第32話
飾利
京ちゃんの様子がおかしい。
風邪を引いて4日も会えない日が続いたからそう見えているだけだろうか。
そんなことを思いながら朝食用に焼いている目玉焼きをフライ返しで裏返してみる。
焼いた目玉焼きの裏側はこんな気持ち悪いのか。とか思いながら京ちゃんを思う。
見たことない一面を見るとザワっとするけれど、京ちゃんに関してもそれに近いものを覚える。
何か言いたげではあるけれど、何を言いたいのかよく分からない。
こんな人だったっけ? と自分を疑いそうになるくらい京ちゃんの様子はおかしい。
京ちゃんは明るく快活だけど心の中はしっかりと落ち着いていて、物事を深く考えている。
それでも私の前だと子供みたいに甘えてくるところが、まるで子供のままでいたい大人って感じな人。
だからきっとこの4日は寂しくて、いっぱい甘えたりイタズラを仕掛けたりするだろうと踏んでいた。
それに私も風邪で会えなくて寂しかったし、それはメッセージの数から京ちゃんも同じだと思って身構えつつあったんだけど……。なんか復帰してからはチグハグとした距離感だった。
京ちゃんの例の”確認作業”なのかな。けれど、それにしてはこちら側への追い込みが足りない。
もっと追い込まれないと私は何も感じない……とか言うとドMみたいだな。
でも事実としていつものような心がブクブクと泡立つような感情にならない。
罪悪感を増長させたり、別れを匂わせたり、元カレのいる喫茶店でヨリを戻すフリをしてみたり、今考えたら香水のときの喧嘩もそうだったのかな思ったり。
仕掛けられたモノだって気付いてないものも色々あると思うけど、今までのは少なからず私の心をぐちゃぐちゃにしてきた。
勉強やシャンプーの邪魔をしたり、小さいイタズラもあったけど、これはイタズラって感じでもない。
うーん分からない。
「あっ」
焦げそうな匂いに反応して火を止める。
「セーフ」
ターンオーバー、両面焼きの目玉焼きを確認してトーストの上に載せる。
これ以上ないくらい不恰好に見えるけどそれも味というものかな。
そう、結局のところ重要なのは味なんだ。
「意外と美味しい」
この不恰好さの割に美味しい、なんなら片面焼きより食べやすくていいかも。
京ちゃんの「崩れた表情が可愛くて好き」というのと同じ理論。
意外と崩れていても可愛いと思える、なんなら崩れた方が美味しい。
そんな事を京ちゃんは私に対しても思ってるのかもしれない。
というか崩れた顔が可愛いって実際言われてるし思ってるはずだ。
なんてことを考えながら、京ちゃんと会えることに胸を躍らせてトーストを口に運ぶ。
まぁいいか。
嫌ってないのは分かる。
何か言いたいことかサプライズがあるんだろう。
そんな期待のようなものを勝手に抱きながら私は一口、また一口とトーストを頬張った。
時間は7時7分、七星という名字と縁がある数字が並んでいる。
今日はいいことがあるかもしれない。
いいことなんてない、神はいない。
冬の体育は身体に厳しい。
体操着とジャージだけで外を動けというのはもはや体罰なんじゃなかろうか。
「体育……嫌だねぇ」
佳奈がこちらに向かって話しかける。
「こんな終業式間際の12月の寒い時にやらなくてもいいのに……」
はぁと息を吐いて手指を温める。
「暖かくなるのが狙いなのかなぁ?」
「私は暖かくなるより先に苦しくなるタイプだから意味ないかも……佳奈はテニス部だし体力ありそうだから羨ましい」
「テニス部でも寒い中でのマラソンは嫌だよぉ」
鬱な気分を2人で共有して分散しながら校門へ向かう。
なぜ冬になると長距離走が始まってしまうのか。
準備体操ですらしんどかったのにここから長距離を走るなんて絶望しかない。
立派なでっかな学校全体を3周。運動部でもない女子には無理がある。
正直なところ走り切れる方がおかしいと思えて仕方がない。
「京ちゃんは……問題なさそうでいいな」
京ちゃんの方を見ると、目が合ってすぐ逸らされた。
「今日はなーちゃんの方ばっかり見てるねぇ、紗柄さん」
「そうなの?」
気付かなかった。
目が合うのはいつものことだけど、そう言われるってことは、きっと私が気づいてない時にも京ちゃんはこちらを見てるってことだ。
「なーちゃんと一緒に走りたいのかなぁ」
「どうだろう」
「ワタシ先に行こっかぁ? なーちゃんと紗柄さん一緒に走れるように」
「大丈夫だと思う。というか佳奈とは一緒に走れないよ……体力的に」
顔の前で手をひらひらさせると佳奈は「それもそうかぁ」なんて笑いながら肩を叩いた。
「ほら、はやく集まれー昼休みなくなるぞー」
体育教師の山口先生にキツい言葉に急かされながら、校門にゾロゾロと集まると先生は大きな声で私たちに言う。
「はい、じゃあ外周3周! 終わったやつから着替えて休み入って良いからな。よーいはい!」
パン! と手を鳴らし、それに合わせて走り出す。
私はゆっくりと見送るように走る。
早い人が走れば時間の余裕を持って走りきれるだろうけれど、多分私の足だとギリギリ授業中に間に合うか……。
憂鬱すぎる。
背中の集団がどんどん先に離れて冷たい風が顔に当たる。
遅い組と速い組の差が開いて、京ちゃんや佳奈の背中が小さくなる。
高低差の激しい外周コースを恨みながら、私はひたすら疲れないことを意識しながら無心で足を動かした。
1周目を超え2周目の半分のとこまできた。
1周半、やっと半分。
疲れた。徐々に先頭組が、私や遅い組の人たちを追い抜いて周回遅れにしていく。
あの子たちは早く昼休みに入れて羨ましいなぁとか、少しだけ羨まし嫉妬の視線向けていると後ろから肩を叩かれた。
「飾利っ!」
顔を赤くした京ちゃんが1周差をつけてきた。
……体力お化けめ。
そんなことを思ってたら唐突に私は手を掴まれる。
「一緒に行こう」
「へっ? うわっ!」
疲れて頭が回らない中で、京ちゃんの温かい手は私の冷たい手を取って走り出す。
ペースが上がる。息も上がってくる。
「ちょっ……! 息……ついていけな……」
「これ以上、離れたら戻れなくなっちゃうから」
どんどん京ちゃんに引っ張られてペースが上がって、私の吐く息にぜえぜえとした喉が鳴るような声が混じりはじめる。
「……こっち」
「ちょっと!」
長距離走が速い人は走ってる時の感覚を風になるみたいとか言うけれど、私は手を引かれてもそんな感じはなく、ただなすがままに引っ張られる鯉のぼりのような気分で京ちゃんに引かれている。
しかも外周から外れた学校正面の団地群の中へ連れて行かれている。
「ここならいいかな」
「ちょ……ちょっと……京ちゃん……」
京ちゃんは息が上がっていないけれど、私は会話すらもギリギリなほど息が切れている。
団地の階段の部分にへたり込む。
疲れた……というかもう、体がだるい。
お互いに体温が上がって息が白くなっているというのに京ちゃんはピンと立ってへたり込む私を見ている。
少しずつ息を整えて鋭い目でこちらを睨むように。
お互いに寒い中でこんなことしなくても……
これは……確認作業なのかな……
頭の中で考えることですら絶え絶えになりながら私は京ちゃんを見つめる。
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