45 閑話 八 吹き寄せの地 4 

八 吹き寄せの地 4 




 月に人の住む世界に、藤堂は生きていた。

 その住人として、何を疑うでもなく。

 他に世界があることなど、知りもせずに。

 

 ある日、そして、世界は滅んだ。


 とても単純に、取り返しがつかずに。


「先に、世界の滅んだ影響がある世界が、隣りといった近い世界であるとは限らないといいました。単純化しすぎた例えではありますが、ある意味単純にそれはしめしているのですよ。―――…世界の連鎖が、一体に何を運ぶのかは人に解ることではありませんが。貴方が、この世界へと吹き寄せられてきましたように」

 そう、藤堂は本人も知らない内に、この世界へ来た。

 来た、という言葉を使うことができるのかは不明だが。

 それは、来たというよりは落ちた、といった不可抗力をしめす言葉の方がより適切な状況ではあっただろう。

「この世界は、…――貴方の居た世界とは、かなり離れた記号で表現されるような位置にある世界になるのですが、…―――。」

玉突きの玉が、思いがけない処まで弾けて、遠い箇所の球を落とすように。

「この世界は、吹き寄せの地といわれるように。幾重もの重なる世界がある中に、不思議な偶然とも時空の流れともいわれる諸々のことが作用いたしましてね?太古の昔から、他の世界からの客人が訪れる地でもあるのですよ。ですから、吹き寄せの地というのです。…――世界の風が吹き寄せて、はぐれたものを辿り着かせるのですね。要は、吹き溜まりなのですよ、この世界は」

「…以前にも聞きましたね、その御説明は」

「ええ、いたしましたね、…藤堂さん」

「はい」

橿原が、そっと茶を飲んだ。

「ですが、呑み込んでおられますか?」

「…――橿原さん、」

ためらう藤堂に微笑む。

「それは、無理でございましょう?」

理屈として呑むだけであれば、元の世界で生きていたときでさえ、理論物理学の一端として、多次元世界の成り立ちは常識となりつつあったのだ。その世界全体がどのように存在しているかについての議論はあっても。

 世界が一つでないと理論がいっても。

 人が生きて感じることができる「世界」はひとつでしかない。

 まして、生きてきた世界が滅んで、別の世界に来たなどといわれても。

 あるいは、その世界が確かにそれまで生きてきた世界と異なると説明され、違いを確認しても。

 それをどうして納得できるのか。

 確かに、この世界に月に人は住まない。

 藤堂の居た世界では、月には基地があり、既に人が住んでいた。

 科学技術の水準という意味では、この世界は藤堂の居た世界より劣る。

 それでも、この世界は滅んでおらず、―――――。

 この世界は、…。

「はたして、ぼくは本当に、―――。」

藤堂が手で目を覆うように押さえる。

「これが、すべて幻ではないかと、…――夢をみているのだと?」

とても藤堂にやさしいようなこの世界だ。都合良く面倒をみてくれる人達がいて、衣食住に困らず、仕事といってもまるで遊んでいるかのような。

「…ぼくは、夢をみているのではないのかと」

 世界が滅ぶ夢をみている。

 その方が、よほど理解はしやすい。

 世界がある日滅んで、自分一人別の世界へと飛ばされたとかいう与太話を信じるよりも。

 月基地で藤堂は働いていた。

 あの悪夢に目が醒めるまで、藤堂が入っていた心理的負荷を調べる為のテストブース。あのカプセルに入ったまま、夢をみているのではと。

 それならば。

「藤堂さん」

「…橿原、さん…」

 現実とは何か?現実と幻想の境目は?

 ある意味、あまりに流れ着いた、吹き寄せられた、か?藤堂にやさしいこの世界は、一体本当にあるのだろうか?

 あまりに、やさしい。




「と、…こちらにいらっしゃるときいてきたんですがね、…」

扉が突然開いて、背の高い黒いスーツ姿に強面の人物がいいながら現れて動きを止める。

「…その、取り込み中ですか?」

「あら、関さん、どうしたの?」

突然現れた関――昨夜、永瀬の部屋で藤堂に料理を振る舞ってくれた人物だ――が、その場の深刻な雰囲気に気圧されたように沈黙して。

「いえ、ちょっと用件を伝えてもらおうとおもったら、真藤さんに直接伝えてくださいといわれましてね、…――すみません、お邪魔してしまったようで」

困ったように眉を寄せていう関に。

 ああ、と納得したように橿原が見返す。

「これは、…そうですね。貴方に任せましょうか、関さん」

「はい?何を、誰にどう任せるって云うんです?」

「勿論、藤堂さんにこの現実の理解の仕方についてですよ。僕達では手に余りますからね」

「…―――はい?現実?何の話です?」

怪訝そうにいう関に構わず、菓子の乗った皿を手に持って橿原が席を立つ。

「丸投げします。では、あとはよろしくね」

「はい?だから、何をです?…―――橿原さん!」

 真藤くんは流石ですねえ、などといいながら関と入れ替わるように扉を出ていく長身の姿を。

 思わず見送ってしまってから。

「だから?一体何が?…――」

 現状を把握できていない関を見上げて、篠原守がのんびりと御茶を飲み。

 お菓子にようやくスプーンをいれて、ひとさじくちにして。

 うん、と満足そうに笑んでから。

「いいかもしれないよね?ふっちゃん」

藤沢紀志も、自身の前に置かれた薄青の菓子を小さな菓子用のフォークで食べ始めながらいう。

 薄青のひとかけを、満足そうにくちにして。

「確かにな。橿原さんや私達ではどうしても現実感が薄れるが」

「関さんなら、どこからどーみても、現実感が満載だもんね!お仕事柄もあるのかな?」

「そうだな。現実的でなければ無理な職業だろう。地に足がついていると言えばこれ以上はない」

「だから、おまえたち、何をいってるんだ、…?」

眉を寄せ顔をしかめていう関の険相にも、まったく高校生二人は動じずに。

「えーっ、つまりさー、関さん」

篠原守が人畜無害な笑顔でいう。

美味そうに珈琲を藤沢紀志が飲む向かいで。

「刑事さんが現実的じゃなかったら、犯人つかまえられないもんね!」

「え?」

強面の関を見あげて、藤堂が固まっても仕方ないというものだったろう。

 昨夜、食事を振る舞ってもらった際には、確かに職業の紹介などはなかった。

「刑事さん、…ですか?」

驚いている藤堂を、関が眉を寄せて入口に立ったまま見返していた。







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