第11話:くすくす

 ──五年前。渡部わたべルイ、十歳。


「うえっ……」

 目の前でトレーニングウェア姿の少女がえずくのを、虫けらを見るような目で見下ろしていた。

 黄緑色のショートヘアが乱れ、蛍光イエローの瞳が大きく開かれている。


 わざとではない。

 訓練用の槍の先端が、運悪く、みぞおちに入ったのだ。


「やり過ぎだよ」「可哀想に」

「せめて寸止めだよね」「たけみつ!」

 周囲の生徒たちはひそひそと、ルイを陰口でさげすむ。


「敵は手加減してくれますか?」

 などと、ありきたりな言い訳をするつもりもなかった。


 陰口を言っている生徒は、哀れな被害者を庇うつもりなんてなく、ここぞばかりにルイを晒しめたいだけなのだ。


 当時のルイは、武術でも座学でも首席だったので、彼女に直接文句を言える者などおらず、無視を決め込んでいた。


 ちなみに、訓練所の生徒がことさら性格が悪かったわけでなく、むしろ空気を悪くしていたのは、彼女のそうした態度が原因である。


「みんな! 私が手加減しないでって頼んだの!」


 予期せず、被害者の少女が大声を出したため、周りは興ざめして、各々の訓練に戻っていく。


「どうして私を庇ったのですか?」

 ルイは彼女の行動がはなはだ疑問だったので、率直に尋ねた。


「その、受け損なった私のミスだから……それに、敵は手加減してくれないし」

 ルイが飲み込んだ台詞を、その少女は口にする。


「ふーん。あなた、なんて名前でしたっけ」

「い、岩倉いわくらヒヨミだよ」


「ヒヨミさん、さっきはすみませんでした」

 謝罪の意は毛ほどもなく、庇われた借りを返したまでである。


「あの、ルイさん」

 名乗った覚えはないが、同級生なので、知ってるほうが自然だろう。


「安心してください。これからは寸止めにしますので」

「いえ、そうじゃなくて……」


「まだなにか?」

「あの、その、もうちょっと、申し訳なさそうに謝ったほうがいいよ?」

「……あなた、いい性格してますね」


 ヒヨミはおとなしそうに見えて、ずけずけと物を言うタイプだった。

 普通にしゃくに障ったので、寸止めはやめた。


 ──それから、数日が経った。

 誰もルイとの組手をやりたがらなかったため、相手はいつもヒヨミである。


「あなたもりないですね」

「い、一番強い人とやるのが、強くなる近道だと思って」


「くすくす、相変わらず、いい性格してますね」

「ルイちゃんって、声に出して『くすくす』って言うんだね」


「今、喧嘩売られてます?」

 しかも、許可した覚えがないのに、いつの間にか「ちゃん」呼びである。


「あっ、違うの。すごくかわいいなって」

「かわいいですか……?」

「かわいいよ! 萌えだよ! よっ、この『萌え女』!」


 ルイは顔を片手で覆って、ため息をつく。

 褒められてるのか、馬鹿にされてるのか、分からなかった。


 ──さらに数日が過ぎた。

 ヒヨミの向上心は凄まじく、戦闘技術はみるみる上達していった。


 ほかの生徒たちも彼女に当てられたのか、ひたむきに努力するようになり、ルイの才能をうとむ風潮は、いつの間にやら消えていた。


「ルイちゃん、ささみの照り焼きなんだね。やっぱアスリート志向?」

「鶏肉が好きなだけです。あなたは塩ラーメンですね」


「ここの定食のラーメンは、栄養が計算されてるから太らないもん!」

「くすくす、別に何も言ってませんよ」


 食堂のテーブルで向かい合って、冗談を交わす。

 ふたりはいつしか、組手の時以外の場所でも、親しい関係になっていた。


「ルイちゃんの意地悪~っ! でも、そんなところが萌え!」

「本当に、いい性格してますね」


「だけど、潜入のときはやめたほうがいいよ。意地悪なルイちゃんと仲良くなれるのは、一部のコアなマニアだけだからね」

「くすくす、コアな変態の間違いじゃないですか。まあ、考えておきます」


「あ~っ! 自分で言ってて緊張してきた~、潜入なんてできないよ~!」

 変態と呼ばれたことはスルーして、ヒヨミが頭を抱える。


「あなたは、素で接すれば好かれるでしょうに」


 変な癖がつかないよう、座学以外の潜入訓練は基本行われない。

 現場の主体性にゆだねられる。つまるところ、アドリブである。


「そっか、性悪しょうわるなルイちゃんとも仲良くなれたもんね!」

「喧嘩売ってます?」

 あなたも少しは直したほうがいいです、と軽くたしなめる。


「大丈夫、ルイちゃん以外にはわきまえてるよ」

「私にも弁えてほしいですが」


「えへへ、そいつはもう無理な相談だね!」

 ヒヨミの笑顔が眩しくて、ルイは照り焼きを頬張った。


 ──こうして、三年の月日が流れた。


「うごっ……」

 トレーニングウェア姿の少女がマットにへばり、えずいていた。

 今度は蒼い髪の少女、ルイのほうだった。


「ごめんね、大丈夫?」

「くっ……くすくす、こんなのべつに。それより、今ので一本取ったと思わないでください。全然本気じゃありませんでしたし」


 悔しくて、早口でまくし立てた。


「あ~、よかった。ルイちゃんんだ」


「も……?」

「私ね、訓練で足首を捻挫ねんざしてて、庇いながらだったんだよね。なのに、ルイちゃんに勝てたのは変だと思ったんだ~」


「ああ、そう……ですか。そんなときは無理せず、保健室に行ってください。

 まぐれ当たりも起こるので、相手も自分も危険ですし。私も付き添いますから」


「ルイちゃんは優しいね」

「まぐれでお腹をド突かれたら、堪らんだけです。ま・ぐ・れ・で」

「はいはい」


 この数ヶ月で、ヒヨミの実力は彼女を上回っていた。


 ルイも訓練を怠っていたわけではない。

 なのに、もう追いつけないと感じた。


 このままでは、ルイをヒヨミが追い越したと広まるのも、時間の問題だろう。

 それは嫌だなあ、と彼女は思った。


 気の弱い少女が、性悪な苛めっ子にもめげず、終いには心身ともにその子より強くなったなんて、まるで陳腐ちんぷなシンデレラストーリーだ。


 とっくに訓練所の陰湿いんしつな空気は、払拭ふっしょくされている。

 いまさら、ルイが陰口を言われることはないだろう。


 ヒヨミも彼女を、軽蔑けいべつしたりしない。

 だけれど、どうしようもなく、嫌だなあ、と思ってしまった。


「次から……別々の相手と組手しませんか?」

 得られる経験も変わるから、そんなもっともらしい言い訳をした。


「うん、いいよ! もっと強くなって、次戦うときは本気でやろうね!」


 ヒヨミは疑いもせず、約束を取り結ぶ。

 こんなに積極的な性格だったっけ、とルイは首を傾げた。


 ああそうか、自分は彼女が気弱そうだから、付き合っていたのか。

 どこまでも性根しょうねの腐った自分に、心底吐き気がした。


 ──結局、再戦の約束は叶わなかった。


 ヒヨミは才能を見出されて、中学校で起きた潜入任務に急遽きゅうきょ駆り出され、二度と帰ってこなかった。

 ルイはもう、何もかもどうでもよくなってしまった。


「渡部ルイさんですね?」


 訓練をサボって、隅のほうの昇降口で塞ぎこんでいたある日。

 つややかな黒髪の女性──二十代後半くらいが、傍らに佇んでいた。


 左目から頬にかけて、大きな傷痕があったが、藤色の瞳ははっきりとこっちを見据えている。


「私をしかりに来たんですか?」

 女性はゆっくりと首を振って、否定した。


「お友達を亡くして、つらいですよね」

「あなたに何が分かるんです!」

 立ち上がって大声で叫んでも、女性はまったく動じず、こう続けた。


「あと二年もすれば、この訓練所は正式に〈学園〉の支部になります。しかも、私にぴったりの第十五番目です」


「なんでぴったりなのです?」

「私が校長の、阿久津あくつマリヤだからですよ」


「ですから、なんでぴったりなんです?」

「それは秘密です。今日は、優秀な生徒にご挨拶をと伺ったまでです」


「私は優秀なんかじゃ……」

「優秀ですとも、ヒヨミさんと肩を並べていたのですよね?」


 いなくなった友人と比較されて、ルイは惨めな気持ちになった。

 マリヤは傷口を舐めるように、心の隙間につけ込んでくる。


「──〈端末人間〉になりませんか?」


「誰が何になりますって?」


「人間の肉体はもろすぎます。私の目は奇跡的に視力が残りましたが、親友は片目を失いました。〈端末人間〉は欠けた肉体が再生します。ズルいと思いませんか? ズルいですよね? こっちは生身なのに」


 早すぎず遅すぎず、絶妙に返答を拒否するテンポで、ルイを揺さぶる。


 なぜ。なんで。どうやって。

 質問の枝を切り落として、最後の問いのみに答えるよう、言葉巧みに誘導してくる。


「こういうのって、生身だから意味があるんじゃないんですか?」

「死んでしまったら、意味なんてありませんよ」


「そこはこう、のこされた人が、受け継ぐ的な……」

「受け継いでいたら、あなたはこんなところでくすぶっていません」

 痛いところを突かれて、ルイの水色の目がにごっていく。


「〈端末人間〉に……なったら、ヒヨミちゃんに勝てますか……?」

「それは、あなたの──『才能のうりょく』次第です」


 精神的に参っていたルイは、マリヤの甘言を拒むことができなかった。

 そうして、巣から落ちた雛鳥ひなどりは、彼女の野望の道具として、甘い毒で餌づけにされた。


 ◆


「どうやら、賭けは私の勝ちですね」

 リオの右肩は上がらず、背中は裂け、最悪にも左足のアキレス腱が切れていた。


 体勢が上になっていた分、〈矢咫烏やたがらす〉の絨毯爆撃デス・エアレイドのほとんどを彼女が庇う形になり、ルイはかすめたタイツが一部破けたものの、再生可能な範疇はんちゅうであった。


「一体、いつからだ……?」

、天井に仕込んでおいたんですよ。スナイパーが定位置から動かないなんて、おかしいと思いませんでした?」


 まさか本当に迷路を抜けるとは思いませんでしたが、とルイは補足する。


「誤解されないよう言っておきますけど、ここまでたどり着くと信じていたわけではありません。できる限り、道中で仕留めるつもりでした」

「そいつはどうも、『高く』買っていただいて結構だ」


 左腕をこっそりシャツの内側に入れたリオは、そこで初めて、それらが無くなっていることに気づいた。

「報告どおり、あなたは予備の〈インストーラー〉を、まとめてベルトに巻いておく癖があるのですね」

 複数の金属棒がぶら下がったベルト帯が、ぽいと投げ捨てられた。


「さて、リオさん。時間稼ぎのお喋りに付き合ってあげるほど、私もお人好しではありません。あなたの手足が再生する前に、あなたを殺します。

 そして──もう、あなたに近づきません」


 ルイはリオの左腕──まだ動く方を指摘する。

 細い氷柱つららのように、手首の付け根に〈枝角えだつの〉を形成していた。


「いやあ~、まだ一矢報いる元気があるなんて、怖いですね~。そんなので刺されたくらいじゃ死にませんが、脳にでも刺せば、動きは止められるんじゃないですか。眠ってる間に何されるか、分かったものじゃないですからね~」


 わざとらしく、いじらしく、堕天使ならぬ、小悪魔な笑みを浮かべる。


「怖いので、この安全な距離から! 私のもっとも得意とする弓矢で! あなたを射抜いてみせましょう──情報習得ダウンロード【ロングボウ】」


 ルイは新たに出した〈インストーラー〉を、金属の大弓に変形させた。

 目線をリオから外さず、落ちた弓を拾う隙もみせない、という意思表示も兼ねている。


「──それは、『三行程』だろ」


「なんですか、遺言にしては意味不明です。時間稼ぎに乗るつもりはありませんが、特別に聞いてあげます」


「弓を作って、矢を作って、電気を帯びさせる。全部で三行程いるだろ。

 まだ行程の『いち』しか進んでいない」


 言い終えると、左手を真っ直ぐ突き出し、〈氷柱〉の狙いを定める。


「そう──これは〈氷柱〉だ。たった今、名づけた。分かりやすさが一番だからな」


「まさか、あなた。それを〈矢咫烏〉のように、打ち出そうだなんて、そんな馬鹿な、それに今名づけたって、練習したこともないのでしょう!?」


「ヤタガラス? ああ、ガガンボのことか」


「やっすい挑発をするなーッ! そんなもん、当たるわけがないでしょう、外したところを射返して終わりです! はい私の勝ちーッ!」


「勝ちと言うくせにお前、さっきからなぜ笑わない?」

「笑ってますけど? 絶賛勝利の笑みを浮かべてますけど? そんなはったり、ちっとも怖くありませんけど?」


「言ってることが矛盾してるが。まあいい、くすくすと笑えよ」

「はあ?」


「くすくすと声に出して、笑ってみせろよ──この『萌え女』」


 一瞬、友人の呼びかけが脳裏によぎり、ルイの思考が

 リオはその長い『一瞬』を見逃さない。


 血液が筋肉に送り込まれ、左手の付け根が膨張する。


「ヒヨミちゃんじゃないのにッ! 私を萌え女と呼ぶなァーーーーッ」


 やや想定と違うところでキレていたが、すでにリオは、行動を完了していた。


「いってえ、左腕がオシャカになっちまった。〈矢咫烏〉とやらは、自分の体でやるもんじゃないな。それと……」


 肉の弾けた左腕の残骸ざんがいが、だらりとぶら下がる。

 互いの距離、発射角度と、的確な血液量を算出、ルイが弓を構えて動かないのは都合がよかった。


「言い忘れていたが──計算は得意なんだ」


 脳天に〈氷柱〉の突き刺さったルイに、もう言葉は届いていなかった。


(第11話・了、つづく)




【次回予告──】

「ダメだよぉ、もう手足を切り落とすしかなくなっちゃったぁ」

「苦しい? 今楽にしてあげる」

「待て~! 科学室弁償しろ~!」

「リオのされた改造手術……実用化していたのね」


 レンカとトモカ、姉妹の戦いはエスカレートしていく。

 記憶の取り戻し覚醒するレンカ、しかし、それはパンドラの箱だった……。


「あたしも吃驚よ、自分にこんな力があったなんてね」


次回、『殺し-Ai-姉妹』


【──毎日夕方18時00分更新!】

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