたのはひかるだった。

 しかも、すぐ傍には中位以下のあやかしをなぎ払う南雲なぐもさんに、ひがしさんの姿もある。


雪璃せつり先輩! 私の分までお願いします!』

「あぁぁぁ!! ……本当だよ! せっかく、両想いになれて”ハッピーエンド”! っていうときに、邪魔するんじゃねぇぇえ!!」


 ――恋愛未経験で、こじれたオタク男子を舐めるなよ!?



 三人は、俺たちが口付けをしたことは見ていなかったらしい。

 あやかしの王であるアヤを殺したことで、明らかに能力が低下したことで三人にも成功を喜ばれ、何をしたのか問いただされる。


 だけど、最後まで口付けのことは話さず、二人だけの”秘密”にした。

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