第31話 ひとりきりの夕餉

その日の夜にでもヒルデガルトとのお茶会のことをアレクに報告しようと思っていたのだが、夕食前にアレクは急遽宴席に出るとのことで帰りが遅くなると聞かされた。

春宮とうぐうに来て四カ月ほど経っていたがアレクが夕食時に不在になるのは初めてだった。

自室でひとり夕食をとることができたらそうしたのだが、アレクが帰ってこないのを聞いたのが夕食の直前で、既に夜用のドレスに着替えていた。今更変更してもらうのも気が引けて、夜用のドレスで食堂に向かう。腕と肩が露出したドレスはいつもよりうすら寒く感じた。

実家では家族が、春宮ではアレクがいて、ひとりで夕食をとったことがほとんどないセシリアは非常に味気ない思いをした。

夕食は早々に切り上げて自室でしばらく過ごしていたが、あまり起きていてもマリアムたちが休めないと思い、いつもより早い時間に寝室へと移動した。

時間が早いこともあって、眠る気にはならず昼間に読んでいた本を読む。最近隣国で出版された騎士の冒険譚だ。読むのを楽しみにしていたはずなのに、集中できず本を閉じた。

布団に入ってはみたがやはり眠れず、起き上がり再び本を開いた。文字を目が上滑りして内容が入ってこない。しばらくぼんやりとしていると扉の外から話し声が聞こえた。すぐに話し声は止み、アレクが酒の臭いとともに寝室に入ってきた。夕食時にいつもワインを飲んでいるが、酔っているアレクを見るのは初めてだった。

「起きていたのか」ベッドの上に起き上がっているセシリアを見て、アレクは驚いている。

「はい、なんだか眠れなくて。それにご報告したいこともあって」

「もう遅いし、明日でもいいぞ」

「私は大丈夫です。でも、お疲れでしたら明日にします。大丈夫でしたら少しだけお話しできませんか」

アレクは何も答えず、だが大儀そうにベッドに腰を下ろした。

「今日の茶会でなにかあったか」

「ヒルデガルト嬢と毎週お茶会をすることになりました」

「毎週?」

「はい」セシリアは手短に事の顛末を説明した。

「毎週お茶会を開いても問題ありませんか」

「別に構わないが……セシリアはそれでいいのか」

「私は、力になってあげたい、と思ってしまったので」

「セシリアがいいなら好きにするといい。毎週となると一度ヒルデガルトに挨拶しておかねばな」アレクは大きく息を吐いた。「悪い。今はまともに考えられない」

「お水、飲みますか」

「貰おう」

セシリアは枕元の水差しからグラスに水を注ぎ、アレクに手渡した。アレクは受け取ったグラスを一気にあおると、そのままセシリアにグラスを返した。

手が触れ合う直前、セシリアがしっかりとグラスをつかむ前にアレクが手を離したため、グラスが宙に浮く。

咄嗟にふたりとも反応しグラスはアレクが受け止めた。顔が近付く。身を引こうとしたセシリアをアレクは抱き寄せた。

傍にはあったが特に意識をしていなかった、アレクのしっかりと重く温かい体に包まれる。

自分のものなのか、アレクのものなのか、セシリアの耳にはどくどくと脈打つ鼓動の音しか聞こえなかった。

「セシリア」少しかすれた声でアレクが名を呼ぶ。

セシリアはただ体中が熱く、なにも考えられなかった。

アレクが少し離れる。酒に酔ったせいか、それとも別の理由か熱っぽいアレクの瞳と目があう。

アレクの視線が迷うようにさまよったあと、顔が近付いてくる。セシリアが目を伏せると、浮かんだ涙を掬い取るようにアレクはセシリアの目尻に口付けた。そしてそのまま、セシリアを再び抱きしめた。

永遠とも一瞬ともつかない時間が過ぎ、アレクがセシリアから体を離した。

「駄目だな。今晩のことは酒のせいだ、ということにしておいてくれ」名残惜しそうにアレクがセシリアの髪を撫でながら言う。

「おやすみ、セシリア」アレクはセシリアの髪をすくいあげ口付けると、ベッドから立ち上がった。

アレクが奥の間に消えると、セシリアは緊張がほどけベッドに横になった。アレクの温もりがまだ残っているし、鼓動も早い。

思い返してもどうしようもないのに、どうしても先程のことを考えてしまい長く眠れない時間を過ごした。

夜もだいぶ更けてからようやく眠れたが、翌朝、眠りが浅かったのか、アレクが奥の間から出てくる音で目が覚めた。

「おはよう、セシリア」

何事もなかったようにアレクが挨拶する。セシリアもいつも通り挨拶を返し、いつも通りの朝食が始まる。

昨日のお茶会の様子を詳しく話したりで朝食が終わり、ふたりで寝室を出る。部屋を出る直前、アレクがぼそりと言った。

「昨晩はすまなかった」

このまま寝室を出ればお互いの自室に向かうために別方向へと行くことになる。セシリアは別れる前に何か言わなければと、アレクの袖をつかんだ。

「あの、その」つかんだものの言葉が見つからず、しどろもどろになる。

アレクは立ち止まり、セシリアのほうを振り返る。

「私は別に気にしてないです。その、驚きはしましたが、嫌だというわけでは」

「うん」アレクが小さい声でうなずく。いつもと変わらない様子だが、朝日が当たっている耳朶が赤く染まっている。

行動を起こした結果、なんだか変な雰囲気になってしまい、アレクの袖を放す。

アレクの袖を放したセシリアの手を、アレクは大きな手で握りこんだ。

「部屋まで送る」

「すぐそこですよ」

「いい、送る」

アレクはセシリアの手を握ったまま、セシリアの部屋の前まで来た。

「このあと厩には来るのだろう」

「はい、そのつもりです」

「ではまた」アレクは最後にセシリアの手をぎゅっと握って、自室へと戻っていた。

セシリアは自室の前でしばらく、アレクとつないでいた手を見つめていた。

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