17:環状線物語
<パリ・モスクワ間 試験運転日誌より>
担当技師:エティエンヌ・デュボワ
今日も環状線の試験運転は順調だった。まあ、「順調」の定義が日に日に緩くなっているのは確かだが。
軌道は予定通り地上50メートルを走り、ライトブルーに輝く車両は時速800キロメートルで安定して走行している。ただし、乗客の体は時速800キロメートルで走っていることを全く実感できない。これは良いことなのだろうが、なんとなく詐欺っぽい気がしないでもない。
試験運転の乗客として、各国の要人たちが乗り込んでくる。彼らは車窓から見える風景に感動するふりをしているが、実際に見えるのは青空と時々通り過ぎる雲だけだ。私は制服のポケットに忍ばせたクロワッサンを少しずつちぎって食べながら、計器の数値を確認し続ける。
<ニューヨーク・サンパウロ間 駅員日記>
マリア・ゴンサレス
環状線の駅員になって3ヶ月。未だに慣れないのは、改札を通過する際の「大陸間移動確認音」だ。普通の改札音の後に「ポロロン♪」という音が鳴るのだが、なぜこんな可愛らしい音にしたのか誰も説明できない。
今日も朝からビジネスマンたちが急いでホームに向かう。サンパウロで朝食を食べ、ニューヨークで午前中の会議に出席し、昼にはまたサンパウロに戻ってくる。彼らは時差を気にする必要がない。なにしろ、環状線の中は「統一時間帯」なのだ。
駅の売店では「二大陸間サンドイッチ」が人気商品になっている。パンの片側がブラジルパン、もう片側がベーグルという、明らかに無理のある商品だ。でも不思議とおいしい。
<東京・シドニー間 機内アナウンス原稿>
(注:以下のアナウンスは6ヶ国語で放送されます)
「お客様へお知らせ申し上げます。現在、環状線は太平洋上空を安定走行中です。車窓左手に見えますのは......申し訳ございません。現在は夜間のため、車窓からは何も見えません」
「なお、機内では各国の時刻表示を設置しておりますが、これは参考表示となります。環状線内は統一時間帯を採用しているため、実際の時刻は......そうですね、この説明は省略させていただきます」
「まもなく、サンゴ礁上空を通過いたします。透明度の高い日中であれば、水面下の様子も......申し訳ございません。繰り返しになりますが、現在は夜間です」
<ドバイ・ケープタウン間 メンテナンス記録>
主任整備士:アブドゥル・ラーマン
環状線の技術的な特徴は、「理論的には不可能なことを、実際にやってのける」という点に尽きる。
例えば、私たちは毎日のように「重力制御装置」のメンテナンスを行っている。このメンテナンス自体が物理法則に反している可能性が高いが、誰も気にしていない。整備士の世界では「動くならいいじゃないか」という精神が何より大切なのだ。
今日は「大陸間距離圧縮システム」の定期点検を行った。このシステムのおかげで、物理的には12時間かかるはずの距離を2時間で移動できる。システムの仕組みを説明できる者は誰もいないが、それでも黙々と点検作業は続く。
メンテナンス後は必ず報告書を書く。「本日の点検:特に異常なし」。この報告書が誰に読まれているのかも不明だが、それもまた環状線らしいと言えるだろう。
<開通1周年記念式典 スピーチ原稿>
国際環状線機構 事務局長
「本日ここに、世界環状線の開通1周年を迎えられましたことを、心より喜ばしく思います」
「環状線は、人類の夢を実現したプロジェクトです。各大陸をつなぎ、時差も距離も超越する。そんな壮大な構想を、私たちは実現させました」
「もちろん、いくつかの技術的な......いや、むしろ物理法則的な問題は残されています。しかし、それらは人類の英知で必ず解決されるでしょう。たぶん」
「これからも環状線は、世界中の人々の往来を支え続けます。そして私たちは、その仕組みが本当はよく分からないまま、日々の運行を続けていくことでしょう」
「ご清聴ありがとうございました。なお、この後のレセプションでは、世界各地の機内食をご用意しております。といっても、統一時間帯のため、どれが朝食で、どれが夕食なのかは......まあ、お好きなものをお召し上がりください」
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