どうやら、今のオレはモテないようです。

あけち

第1話 覚醒

 びゅぅびゅぅと吹雪ふぶき、地上五階の窓を揺らす。


 雪が窓に付着するも、室内の暖房によってか、すぐに水となり枝葉のように落ちていく。


 仄暗い外の世界とは異なり、病室の一室では温かい橙色の灯りが六人を照らしていた。


 その内の一人は、ベッド上で鼻孔から酸素を送るカニューレを付け、右上腕にカテーテルが挿入されている。


 彼の穏やかな表情はまるで自分の身に起きた惨事すら知らないようである。


 いや、実際にそうだ。


 丁度一ヶ月が経過した二月四日現在も意識を取り戻さない。


 県内でも最高峰の医師からは、いつ意識を取り戻すかは分からないと指示を受けた。


 いわゆる、昏睡状態で、生死の境を彷徨っている。


 看護師や彼の家族から意識が取り戻し次第連絡すると聞いても、五人は自然と高校の放課後、この病室へ集まっていた。


 義務感などではない。


 彼が意識を取り戻した時に取り乱さないよう、いつもの五人がいると安心してもらうためだ。


 五人の中で唯一の男__睦月奏汰むつきそうたが一時間何も言葉を発しない彼女達に向かって売店で何か買ってくると伝えた。


 制服姿の四人は『ありがとう』と言わんばかりに微笑むも、目線は綺麗な顔をして今も眠る男へすぐに戻した。


 睦月が四人にしてやれることはコレしかないのだ。彼女達、いや、睦月を含めた五人の心は、大黒柱が無くなったように不安定だった。睦月はその危うさに気づいていた。


 きっと彼が意識を取り戻さずこのまま眠っていれば、彼女らは多くの時間をこうして過ごすことを厭わないだろう。


 彼を何年も待ち焦がれるだろう。

 もう訪れない青春を犠牲にしてでも。


 睦月は喉に詰まりを感じつつも、立ち上がって歩き、ポケットに手を入れる。ポケットの中には彼と買いに行ったお気に入りの革財布があり、ひんやりとしていた。


 睦月がそうして、引き戸を横へズラそうとした__その時、ピピっと音が鳴る。


 今まで、細波のように小さかった波形のバイタルが急遽昇っていく。


 五人は息を呑んだ。


 睦月は自分が座っていた椅子へと急いで戻る。顔を歪ませた五人は必死に両手を握った。流れ星に願い事をするよりも強く。誰に祈るわけでもなく、彼の帰還を懇願した。


 ベテランの看護師が慌てた様子で六人のいる部屋へと入る。目の前の静かな光景に看護師の女は言葉が出なかった。


 ベッドの端に全員が体を傾け、彼を待ち焦がれていたからだ。これ程までに誰かを愛せる高校生が、愛してくれる高校生がいるのだと知り呆然とした。


 心電図は正常な値として動き始めた。室内はぴっぴっぴっと音が鳴るのみ。


 この五人より先に声を出してはいけないと看護師の女は口許を抑えた。


 職務上、昏睡状態である患者の様子を窺うためにも近くによるべきだ。でも、できない。できない、なんてことは三十年以上看護の道で生きてきた彼女にとって初めての経験だった。


 パルスオキシメーターをつけた彼の人差し指が微かに動くのを看護師は気づいた。驚くべきことだ。


 正常に値が戻ったとしても昏睡状態からすぐさま覚醒する例など見たことが無い。


 彼女達もそれに気づき始めたのか、両手を解き、更に前屈みになった。


 看護師の女は、薄暗い外の雪を眺めた。きっと、意識を取り戻した彼と一番最初に目を合わせるのは私であってはならない。


 今、意識を取り戻そうとする高校生の彼が意識を失った日と同じような銀白の世界が勢いを弱めていく。



「戻ってきて」「帰ってきて」「また、一緒にいたい」「あんたと一緒に帰りたい」



 四人が初めてこの部屋で発した言葉に睦月は、やはり、と思う。


 四人には彼が必要不可欠なんだと。


 この一ヶ月間、彼女達は普段通りだった。会えば、屈託ない笑顔を浮かべ、気丈な振る舞いをしていた。


 彼のことを口には出さなかった。悲しいも辛いも言葉にはしなかった。


 でも、彼女四人の眸から流れる静かな涙を見れば、それは押し込めていたんだろうって分かる。


 __なぁ、泣かせんなよ。待ってくれてたんだぞ。こんなに吹雪いている中も来たんだぞっ。


 睦月は親友が被っているシーツを強く握る。


 寝息のような音ではなく、生きようという意識の籠もった強い呼吸音。それが強く耳に入っていく。彼女達は、目元の涙を拭い、帰還を待った。


 蝉の幼虫が中から羽化するように、彼の瞼がゆっくりと開いていく。


 光が彼の網膜に徐々に浸透する。


 夜が明けた朝に彼の瞳に舞い込むのは四人の美少女の顔。朗らかに笑い、まるで赤ちゃんが産まれたときのような喜びの表情だった。


 その端には親友である睦月が荒らしていた息を整えようと天井を見上げている。涙目だった。


 長い眠りから覚めた男の頭には靄がかっていた。それは例えるなら、今まで歩んできた色鮮やかな人生という道の途中に真っ白の雲が浮遊している感覚だった。


 彼のパサついた唇が動く。何かを言おうとしている。


 全員がその言葉を聞こうと近寄った。


 誰もが予想出来なかった言葉であるとは知らずに。


「誰、この子たち__かわいい」

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