眞夏の氷解

朝尾羯羊

老境の庭

 四十雀しじゅうからの声がしている。

 のどかな家の玄関から見える光景は、むこうに青い山の稜線にかぎられて、だらだら下りの早稲田の広がり、田のもはようやッと空のけしきを映さなくなったところだ。やや左手には、ふぞろいなあらかしの生垣に囲まれた集団墓地が、田の只中ただなかにうずくまっている。私はいつからこうしているのかわからない。玄関を引っ込んで、青いなかに暗い、二段になっているみじかいひび割れたかまちの下段に腰を下ろして、それから――はてどれ位の間こうしているのかわからない。多少のみすぼらしい前栽せんざいからゆるくカーヴをえがいて、小道は、その道幅に引けをとらないくらいの溝をともない、光景をよこぎる黒い瀝青の道に注がれる。この道は、これから山越えをしようという意慾的な道でも、何でもない。ただの道だ。

 庭は黄褐色にかわき、一羽の家鶏かけいがさまよっている。はじめから押花であるかのような寿いのち短い花をごたごたと植えたのは、およすげた少女趣味であるが、しろから、たくさんの羽毛うもう鶏頭げいとうが、蠟燭ろうそくの穂のようにひいでている。おもての道から引き込んできたような黄褐色の土には、先日流れた雨のあとが、いまだ湿っぽい治りかけのかさぶたの形にじくじくとのこされている。

 四十雀の声がしている。遠方では、頭のわるい犬が何者かにむかって吠えつづけているのが、それと聞こえてくる。無遠慮な遠吠とおぼえが、見しらぬ深い森の常緑樹ときわぎむらにしみわたり、やがて食虫植物の如き静寂が口をひらいてゆっくりと溶かしこんでしまう、という聯想が、私の頭の後ろで花ひらいた。私の魂はしばらくの間森深いあたりをさまよっていた。

 老境は私に今更ながらさまざまな手広い関心を手にすることを許した。が、しばしばそれを自身の才覚ゆえだと信じ、若者の感性のせわしなさをあざわらうことで、老人はひそかに人笑われになるものだ。必ず自身の若い頃を忘れている。なぜなら若い頃は、この涸れた身体との対照が示すほどには、私から遠くはなれていないせいだ。政治への興味関心、にわかに勉強熱心となり、ひまに飽かせて本を読む。だが、もし若いのに政治に関心をもっている者がいたら、一種の虚栄心から、若い私はそいつをあざわらっていたに相違ない。

 私はつい先日まで高校の教員をしていた。縁もゆかりもない学校だ。そこにもやはり、還暦をすぎたにわか仕込みの読書家が一人はおり、くしくも彼と同い年であった私は心の中で彼のことを恥じていた。

 教員は驚くほどに教え子の顔を見忘れない。教員が扱っているのは無形であり、完成するということがない。否、何が完成するともなく、時間だけが過ぎ去り、完成したという擬制を強いて送り出すので、教え子の数だけが殖えてゆく。教え子が彼の成果だというのなら、成果は年々殖えてゆく。そういう風に考える教員も中にはいる。生徒は全的に生徒を生きているのに、教員が全的に教員であることはない。いくら気取っても一生活者にすぎず、相対しているわずかな時間の背後にある生徒の個人的努力にほとんどすべてを賭けながら、あたかもその不可侵の時間をも共に過ごしたかのような顔をするのが、教員の厚かましさであり、生活者であったという条件を、遡及的にその度にとりのぞき、純粋な教育の場へとかえり咲くこの無意識の操作において、自身の教え子への影響力を反芻するのである。

 おそるおそる学的にのみかかわろうとしたくせに、結局のところあなた任せな完成から、人間的なものを教員は手元に還元しようとする。仮に、私が教えたことで、学科がめきめき上達した子がいたとしても、私の何が、彼にどう作用したのか、這般の消息は謎である。それを、私の御蔭として受け取るためには、あまりに謎が多すぎる……。

 この歳になってはじめて読書のよろこびを知った、という老教員は、大量の蔵書を抱え込んだ、一人の年老いた学生のように校内を歩いていた。その背中はいかにも愉しげであった。

 とは言え、私は私の目に見えるだけの、感じられるだけの、滑稽さの材料になりかねないものを人に与えないよう気を付けていたにすぎなかった。たとえば、天職などという幻想にしてからが、そもそも息子が私にむかい警鐘を鳴らした忌むべきものだ。

 三十四の時に教職に就いた私は、オールドルーキーだった。私はいつも鼠いろの背広に白のシャツ、ツータックのパンツを穿いていた。夏になると、背広を脱ぐので、胸ポケットにさし入れた赤のボールペンの、しまい忘れた尖端から、洋墨インキがにじんでいるのが生徒たちからは見え、それを指摘され、笑われた。私はその度に「また奥さんに叱られる」などと言った。

 学級は幾たびも担任したけれども、学年をまたいで私が物理を教えにゆくと、みな私のことを講師だと思うらしかった。講師のように飄々として見えるらしかった。

 二つの企業に勤めてから、意気揚々としてこの道に進んだが、途中から空恐ろしさにつかれて、授業以外の口上を――便々だらりとした式典風の教訓をのべることを執拗に避けつづけてきた私が、一介の講師らしく、飄々として見えるのは必然であった。

 庭はかわいている。玄関の鴨居の上の余白には、稲藁をまきこんで耕された土の一塊が、天日にほされたように、へばりついて冷えて固まっている。土壁からおのずから生じた癌のようでもある。直下を消えない白い浸染しみが広範にたたきをよごしている。

 この玄関庇を目深な帽子とかぶるかぎり、太陽がもたらす青と明るさは、生の過剰の印象をあたえる。

 今年もまた、ここを見放した燕のために、玄関を明けはなしておく習慣が抜けない。柔毛にこげにつつまれた小さな体が壁にこすりつけられる時の、不穏な、しかしそれと気づけば、言葉を介さぬ隣人を得たような、羽交いの、あるいは爪で蹴立てる音を、私はいつかも聴いていた。ところが、いまはそれが私の内部から聴かれた。知らぬまに何者かを棲まわせている木の洞のなかで、老木の風雨にきしれる音を私が聴いているのである。私自体がひとつの空き家だと感じると、この家が空き家だという感じは稀まった。

 私は希望をさずけえない、という絶望。最後に希望を見つけ出すのは個々人の裁量にゆだねられている、という何ともたよりがいのない放任。私は希望を持っていなかった。

 私は社会に出てはじめて不快感というものをおぼえた。私の二十代は二十三時までの残業だった。そこで私は、社会のいたるところで基調となっているばかばかしいまでの勤勉さ、生まじめなばかばかしさというものの実質にふれ得た気がした。それは結局、何らの努力をする前から、自分がただそれに引きずられるだけの労働を生まじめに過大評価し、なるだけそれ以上はすまいと、悲劇的な意志を固める、それ自体だらしのない雑巾の堆積がはなつ腐臭を、毎日嗅がされることの苦痛に他ならない。私は、私の学生時代はこのためにあったのか、と思った。

 忘れられない悪夢のような生徒との邂逅がある。私は亡くなった息子の顔と同時にその教え子の――いや、ただの通りすがりの学生の――心底恨めしげな、同時に私をさげすむような顔にいつも遭遇する。

 職員室にある私のスチールデスクは、私がもといた会社のデスクと何ら変わりはない。それはかわいている。机の上は山積している。物体として、鞏固なまでにそこに据えられている。それは実際、私の生活以上に鞏固な組成をもっているかのようで、デスクの固さは私の生活を上回っており、意味論的にデスクの方が自身を固さによって忠実に再現しており、私に対しては侮辱的である。私は私の意志でそれを動かし、外光からの、照明からの、空調からの、隙間風からの、あるいは同僚からの好個の距離をはかることもできない。私はそのデスクの固さに従わせられている。

 現場はかわいており、教諭などとは名ばかりに、逆流的である。職員室にたちこめているある荒涼としたものは、教員が教員以前に何者でもないこと、教員以前にある彼のただの空虚が、世と共に、ひしめいていることに由来している。かわきは逆流を惹き起こす。言葉によって自身を流出させ、そそぎ込む場であるはずのところで、我々は吸い上げようとしている。あたかも、教諭すべきことを教育の現場から吸い上げようとしているかのように、教員は自身の空虚にかわいている。

 まるで当為の蛭だ。

 何度も言うように、私は希望をもたず、社会からは不快感を得ており、そして、教育の現場に希望の光りを見ようという――それゆえ最後に希望を見つけ出すのは個々人の裁量にゆだねられていると私に言わせるところの――あいな頼みを抱いていたからだ。本音を開陳すれば、学生時代のあとに彼らを待ち受けているのは、絶望なのだ。

 だから私は、ほんとうなら、この絶望に打ち克つだけの強靭さと、何ものにもよらない、復唱的でない、自己創出的な目的論をもって艤装ふなもよいせよと、教えるべきだった。私が職掌をこえて、真摯に予告できることといったら、これ以外になかった。


     ・


 春の期末試験後に、成績不振者が呼び出された。

 彼はその中にいた。呼び出しは、藁半紙の小さな短冊によって朝礼時になされ、昼放課に、視聴覚室まで召集がかけられている。彼はその時間にわざと遅れてきた(ように私には見えた)上、そこへ座れと、かけさせられたキャスター付スツールの上でひどく横柄な態度を示した。壇上にいた生活指導主任はいきどおり、彼に、散会後もここに居残るようにと言い渡した。私はそこで一寸した戒飭の任に当たらなければならなかった。

「苦悩があることを僕は知っています」

 と彼は言った。

「苦悩は、よろこびよりも多くのものを御します。苦悩を前にすれば、よろこびは取るに足りません。僕は勉強をすることで、小さな、とるに足りない満足を量産して、充実したくないだけです」

「勉強する気がないなら、君はどうして学校に来る必要があるのか?」

 そこは進学校で、彼の成績はさんざんだった。私が知る由もないが、彼は当時株の執拗な売りをくりかえしている時分で、株を下げているのはほとんど故意だった。それが証拠に、彼は卒業するまでに上位に成績を持ち直していた、と後で聞かされた。

「僕は親に言われた通り進学しただけです。学校に来る必要があるのは、学校をやめるだけの決定的な理由がまだ見つからないからです」

「学校は勉強しに来るところだろう。ちがうか」

 と誰かが言った。いや、私がそう言ったのだ。私は社会そのものの言葉をここで復唱しているにすぎない。結局これが、私の何を白状しているのかと言えば、指導要領どおりの教諭以外なにも教諭できることはない――学校が勉強をしに来るところでなくなった時から私の存在意義は失われる――私は人生の顛末をけみしたこともなければ、人生行路の資料をもっているわけでもない――、ということであり、私はここから自分の白状したことに悖ってゆくことになる。

「なるほど君は勉強している時に、いちいち自分の気持を点検しているわけか」

「いえ。勉強一色で充実している最中に、苦悩が背後から忍び寄ってきたとき、僕は勉強をつかんで離さずにいられるか、自信がないだけです――僕はそれよりも、苦悩を手にしたいだけです」

「小さいな。実に小さいよ君の言っていることは。君は少し変わっているが、他の子たちはね。もっとずっと先のことを見据えているから、君みたいに、足下に落ちている小石のことでいちいち文句を付けないんだ。それに、まだ親許から離れていない君にこれまでいったい何ができたんだい? ――君はまだ、偉大なよろこびというものを知らないだけなんだ」

「偉大なよろこび、ですか」

「ああ。そういうものが手にできれば、君の言う苦悩とか、そんなのは、あっさり塗りつぶしてしまえるんだ」

「……はあ」

 彼はそれ以上追及しなかった。私はその支柱なき言葉を、自分のこわばった神妙な顔のみによって支えていた。

 さかしらぶった教員なら、自分の記憶力を示す意味で、ここでその、偉大なよろこびの事例のために、成功者の言葉の引用におよぶかも知れないが、私はこれ以上は言い得なかった。おそろしかった。それは私の言葉ではなかった。

 彼は私を見極めたようにその後は沈黙していた。私の言葉は私のその後にながく鎖の尾を引いた。私は最後に言わでものことを言った。

「君は屁理屈こいて逃げちゃったんだ」

 彼が、社会が設けた階梯にそって自身を上昇させてゆくこと或いはその欲求自体が退屈だと言っているようで、私はつい反射的に、この時ばかりは体のいい教員面を脱して、一生活者の顔をむき出しにして了っていた。

 彼は勉強を自己表現の場にしたくなかったし、成績の額面によって自分を代表させたくなかった。彼は自己表現の仕方をわれわれに強制されたくなかった。教員が囃し立てるままに――たしかに校風にそういうきらいはあった――自己を確立してしまうことをおそれていた。いまの私はそう理解している。

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