しかし教師たちは、微妙な形でいつもその責任をとらされる。書いた言葉ほどに言葉はまっすぐ出てゆかない。言葉はいつも曲っている。自己弁護のために卑屈になったり、悪意ある毒をふくんでいたり、酔いにまぎれて感情を誇張している。相手にさほど響かなかったのならまだしも、忘れてくれることを願わずにはいられない。ことわれるはずだのに、口にすると、言葉は曲った。そのいやな後味が口のあたりにていのようにあって消えない。あたかもそれは、二の轍を踏ませまいとする父の助言が、また別の形で息子に轍を踏ませることを強いるかのようだ。息子は轍は踏むまいが、同時に父のすすめにもさからうので、結果第三の轍を踏む。この第三の轍は、曾祖父が踏んだものと同じである。こうしてどちらかを推せばどちらかが引っ込むおそれを助言はなしとしない。


 超越性は君のなかで皆無か? 身体として純粋であるか? それだけがのぞましい。君は君なりの役目を負って生まれてきたのであり、貢献したところの社会の益〻の興隆を、君は死して見護るのだ。それだけだ。それが宗教の凡てであればいい。後代君はたたえられ、仏の一体となり、あがめられるものそれ自体になるのだ。


      ・


 私のなかで、魂は、いかんともしがたく水として凝結してきた。否まことに魂とは水のことではなかったか。私は水を吞むごとに、魂を呑んでいると思った。

 或る風のあわただしく吹く日だった。夜に入って雨がまじった。風は面でもって家をおしるがすかと思えば、気まぐれに、屋根の下長く突出した化粧けしょう垂木たるきを指でおさえるかのように、甲高かんだかい笛のをひびかせた。二階の窓越にみえる引込線ひきこみせんは今にも引きちぎれそうに、碍子がいしにつながれ、おりかえし低圧線は、空よりもなお、真黒まっくろに立ちすくんでいる柱と柱のあいだを、五線譜のようにもてあそばれつづけた。地所の裏手では、雑木ぞうきの根をおおう丈たかいささやぶが、間をおいてばらばらと打据えるような雨脚あまあしの白い音につられて、狂人のようにたのしげに髪を振りみだしはじめ、階下したの食堂にいた私たちは、渾然として聞きわけなかった。

 私たちはさしむかいに心地よい静寂を噛み合っている。まして今日は戸外そとは荒れもようで、私は咀嚼の音を聴かれずにすみ、いつもよりものの味がわかる気さえするのだ。そんな少女のような気あつかいを私は抜きにしない。妻は料理が上手く、私にことごとに感想を求めた。そういう時、長男ならものにたとえんに、私たちを驚かせ、しかも味覚にぴたりとかなっていたものだ。妻はもう私に何も求めなくなった。私は自分の殻にあつらえ向きにできすぎている私でいることがときどきたまらなくいやになると、急に長男の真似事をしはじめるのだった。

 手をにぎり合い、瞳のなかをのぞき合ってたしかめるような愛では、私たちの間はとうになくなり、たがいの予測可能性のしきいを守ってうごき合うことが、今ではたがいの愛をあかし合う方途だった。私は私の予測を裏切るような私自身へと挺身することができないで幾星霜ををはんぬるのである。

 しかし私たちが実のところ嚙みつづけているのは、自殺者を出した家庭の空気そのものであり、口に入れたものは、おがりのぶっぱんのようにかたくかむ歯に逆らうのだった。

 斧の下にたちわられた夜の金創きずぐちから、昼がのぞけて、ほとばしり、たちこめる闇の寄せ手からこの食堂をへだてるばかりの真黒まっくろな硝子窓の向うに、一瞬だが、神がうつった。怒号はおくれてやってきたが、とにかくすさまじく、はたと雨がふりむかと思われた。

 電燈がいつもより暗い気がした。蒼ざめた壁紙の見なれぬところに私は黒い染みをみつけた。眼鏡をかけていなかったので、目を細めた。妻の頭ごしに、古い冷房が迫出せりだしており、その下は大きく四角く壁が切られて、金網かなあみ入りの出窓まで、奥が尺余しゃくよある。染みはその冷房の下の壁の余白にあって、気のせいかしらんが、ずるずると下へずれうごいているように見える。

 私は心だけで身構えた。この雨だ。何が這入はいってきても仕方があるまい、と自分に言い聞かせ、そこから目をはなさずに、手さぐりで机の上の眼鏡をさがし当てた。

 それは大きくて、莫迦に動きのおそい蠨蛸あしだかぐもである。その今にも剥がれ落ちんとする垂直面のわたりは、何か跛行はこうでもするようなつり合いの取れなさで、見ていられない。この蜘蛛はおそらく母親で、八つの脚のあいだに真白まっしろなラムネ菓子のような円盤状の卵をかかえていて、やむをえず人目につくような道行みちゆきに血路をひらこうとするかのようだ。それは迂闊さではなく果敢さに私の目に映った。私はこの母親の多端な前途に、驚きからさめるとすぐに、惜しみない声援を送った。

「どうかした、さっきから?」

 私は彼女を妻の目から匿いたい気がした。どうしてだか、動物の子育てをするすがたを見るのが――人がそうするのにもまして――、いつも人間らしい思考を拒むにくらしい彼らが生を遂行しようとする一途いちずさにおいて、人間を凌駕するがゆえに、所好すきだった。早く隠れろ、と念じたが、彼女は糸を扱えないで、そこで切れている壁から下へ、もどかしいまでに行きなずんでいた。

 妻は振り返り、「いやだもう。なんで見てるだけなの」と言いさま席を立った。

 そこの勝手口を下りてすぐのアルミサッシに夜が体当たりを仕掛けてきた。鐡葉ブリキのバケツがころがる音がする。この雨のなか、彼女をほうり出すのがためらわれた。

 妻は金属光沢の赤いスプレー缶を手に、いきなり薬液を噴射した。白い中啓ちゅうけいがとばかりひらかれる。霧のむこうに、たしかにころがりおちた感触がある。

 母親は長い脚を隙間なくちぢこめて、窓台カウンターにうつぶせに平伏して了う。妻が追撃ちをかけた。風圧にあおられて、卵をかかえた硬直した姿勢のまま、車のように横転して止った。母親はもう動かない。ややあって白い円盤がむれたようにほぐれたのだった。半透明なものが次々とまゆを突破ってあふれだした。

「すごい」

 見とれていた私を、妻がはげしくなじった。

「ねえ。見てないでちゃんと潰してよ」

と言いながら母親の体を、半ばやぶれた卵ごとティッシュに包み込んで、屑籠へ捨てるのだった。

「まあ、いいじゃないか。そこまでせんでも」

「自分のお部屋じゃないからってそんな」

 ろくに見えもしないものを二人して捜した。シンクの上を歩いている蜘蛛の子を、私は潰すふりをして見のがしてやった。


 その夜、私の夢寐に長男があらわれて、

「父さん。俺も人生ってのをやってはみたんだ」

 と言った。私はあいつがこんな感傷的なことを言うはずがないと思ったが、彼の嫁には申し訳がなかった。人生を人生と詠歎調に物質化してしまう文学的な男に息子に育ってほしくなかったところから、人生そのものをすすめたのも、他ならぬ私だった。かくして第三の轍は生じた。

 人の美点をつなぎ合わせて一個の架空の人物を仕立て上げ、あれが人生だと叫び、そんな継ぎはぎ状の一反いったんの人生という布を着ねばと、嫉妬し、自分の人生を脱ぎすててしまう、そういう弱さは息子からは遠い。誰も人生などというものを生きてはいない。何一つたしかなもののない空疎に堪えつつそれをかきみだす風とならんとすることだけが、唯一にして正当な人生の表現である。


 目がさめた。もういくら眉根をしわめても、まなうらのにぶいおきのような熱さはどこにやりようもなくそこにある。妻の寝息もきこえないほどに、雨である。

 幾千万條いくせんまんじょうもの白い釘によって刺し貫かれた瓦屋根が暗い天井ごしにどよめいている。もはやこの世の頭上に雨でない場所などなかった。

 暗い中にしとどにぬれた瓦の手ざわりが思われる。雨足に踏みとどろかされて、屋根はその下にのうのうとほこりの降積るにまかせられた私たちの横たわる空虚を、雨の弾幕から支えつづけているも、私は自分が濡れないでいることがふしぎでならない。夜着の裾をかかげて、寝巻の袖をひっくり返してみた。やはり濡れていない。湿っているだけだ。そのことが不満だった。埃の匂いが急に私の鼻腔びくうを搏った。なぜこれらを洗い流してくれないのかと不満だった。私はまだ寝ぼけているのかもしれない。

 樋を伝いきらない水が滝のように落ちている。それさえが、尿いばりのようにたよりなく聴こえる。不快な熱のこもるとこ凝然じッとして夜が明けるのを待とうと考えた。雨足は踏み破らんばかりにとどろである。ついに私を迎えに来たかと思う瞬間があった。眠りの浅瀬を、私は行きつ戻りつする。

 思い出のなかの白さは、とびたつ翼の輪郭の白さから微妙に乖離して見えるものだ、などという、わけのわからぬことをそれからの私は寝床でまじめになって考えていた。私の目のなかで白くひらめく光りの正体を追って、しかと捕えようにも、とびはねる形に、私はついに何かを捕えたような気がした。しかし、やはり夢のいつものやり方で、ふたたび覚醒したとき、夢のなかでつかんだものは置き去りにさせられた。

 小止みになってきたのを合図に、いいかげん起上がった。とばりをしぼると、雨戸が立ちふさがった。牡蠣かきがらをこじあけるようにして朝の目をひらく。曇如どんよりとした暁闇ぎょうあんの光りは些少であるのに、まなこうちらからの光りに灼かれるようなまぶしさだった。とこうする間にも、雨はすきまなく落ちてくる。洗い流すという言葉がもたらす涼しさはどこにもなく、世界がじっとりと汗をかいているような匂いなのである。

 私の目は北のかた、笹藪をこえて、緑の丘の起伏の間を落窪んでゆく田が、雨にけぶるさまを見ていた。たえまのない緑が、空の色に溶けてしまわぬよう、画面に渋みによってその底に澱ませている山並は、ほとんど墨染すみぞめである。同じ緑であるとは思われない。咽喉が自然に鳴った。私はなにかしら渇きをおぼえた。


 一歩戸外へ踏み出したら、そこは洪水だった。車寄くるまよせの下の三和土が岬のようにしらじらと突出している。私は框にゆっくりと腰かけ、護謨ゴムながに穿きかえた。

 みなもは間断なく雨に刺されて、消えるそばから、そこにあらたにおかし合う楕円をつらねなおす巨蛇うわばみうろこのようにくりひろげられている。前途ゆくてには、空の鈍い光りが、路傍みちばたの栗の木蔭と交錯し合いながら落ちた。うがたれた地面は鏡をのぞかせ、それがひとつづりに虫喰むしくいだらけの黒い繻子サテンを敷きつめている。

 こんなにも雨は降っているのに、雨粒の一つ一つは、けっして中途では交わらない。私が傘を畳んでも、濡れずには身の置処おきどころもなくせばまる雨粒どうしのこの距離が、彼らにとっての無限なのだ。地に堕ちてついえてはじめて彼らは孤独から救われる。

 はて、それらを憐みを以て見ている私の視座こそは、何であったか?

 測量は私たちを神秘の畏れから救い出したが、時として風景は、見知らぬ顔つきをして私たちに牙をむく。花の一つにさえ、私の知らない表情がある。まして、全貌などとらえるべくもないのに、未踏の、未所有の土地さえも、不当に身近な些末なものとして私たちは心に所有している。ほんとうはすべて心の外部にあるというのに。

 ほうぼうに散っている錯圃さくほを、上流へ向ってたずね歩いた。田は無事であり、いずれゆるやかに傾斜している蔬菜畠も、これが水がたむろするのをふせいでいた。

 私道と公道のさかいは愈〻いよいよあいまいである。目印となるものは集会所と鎮守の杜のほかになく、執拗なまでに自然はおのれをくりかえして、道行くものの上に、自己同一の眩瞑めまいをひきおこさせた。しかもなおそれらがむらがるほどに、どこからということもなく、自己同一は無限にことなる形態へとおのれを拡散させてゆく。自然の底をきわめようとすると、私は自然が、差異化の意志なくして差異化してしまうところに、抗いがたい魅力があるのではないかと感じる。あるいは、差異化してしまうものの根がすべて自己同一の意志であり、だからこそ、自然は私のまえに一者としてたちはだかるのではないかと感じる。

 畑地のすみに、藪萱草やぶかんぞうひとむらが花を咲かせていた。

 だんだんと林縁が押迫ってくる右手に高く、法面からは、そこにそびえる樹の幹が、岩絡いわがらみに冒されて、下へ向ってからまり合うて、緑の黒髪のように垂れている。合間から笹が顔を出し、かえでもあり、その向うに孟宗竹の蒼ざめた佇まいが透かし見られる。高所では、木通あけびの蔓が、猿猴ましらのようなうでを梢にからめてつたうている。それがだんだんに私の頭上を蔽い、また道は、左手にあった広濶な野から見放されるかのように高まってゆく。

 すぐわきに家屋の二階が、私の足下にある。こし屋根やねがこちらに破風を向け、裾ひろがりの桟瓦さんがわらが、ガードレール越に踏み抜いてしまいそうに近い。いや、もう誰かがいたずらに踏み抜いたかのように、瓦は一部めくれ、まいが怒ったさまにそそけだち、朽ち腐れた垂木の間をくずれおちていた。大粒の雨がぽつぽつと私の傘をおとなうのにひきかえ、そなたざまに御簾みすまゐるとて、屋根の上は、白い飛沫しぶきげている。ひっきりなしに雨がかけくだる瓦の反りのところどころに、枯葉の屑が、流れについてよどんでいる。そしてその手前には、油桐あぶらきりの若木が、燭台のような白い花を晴れがましいまでに捧げもって、崖下からぬきんでているさまが、強く私の心をゆりうごかした。

 傘を水平にむけ直して、視野の上半分をさえぎった。柄のさかむけが指にふれた。すると露先つゆさきから水滴がこらえきれずにしげく垂れた。

 まもなく山は、くくりまくらを二つ寄せ合わせるように閉じてしまう。左手に、まきの垣根を低くめぐらしてあるあの角を、右へ曲れば、道は二町とゆかずして絶え、左へ曲がれば、又もとの山裾を迂回する破綻のないおだやかさへと道はかえる。私をこれ以上未知へとひきずりこみはしないだろうという、優柔そうな表情を、この一間たらずの小路は泛べている。

 左へ曲がると、瀬音が高まった。それはいつにないことである。

 ふだんから、旺盛な水辺の草の葉かげをした行く埋もれ水に、田と田の間が少し窪んでいるとしか見ないところが、いまは一条ひとすじの泥の河が、田中たなかを切って、くっきりとほとばしっている。すげが梳られながらその葉末が泥の色に消えている。滝津たきつをじかに踏むようなとどろきが、足下の暗渠の内部に充ちており、橋桁の両がわから、草の中をおよぐ魚の背びれのような高欄がわずかに身を起している。桁自体はつなぎ目のない青い瀝青アスファルトである。

 来た道をふりかえると、雨が簾をおとしているのは、田のあかるい緑にではなく、下草のたえまに、杉の幹のやせた白い長脛ながすねもあらわに、森が内部をのぞかせているところをすかしてのみ、よく見え、そのため白い雨脚は、暗いところで急にあらわれ、田中へおちると見る間に、すっと消えた。簾は風にあおられながら宙に浮いて見えた。

 西を望むと、たまたま田を作らないひなびた原がひらけた中に、例の泥の河が注ぎ、さえぎる榛莾もなく、じかにあおぐろい空に接している。いぬむぎ行儀ぎょうぎしば雀之すずめの鉄砲てっぽうなどの茂るにまかせられながら、田は遺構として、むこう向きに段をなして下りてゆくので、あたかも緑の毛氈もうせんの、下りせばにすぼまってゆく羅馬ローマ観場かんじょうと、見なすことさえできた。

 水勢はここに一段とまして、弧を描き、落下している最中の恍惚を示している。ぶつかり合うしらあわ獅嚙しがみは、そこに歯列はがたがあらわれたように彫塑的である。

 みなすべからくおもてを西方にむかふれば最勝なるべし、とあるのを思い出した。極楽寶国はつねに西にのぞまれるのだ。濁流はこぞって西方をさして急いでいた。私はその一瞬たりとも同一おなじではありえない流体がなぜか止まって見えるのをふしぎに思い、目がくらんでくるのをおぼえなかった。

 降りやまない雨が行方ゆくえをくらました。叩きつけるはねが、ときどきひきつけたように、白滝の裾をあおった。傘が背中を押したので、私はたわむれのように二三歩前によろめいた。すると、次の瞬間、傘は裏返りながら私を追越し、内がわいっぱいに風をはらんで、かなたに帆をあげたのだった。

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