第33話 プレイヤーズクラブ

一方その頃……。


ロンドンのリージェント・ストリートにあるプレイヤーズクラブは、異様な雰囲気に満ちていた。


多くのウィザードがどよめいている中を、一人の女が海を割って道を作るように、しゃなりしゃなりと進んでいる。ウィザードたちの視線はすべてその女に向けられていた。彼らは女と決して視線を合わせようとはせずに、ひそひそと声を低くしてささやき合っていた。


「おい、なんであの女がここに来るんだ」


「ここはトーナメント・プレイヤー専用の憩いと情報交換のクラブだぞ。確かにあの女もトーナメント・プレイヤーではあるが……」


「だが、あんな女、お呼びじゃないだろう……あれがいたんじゃ、おちおち酒を飲むこともできやしない」


男たちが緊張で身を固くしてつぶやき合っていると、突然、女がくるりとこちらを振り向いた。男たちはびくりと身を震わせた。


「あらあら、まあまあ! 皆さん、そんなに緊張なさらなくてもよろしいのよ! わたくしたち、同じトーナメント・プレイヤーでしょう? 確かに実力にはすこぉし、差があるかもしれませんけれど、それでもわたくしたちは同じ仲間ではなくて? そうでしょう?」


にたりと厚化粧を歪めて笑う女の言葉に、人混みの後ろのほうにいた男がうんざりした様子でボソリと言った。


「人からカードを巻き上げるやつのことを仲間っていうのか。そんな英語、おれは知らなかったな」


その男の言葉に、うんうん、と周囲が一斉に同意した。そんな会話に気づいているのか、気づいていないのか、女はクラブの中で一番大きなスクリーンの前の特等席を堂々と独り占めした。


そんな大きな態度を腹立たしく思ったのか、不審に思ったのか。年の頃は十代と思しき、一人の若い女ウィザードが訝しげに周囲に尋ねた。


「誰、あの女? なんかずいぶん偉そうだけど」


「ん? ああ、そうか。あんたは最近インドから来たんだったな」


ウィザード・トーナメントの本場はロンドンだが、人外の魔物や亜人が激しい戦いを繰り広げる試合は最高の見世物であるため、トーナメントはロンドン以外にも、インドや香港、アフリカといった、大英帝国の世界各地の植民地で開かれている。


インドからやってきたトーナメント・プレイヤーの女に尋ねられた男は、ちょっと首を傾げながら答えた。


「さすがにインドにまではあの女の悪名も轟いていないのかな? あの女は〈蒐集家〉サブリナ・バーンズだよ」


「サブリナ・バーンズ? なんとなく聞き覚えのあるような……」


「またの名を〈外道〉のバーンズっていうんだけどね」


「ああ! それならインドにいる頃に何度も聞いたわ! 〈外道〉のバーンズ親子は、インドの異界から産出された貴重なカードを合法的かつ非人道的な手段で奪い取ってるクソ親子だって!」


ぽんっと手を叩いて大声を出すインドの女ウィザードに周囲はぎょっと目を剥いた。慌てて何人かがシーっと指を立てるが、サブリナ・バーンズはというと、ちらりとこちらを見てきただけで特に気にした様子はなかった。


それをどう勘違いしたのか、年若そうなインドの女ウィザードは鼻を鳴らして見下した口調で続けた。


「ふぅん……あれが〈外道〉のバーンズか。なあんだ、噂じゃ悪魔みたいに語られていたけど、見た目はただのおばさんじゃん」


「お、おい、あんた……」


「なに、あんたたち、もしかしてあんな厚化粧のおばさんにビビってんの? あはッ、ロンドンのプレイヤーって情けないわね! 本場のほうがインドよりもレベルが高いっていうから、どれだけのものかと思ってはるばる海を渡ってやって来たけど、あんなババアが幅を利かせているようじゃ――」


その瞬間だった。


インドのトーナメント・プレイヤーは、突然、ぐるりと白目を剥いた。


あっという間の出来事で、倒れていく彼女の身体を受け止める者は誰一人いなかった。ゴツンと鈍い音がした。女は床に頭をモロにぶつけていた。


「あら、大変。その方、大丈夫かしら? 変な具合に頭をぶつけると、脳震盪になったり、あとでひどい後遺症が出てくると、わたくし、以前に聞いたことがありますけれど」


わざとらしく言って、倒れた女のほうを見てくるのは、上等なソファの上でのんびり紅茶を啜るサブリナ・バーンズだった。


「恐ろしいですわねえ。呪いは呪う者の頭上に返ってくる、なんてことわざがありますけれど、本当にその通りですわねえ。人のことを悪く言う方には罰が下るって本当のことなんですわねえ」


なにを言っているんだ、お前がやったんだろう、と指摘できる者は、その場には誰一人いなかった。


ここにいるのはほぼ全員がBランク・プレイヤーだった。程度の差こそあれ、カードの扱いには腕に覚えのある者ばかりだった。だが、そんな彼らをもってしても、サブリナ・バーンズがインドのプレイヤーを攻撃した仕掛けについてはさっぱりわからなかった。


プレイヤーならば大抵は、自分の身を自動で守ってくれるソウルカードを一枚ぐらいは必ず持っているものだが、サブリナ・バーンズはインドのプレイヤーにそれを発動させなかった。それどころか、サブリナはカードを使う素振りさえ見せなかった。


悪名高いカード・コレクターにして、ピンからキリまでいるBランク・プレイヤーの中でも最高位の実力を持つ女――〈蒐集家〉サブリナ・バーンズ。


その実力を目の当たりにして、同じBランクであるはずのプレイヤーたちは一斉に沈黙していた。


「これがトッププレイヤーというものか……」


誰かが呆然とつぶやいたその言葉は、沈黙の海にさざ波のように広がった。


トーナメントにはCからAまで三段階のランクがあるが、この内、Aランクの実態についてはほとんど認知されていない。


Aランク・プレイヤーともなれば、軍事戦略兵器並みの戦闘力と、王室並みの社会的影響力を持つことになる。


そのためかどうかは知らないが、ほんの数人しか存在していないと噂されるAランク・プレイヤーたちは、滅多に表舞台に出てこない。彼らの試合も、誰にも迷惑をかけない異界で、余人を挟まずに秘密裏に行われているという噂だった。


社会的には、Bランクの上位に位置するプレイヤーのほうが、トーナメントにおけるトッププレイヤーであり、花形だと認識されていた。Bランクの試合は基本的にすべて世間に公開されており、その中でもBランク上位陣の試合は、ダービーを凌ぐ英国最大の賭博として人気を博しているからだった。


「しかし、そんなBランクのトッププレイヤーが今さらプレイヤーズクラブにわざわざなんの用なんだ?」


誰かが蚊の鳴くような声でつぶやいた。


プレイヤーズクラブに集まるのはCランクや、下位から中位のBランク・プレイヤーがほとんどで、上位のBランク・プレイヤーやAランク・プレイヤーなどは滅多に来ない。


Bランクとはいっても、その実力や収入には天地の差がある。上位Bランカー以上は独自の情報網やカードの入手手段を持っているため、プレイヤーズクラブにはほとんど訪れないのだが――


トッププレイヤーであるはずのサブリナはその場にいる者全員に聞こえるような大声で言った。


「あら、わたくしがCランクの試合に興味を持ってはいけないのかしら?」


ざわ……ざわ……と。


その言葉に、Bランカーの面々はざわついた。


「まさか、サブリナ・バーンズが今日の〈赤毛〉対〈サキュバス狂い〉戦に興味を持っているだと?」


「どうやらそのようだな。〈赤毛〉と〈サキュバス狂い〉……それほどの逸材か?」


「それはそうかもしれんが、その言い方は正確ではないだろうな。〈蒐集家〉のサブリナ・バーンズだぞ。彼女が興味を持っているのはプレイヤーのほうではなくて、〈サキュバス狂い〉が持っているあのサキュバス・カードに違いない。あれはかなりユニークなサキュバスだっていう噂じゃないか。いや、待てよ……もしかしたら、サブリナ・バーンズが狙っているのは、〈赤毛〉の持つ〈隻眼のゴブリン〉という可能性もあるな。あれもユニークなソウルであることは間違いないからな」


「そうか、なるほどな……しかし、それでは少し困ったことになるな……」


そう言って、眉間に皺を寄せて腕組みをしているのは、下位Bランカーたち――特に、Bランクから脱落する可能性が高い。底辺の者たちだった。


トーナメントでは、Bランクで負け続けた者はフリーランクへと脱落してしまう仕組みになっている。Bランカーからすれば、フリーランクというのはアマチュアみたいなもので、稼げる金額は文字通り桁が違う。だから、自分たちの地位を脅かす有望な新人がBランクに上がってくる前に、あるいは上がってきた瞬間に潰して、ずる賢く自分たちの地位を守る者たちがいる。


それが俗に言う、新人潰しと呼ばれる連中だ。


彼らのやり口は様々だ。


日常生活で油断しているところを襲う。毒を盛る。証拠が残らないタワー内で集団で潰す。


そういったやり方の中でも特に悪質なのが、試合中に偶然の事故を装って襲うやり方だ。


トーナメントの試合には、はっきりとしたルールが定められていない。これは、もともとのトーナメントの開催目的が戦争時のウィザードたちの戦力向上にある、というのも理由のひとつだが、ソウル同士の戦いを厳しく監視して正否をジャッジできる人手が単純に足りていないことも理由に挙げられる。


そのため、対戦相手を直接攻撃する以外は基本的になんでもありというのが、トーナメントの現状となってしまっており、偶然の事故に見せかけた他試合からの乱入、フーリガンを装った観客席からの妨害などが、下位ランカーの試合では頻発している。


世間から注目される中位以上のプレイヤーになれば、多額の金を賭けている観客たちの批判が厳しくなるため、イカサマや八百長、他のプレイヤーからの妨害行為はほとんど行われなくなるのだが、それほど注目されていないBの下位ランカーやCランクの試合では、悪質なプレイヤーたちが自身の生き残りを賭けて様々な不正行為を行っていた。


しかしそれも、あのサブリナ・バーンズが目を光らせているとなれば、話は別だった。


今日、プレイヤーズクラブに集まった下位ランカーたちの目的は、〈赤毛〉と〈サキュバス狂い〉の実力を見極め、将来の自分たちの危機に備えるためにあった。〈赤毛〉と〈サキュバス狂い〉のどちらが勝つにせよ、彼らが近い将来、自分たちの地位を脅かす存在になるのは間違いなかった。


すでに彼らは世間が注目する存在となってしまっているために、彼らの試合中に妨害行為を行うことは不可能だが、それ以外の場面で襲撃をかけることは容易いことだった。


しかし、もしその襲撃によって、サブリナ・バーンズが狙っているソウルを破壊してしまうような間違いがあれば……。


プレイヤーズクラブに集った下位ランカーたちは、〈外道〉のサブリナ・バーンズに関する様々な噂を思い出して、怖気立った。


「な、なあ、どうする……? 〈赤毛〉と〈サキュバス狂い〉、それに〈竜使い〉を狙うのは止めとかないか。噂じゃ、サブリナ・バーンズは〈竜使い〉にも興味を持ってたって話だぜ」


「けどよお、あいつら三人とも、絶対にBランクに上がってくるぜ。今は共喰いの真っ最中だけどよ、あんだけ強けりゃ、負けたとしてもまたすぐに勝ち星を稼いじまうよ。あいつら、今の時点でおれらより余裕で強えんじゃねえの? やつらが資金を貯めて、シルバーカードを手にする前に、やっぱり再起不能にしちまうべきだぜ」


「そりゃそうかもしれないけどさあ。あたし、サブリナ・バーンズは怒らせたくないな。〈ギョロ目〉みたいなことにはなりたくないもん」


「あん? 誰だよ、その〈ギョロ目〉ってのは」


「お前、知らないのか。前にいたんだよ、サブリナ・バーンズとカードの取引きでトラブった、目が魚みてえに飛び出してるやつが」


「へえ、それで? その〈ギョロ目〉ってのはあの女とトラブって、それからどうなったんだ?」


「……やつは〈ギョロ目〉じゃなくなった。ただそれだけさ」


「はあ? おい、どういう意味だよ。〈ギョロ目〉じゃなくなった、ってどういう意味なんだよ、おい!」


男がたまりかねて叫んだときだった。


「あら、懐かしい名前が聞こえてきましたわね」


にゅっ、とサブリナ・バーンズが首を突っ込んできた。


男は失禁しそうなほど仰天した。


「う、うわああああああッ!?」


「あら、それほど驚かれなくてもよろしいじゃありませんか。ねえ、みなさん。たまにはわたくしともおしゃべりしてくれませんこと? わたくし、こう見えても寂しがり屋ですのよ。それになぜかお友達も少ないの。子供の頃はよく一人で想像上のお友達を作って遊んでいたものですわ。ふふッ、彼女、ケイティー・モリスといって、わたくしたち、とても良いお友達でしたの。でもある日、ケイティーがわたくしの大事にしていたカードをどこかへと隠してしまったものですから、わたくし、彼女とは距離を置くことにしましたの。それから彼女を見かけたことは一度もありませんわ」


「は、はあ……」


「ああ、それから、先程みなさんがお話しされていた方のことですけれど。わたくし、あの方とは距離を置いていますの。この意味……みなさんでしたら、おわかりかしら?」


わかりたくない。


薄気味悪い笑みを浮かべるサブリナに、一同はそう思うことしかできなかった。

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