【6月30日 初夏の夜に狼狽える】

第8話

「やっぱ綺麗だよね」

「何が?」


「京ちゃんの家のお風呂」


「あー、まぁお手伝いさんが来てるからね。自分じゃ手の届かないところはやってもらってる」


 京ちゃんはお風呂のお湯を両手で掬い上げて、その隙間から水をこぼす。


「……お金持ち」


 私はボソリと漏らす。


 一人暮らしをしているのは彼女のお父さんの別宅らしいのだけど、それでもマンションの高層階。


 私のお母さんも会社を経営してるけど、どのくらいの規模感の経営者になればこれだけ差がつくんだろう。


 流石にウチのお風呂は女子高生2人が入って余裕のあるサイズ感ではない。

 お母さんを超える経済的な強さを、お風呂のサイズから感じる。


「たしかにお父さんはお金持ちだけど、お手伝いさんのお金は一応私が出してるよ」

「えっ? どこからそんなお金……」


 穏やかなお湯を波立たせて、私は前のめりで京ちゃんを見つめる。


「小さい頃にお父さんの教育で資産運用させてもらったの。それで生まれた利益がお父さん名義で作った私の口座に入ってて、そこから生活費とか使いたいお金が引き落とされてる感じかな」


「そうなんだ……えっ? で、でも資産運用って……いくらくらい利益出たの?」


「3億くらいかな? センスあるらしいよ。お父さんが言ってた」


 肩を竦めて笑って見せた彼女を、私は何か別世界を眺めるような気分で見つめていた。


 ……お母さん。私はもしかしたらとんでもない玉の輿に乗るかもしれません。


 お母さんの会社が資産運用に困ったら京ちゃんを頼るのはありかもな。

 とかなんとか思ってると京ちゃんは私の肩を撫でた。


 ピクリと体が小さく跳ね、チャプンというお湯の音が、静かな時間を作る。


「……どうしたの?」

「飾利、玉の輿とか思ったでしょ」


「い、いやぁ……?」

「いいよいいよ。普通そう思うって! てか、顔引き攣ったね、ふふっ!」


 引きつってたんだ。

 湯船の水面を眺める。


 残念ながら私の表情はユラユラした輪郭で反射して確認できない。

 2人が向かい合うように入っても、まだ余裕のある大きい湯船。


 水面の奥で京ちゃんの細く長い足が、私の足の間に入り込んで絡まっているのが見える。


 まるでイソギンチャクみたいに。


「そうだ飾利。私ね、シャンプー替えたんだ」

「へぇ……そうなんだ」


 今までの匂いも好きだったんだけどな。


 小さい頃に通ったコンビニがなくなるみたいな、少し物悲しい気持ちになる。


「匂いが好みかどうか気になるし、使ってみてよ」


 私が使うの?


 京ちゃんのお願いって子供のおねだりみたいで、なんか聞いちゃうんだよなぁ。


 そんな感じで疑問には思ったけれど言葉にはせず、湯船を出て足を滑らせないようにしながら鏡の前のバスチェアに座って、シャワーのぬるま湯で髪の毛を濡らした。


「そういえばシャンプーとトリートメントって違うメーカーのでも良いのかな。私あんま意識しないから分からないや」


 髪を絞って水気を切っている音に紛れて、京ちゃんが呟く。


「んーどうだろ。同じじゃなきゃダメってことはないんじゃない?」


 シャワーを止めて髪をまとめてる時にそんなことを言った京ちゃんをチラリと見て、黒い半透明なボトルの右側にある方をツープッシュ。


 右からシャンプー、トリートメントの順に並んでいて中が見えるけれど、京ちゃんの家は明らかにシャンプーの方が減りが早い。


 もしかしたらショートの京ちゃんよりロングの私の方が、消費に貢献してしまっているかもしれない。


「なんかシャンプーとか使いすぎて申し訳ないかも」

「別に高いものじゃないからいいよ」


 すると京ちゃんも湯船から出てきて私の背後に回った。


「どうしたの?」


「いや、せっかくだし鏡越しに見届けようかと思って」


「いやいやどういう……まぁいいか」


 2人でやるこんなよく分からないノリも悪くない。

 なんてことを思って手に取ったシャンプー毛先で泡立てる。


 泡立ててる最中も視線を感じる。


「そんなに私のシャンプーが気になる? お風呂の時いつも見るよね」

「私さ、髪の毛伸ばしたことないんだよね。だから一回一回大変そうだなって」


「うーん、まぁ慣れちゃえばそこまでじゃないよ」


 ずっとショートなんだ……。


 ロングにした京ちゃんを想像してみるけど、あまりしっくりこないや。


 泡泡になった毛先を頭頂部に持っていき髪に揉み込む。


 たしかに京ちゃんのシャンプー姿を見た時、こんな作業をやってるのは見たことないな。


 逆に私は髪を短くしたことがないからショートの感覚が分からない。

 ショートはやっぱ楽なのだろうか。


 楽だろうな。ドライヤーの時間が全然違うし。


「私は飾利と違ってめんどくさがりだしなー。シャンプー流すのミスりそうだ」

「私も疲れてる時は洗い残したりするよ」


「へー、じゃあ残さないように手伝わなきゃだね」


 そう言って身体を密着させた京ちゃんは微笑みながら私の手を上から包み込んで頭皮を揉むように動かす。


「ちょっ京ちゃん……」


 くすぐったいのが半分と気持ちいいのが半分。

 私の指の間から京ちゃんの指がするりと抜ける。


 徐々に気持ちよくなってついついウットリしていると


「私って美容師向いてるかな」


 なんてことを言ってくる。


「じゃあ進路は資産運用する人か美容師だね」


「飾利専属のって書いたら先生笑うかな」


「笑うというより『真剣に書きなさい』って怒ると思うよ」


「真剣なのに……ふふっ」


 そんなことで笑い合う。


 京ちゃんの笑い声も、指の間から感じる京ちゃんの細い指も、腕、肘、胸、私の身体に触れる全ての感触が心を暖かくしてくれる。


 最初の1ヶ月はこんな触れ合いに緊張したけど、今は当たり前みたいになってる。


 お母さんに抱っこをしてもらった時みたいな、眠れてしまうような柔らかいベールで包まれてるように心地がいい。


 スベスベな京ちゃんの身体は擦れることなく私の肌の上で滑るように触れ合う。


 肌で京ちゃんを感じると何かを共有してるようで、特別な関係であることが分かる。


 特別があるだけで安心できる。


 ただ雨の中で出会って、一度弱いところを見せただけなのに自分でも不思議だった。

 ただあの出会いがあるから京ちゃんの前でなら何も考えず嬉しくなったり悲しくなったりできる。


 親友の佳奈かなといる時ですら子供でいちゃいけないとか、周囲が抱いてるであろうイメージに合わせなきゃいけないとか自分の中で考えちゃう。


 何も考えなくていい。感覚で付き合える。


 多分、初めて激しく感情をぶつけてしまった相手だから甘えてしまっている一面もあるんだと思う。


 小鳥が初めて見た相手を親だと認識して徹底的に甘えるみたいに。


 だからこそ、その安心感に少し依存しちゃってるのかもしれなくて、それが一方的なものだったらどうしようと不安でもある。


「痒いところはありませんか?」


 そんな薄暗い感情を洗うように、京ちゃんは声をかける。


「大丈夫でーす」


 そうやって鏡越しにお互いを見て吹き出すと、後ろから長い腕が身体に回る。

 閉じ込めるように包まれる。


 右肩に顎が乗って、くっついてないのに京ちゃんの頬の感触を感じる。


「ほらほら京ちゃん。流すから離れて」

「はーい」


 なんか親子みたいだな。


 とか思って京ちゃんが少し離れたのを確認して、シャワーを浴びて髪を流した。

 私は流し残さないように丁寧にすすぎ、シャワーを止めて髪を絞り水気を切る。


「あれ」


 けど流し残してた。


 ぬるっとした感触が手に残る。


 髪が長いとたまにこういうことがあって少し面倒くさい。


 京ちゃんの家では初めてかもしれない。

 洗い残したシャンプーを流すためにまたシャワーで頭を流す。


 そしてまた髪を優しく握ると


「……ん?」


 まだ残ってる。


 京ちゃんの新しいシャンプーってこんなにしつこいの? ロングだと残りやすいのかな


 またシャワーで髪を流す。


「ねぇ京ちゃんこのシャンプーそんなしつこい?」


 鏡越しに聞いてみる

 京ちゃんはどういう意味を聞かれてるのかが分からないようで首を傾げている。


「……むぅ」


 夏が近づいたとは言えまだ初夏、裸で湯船の外でシャワーを浴び続けるのは流石に寒くなってくる。


 早く流しちゃいたいんだけど……。


「……あっ」


 またシャワーヘッドを片手に持ち、頭を持ち上げて流し残しをシャワーで全部すすごうとしたら鏡越しに目が合った。


「……なにしてんの?」

「え? あぁ、なんだろうね」


「手に持ってるそれは?」


 目線を下げると京ちゃんの手には黒い半透明のボトルが見えた。

 トリートメントの右側に置いてあるはずのシャンプーのボトル。


「……あぁー。美容師志望としてはもう少し髪を洗浄した方がいいかなって」

「ちょっと」


 バスチェアの上で180度回転して半笑いの京ちゃんに向き合う


「……」


 じろりと見つめてみても悪びれる様子なく私は寒いのに温かそうに顔を赤くしてこちらをみてた。 


「もう、怒らないでよ~」


 すると精一杯怒ってるということを表明してみたというのに、なにか我慢が出来なかったのか京ちゃんは私を抱きしめた。


「ちょっとっ、危ない……!」

「あっと、ごめんごめん」


 京ちゃんは私の少し腕を引いてバランスを取った後、そして両手をこちらに見せた。


「……」

「ふふっふふふ……はぁ~っ」


 息を大きく吐いて京ちゃんは笑った。


「なにが楽しいの?」

「いや、可愛くて」


 あー……なるほどぉ。


 これはまた私を怒らせる”確認作業”らしい。


 怒ってたというか、呆れてたというか……また顔に出てたみたい。


 今となってはお互いが何を考えてるかは分かるようになってきたけど、京ちゃんに限っては突然何を思いつくかが読めない。


 京ちゃんは楽しそうに腕を伸ばして、持っていたボトルをキャビネットに置いた。


「そもそもなんでこんなことしたの……?」

「テレビでユーチューブ? ってやつを見たらこんなことやってたからさ」


「あの大きいテレビでそんな小さいイタズラを」

「初めて見たけど面白いね。そのおかげで飾利の怒った顔も見れたからよかった」 


 また湯船に戻る京ちゃん。


 それを見届けて「もうないな」と心で思ってまたシャワーを浴びた。


 そして髪の水気を絞ってトリートメント。

 あれ? そういえば。と気づいたことがある。


「このシャンプーだけどさ、匂いしなくない?」

「あぁ、無香料だからね」


「匂いが好みか気になるって言ったじゃん」

「また怒った」


 ふふふと京ちゃんは笑う。


 それにつられて私も諦めたように笑いが溢れる。

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