第37話 魔王の決断

「アンジェ、怪我は?」


 吹き荒れる風の中、レイリアは半ば這いずるようにしてアンジェのところにたどり着いた。

 儀式用の衣装なのだろうか?ダボっとした白い外衣ローブを着せられた少年の身体に大した傷はない。手や足にところどころ青あざができている程度だ。

 飛び火するのを警戒したのか。炎はすでに消えている。が、巨大化したままの茶虎猫ジンジャーがぴったりと寄り添っていた。


「リアこそ、こんなに怪我して。ごめん。僕のせいだ」


「アンジェのせいじゃないわ。記憶もないのに、危ない役目を一方的におしつけられたんだから。とばっちりだと怒っていいと思う」


 アンジェが青ざめた顔で俯いた。

 白猫がレイリアの血の滲んだ頬をざらりとした舌でぺろぺろ舐めた。


「封印は?解けてしまったの?」


 アンジェがぼそりと尋ねた。顔を伏したままなので、その表情はわからなかった。


 封印か。

 

 2000年もの間、封じられていた『破壊の魔女』あるいは『黒き聖母』と呼ばれる悪意の塊。人の形をした災厄。

偉大なる方々セイクリッド』が残した聖なる魔道具アーティファクトを見つけ出し、手遅れにならないよう、一刻も早く、『大賢者』の血を引く『運命の御子』に、その力を持って解けかけた封印を再度施してもらう。それが、皇太子から押し付けられた密命。


 最初から、危険な任務なのは承知の上だった。

 アンジェの存在は、あの祭壇での発見当初からアレク第三皇子を通じて皇家に伝わっている。胸の奇妙な印についても。はっきりした記憶がないことも。

 アンジェの胸に魔力で刻まれた『双頭の蛇』こそ、古文書に残る『金の大賢者』の聖紋であり、血族を示す証だと聞かされた。教会と皇家がアンジェこそが『運命の御子』だと断定した以上、レイリアには同行しないという選択肢はなかった。


 前方に見える小高い丘の上、祠だった建物は見る影もなく砕け散っていた。

 その上空辺りは風の影響を受けていないのか。ねっとりとしたどす黒い煙のようなものが幾重にも渦を巻いて立ち昇っている。

 黒い山で黒竜が堰き止めていた瘴気とは比べようがないほど大量に。かろうじて薄明を残した空を真っ黒く染め上げていく。


 おそらく、あれこそが魔界の毒を孕む大気。瘴気と呼ばれるモノ。

 魔女と共に封じられていたはずの魔界の穴が開きつつあるのだろうか?


 そう考えた途端に、ぞっとするほど濃い悪意を帯びた魔力の波動を感じて、レイリアの全身が粟だった。

 なぜだか、レイリアにはわかった。

 この強大な魔力は『封印』の綻びから漏れ出ただけに過ぎない。『破壊の魔女』の力の片鱗が、強風と雷を呼び、地を揺らしていて、現在の天変地異を引き起こしているのだと

 彼女が完全に解き放たれれば、世界は一瞬にして混乱に飲み込まれるだろう。


 行かなければ。たとえ無駄なあがきだとしても。世界を、人々を守る。それこそが騎士の矜持だ。少なくとも、レイリアはそう教えられてきた。


 何とか立ち上がろうとした彼女の背を、成長途上の華奢な両手がぎゅっと抱きしめた。


「リアはこの世界が好きだよね?救いたいって思ってるよね?」


 「アンジェ?」

 

 耳元でささやかれた言葉に、驚いて顔を上げる。

 金色の瞳には今まで見たことがない決意が宿っていた。

 アンジェがふっと微かな笑みを浮かべた。


「リア、大好きだよ。今までありがとう」


 巨大化した茶虎猫ジンジャーがニャーンと鳴き、頭を下げた。くるりと上がったふさふさした尾がゆっくりと左右に振られた。

 その全身が更にむくむくと膨れ上がり、あっという間に馬くらいの大きさになる。

 アンジェがその上に飛び乗った。白い猫がレイリアに軽く頭を下げて、続く。


「アンジェ!ジンジャー!スノー!」


 ようやく声を取り戻した時には、超巨大猫はレイリアに背を向けて動き出していた。

 隠しようもないほど強まりつつある魔力の発生源に向かって。


*  *  *  *  *


吹き荒れる風の中、茶色の毛をなびかせながら、異様な大きさの猫が姿勢を低くして足早に進む。


『どうされるおつもりで、御主人様マスター?』


 騎乗する(?)主人の腹辺りに潜り込んで丸くなった白猫フリジッドが問いかけた。ちなみに、少しでも進みやすくなるようにと、強化した薄氷の盾アイスシールドを張り巡らしているので、楽をしているわけではない。


『俺ができるのは、巨大化と火炎系の術くらいだぜ。通じるとはおもえねぇな』


と、できる限り急いで進みながら、困惑気味に巨大猫パファビッドが呟いた。


『ですよねぇ。私が使えるのは、氷関係の術だけですし。そもそも、あんな巨大な魔力、ありえません。魔界の気をどんどん取り込んでいるうえに、別種の大きな魔力まで絡み合って暴走してる。完全に魔人もとに戻れたとしても、私たちでは勝負になりません。太刀打ちできるとすれば、封じられる前の御主人様マスターくらいでしょう?』


 白猫フリジッドが至極冷静に分析した。


「勝機はある。私の考えが正しければ」


 自分のものではない『夢』の記憶。

 あれが誰も知らない真実だとすれば。

 『黒の聖母』の中に、我が子の記憶が残っているとすれば…。


 右腕に『蒼の腕輪ピューリファイアー』が、左手人差し指に『吸収の指輪アブソーバー』が在るのを確認する。

 レビの説明によれば、『指輪』はある程度強いエネルギーを感知すれば自動的に発動するので問題はない。『腕輪』は『御子』が心から念じればその浄化の力を発揮するらしい。一度は浄化できたのだから、なんとかなるだろう。封じられた魔王の『力』も、今なら、数分くらいなら使えそうだ。たぶん。


「パファビッド、フリジッド、お前たち、自由になりたければ…」


『また、その質問かぁ』


 躊躇いがちに口に出そうとした問いかけは、途中で打ち消されてしまった。


『つい最近も聞いたぜ、それ』


『なぜでしょうね?そんなに自由っていいものですかね?』


『まあ、なんだ。俺たちは御主人マスターのために存在してる。自由なんかより、御主人マスター、あんたの役に立てる方がずっといい。大体、俺たちはあんたが気まぐれに造った命だろ?最後まで面倒を見るのが筋ってもんだぜ』


『同感です。パファビッドにしては珍しいほどの正論です』


 白猫フリジッドがアンジェの胸に頭をこすりつけた。


『ということで、私たちは最後までお供しますよ。ね、パファビッド?』


『ああ。で、どうする?もう、魔女は目の前だぜ』


 少年の中に宿った古の魔王は、口の中で小さく『すまない』と呟くと、忠実な使い魔たちに命令を下した。

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