第31話 父と子
気が付くと、窓のない小さな部屋に閉じ込められていた。
まだ多少しびれは残るが、怪我はない。
簡素なテーブルには大きな水差しと携帯食。贅沢ではないが、生活する分には困らない設備。
上方から馴染んだ清浄な気が感じられる。おそらく、教会本部の地下のどこか。独房というより身分が高い囚人を収容するために作られた隠し部屋だろう。
なぜ一目で気が付かなかったのか。
教会から遣わされた男だと紹介された時に。
教主を表す緑色の聖衣がなくても、緑のベールで顔半分を覆っていなくても。身長や体つきが別人のように変わっていたとしても・・・。
その灰色の瞳は何よりも見慣れていたはずなのに。
「なぜこのような無謀な企てを?教会の開拓者として皇国のために尽くしてこられた猊下、貴方が? 」
格子の向こうに佇む『神官』に口ではそう問いかけながら、ウラウスは別のことを考えていた。
* * * * *
今でもありありと思い出すことができる。この本山に初めて連れて来られた日のことを。
あの時はわからなかった。自分に向けらた灰色の瞳に浮かぶ想いが何なのか。震える声に、そっと伸ばされた手に込められた
けれど、たぶん、今ならわかる。ここで学び、力をつけ、大司教の地位を手に入れた今なら。神官見習の名目で大切に保護され、最高の教育を与えられ、身を守る術まで身に着けた今なら。
ウラウスが何不自由なく生き延びられたのは、目の前にいる男のおかげだ。
フォルギ家の力を持ってしても、彼の存在そのものを隠すには限度がある。あのままでは、いずれ彼の存在が明らかになったに違いない。そうなれば・・・
混乱を嫌う皇族に密かに始末されたか、彼に流れる血を利用しようとする者たちに蹂躙され利用されたか。
『教会』が、いや『現教皇』が手を差し伸べてくれなければ、彼の運命は全く違うものになっていただろう。
教皇猊下に、ずっと訊きたくて、訊けなかったことがある。
夭逝した稀代の聖女アディーラ・フォルギ。彼女が事故死した直後に出生記録が出された、彼女によく似た緑の髪の、親子ほど年の離れた異母弟。その子の瞳の本当の色が勇者の直系のみに現れる
察しの良い者ならおのずと一つの仮説にたどり着く。
聖女アディーラが務めを果たしていた当時、
その中で一際有望な若き神官が、彼女と同じ遠征に幾度も共に参加していたことは、調べがついている。
下位貴族出の王宮の下働きが産み落とした不浄の子。誕生と同時に母を亡くし、一族に捨てられ、教会に引き取られた私生児が。
珍しい地属性の魔力を持っていたその神官は、アディーラが還俗を願い出て教会を去ってすぐ、行方知れずになっていた。
もし、その男の実父が直系王族の誰かであったとしたら?
アディーラとその男が密かに愛し合っていたとしたら?
二人の間に子供ができたとしたら…。
そしてその10年後。
長きにわたって君臨した老教皇が崩御し、その庶子を名乗る神官フェリペが現れた。彼は魔道具を用いて自分の血統を証明し、確かな手腕で瞬く間に教会本山を掌握し、他の教皇候補を蹴落とした。
新教皇が即位してまもなく、父は自分を教会本山へ、教皇の御前へ連れて行った。そして、自分を教皇の手にまかせることに決めたのだ。
「なぜ、今となって、こんなことを、教皇猊下?」
「おかしなことを。私は『人形使い《パペティア》』。『
男は、淡々と告げた。
「いいえ、あなたは教皇猊下ご本人です。見損なわないでください。愛弟子である私が貴方を間違えるはずがない、猊下、いえ父上」
灰色の瞳がほんの一瞬見開かれたのを、ウラウスは見逃さなかった。
* * * * *
微かに目じりが下がった大きな瞳。男性にしては柔らかな頬の線。やや肉感的な厚めの下唇。
顔かたちそのものは、本当に母親によく似ている。
性格はどちらかというと、自分に似ているかもしれない。データを重んじ、計画性を重視し、感情表現が苦手な所とか。
高位神官として人々に対するときは冷徹にさえ見える双眸は、いったん自制の枷が外れると、本来の深い情が溢れ出る。
苦し気に問いかける
長じるにつれて、この子はますます母親に似てきた。
すでに三十路近くの成人男性をこの子と呼ぶのはおかしいのはわかっている。
目の前のウラウスは、もはやあの寂しげな、寄る辺ない少年ではない。教皇を補佐し、教会中央執行部を治める七大司教の一人だ。次代の教皇候補でもある。
彼がそうなるように大切に育て上げたのだから。
おかしなものだ。
ここ数年、彼の姿を見るたびに、かつてのアディーラと重なってしまう。
彼が愛した、彼を愛してくれた唯一の
死期が近いからだろうか?
自分にはわかる。自らの生命力を、魔力を使い続けたこの身体が朽ち果てるまで大した時間は残っていない。
彼の在位下において、 引き取られた『養い子たち』は、神官になるための本物の教育をも受けている。
『祈りの場』と銘打った魔道具を通して、『力』は捧げてもらっている。しかし、一方的な搾取は禁じている。過去の教皇たちの代と違って。
事が終われば、『養い子』の制度そのものが不要になる。
もしも、天国や地獄があるとすれば・・・
誰よりも聡明で勇敢だった彼の愛する聖女は、天国で、彼の成したことを喜んでくれただろうか?
間違いなく地獄に落ちる彼には、確かめるすべなどないが。
* * * * *
教皇と皇家の直系のごく一部にのみ伝えられてきた秘密。図らずも彼らが知ってしまった事実。
『黒い魔女』の封印を維持するには、神の使徒の血族の力が不可欠であるということ。
すなわち、『金の大賢者』の血筋が絶えた後は、『蒼の勇者』の血を引く王族と『翠の聖女』の血脈に連なる
『教会』が創立された真の理由は、偉大なる『翠の聖女』を称え、この世界を生み出した『大いなる造り手』に祈りをささげるためではない。聖女の力を受け継ぐ者たちにその力の使い方を教え、優秀な癒し手を生み出すためでもない。
現世に散らばった聖女の力の片鱗を集めて、封印の間に注ぎ込むためなのだ。
また、教皇が果たすべき役割は、教会全体を束ねることだけではない。その最大の務めは、集めた『聖なる力』と己に流れる『
だからこそ、代々の教皇はみな皇族の血を引いている。
彼を引き取った前教皇も、『勇者の瞳』を持たずに生まれた、当時の国王の側室の子の一人だった。
封印に必要な力とは、神から与えられた『力』であり、それを使うことは、自ら命を削ることを意味する。
皇王と対を成す、代々の教皇は本来、短命だった。その地位にとどまり続けられる期間は、せいぜい20年。
だからこそ、何代か前の教皇が王家と密約を交わした。
『代々の王は正妃と側室以外、認知する必要がない庶子を儲け、秘密裏に教会に下賜する。赤子の内、王家の青い瞳を持つ子、王家の『力』を全く持たぬ子は抹殺し、『力』を内在する赤子のみを、教会本山にて養い子として養育する』と。
選抜された庶子たちを手元に置いた教皇たちは、力の制御法も、力の存在さえ十分に教えることなく、ただ教会への忠誠心を植え付け、一方的に彼らの力を利用した。自分の力は温存して教会を支配し、彼らの力で封印を維持し続けたのだ。
生来の魔力に恵まれ、わずかながら『力』を使えた彼は、魔物討伐に同行することを許された数少ない『養い子』だった。
彼は何も知らなかった。自分がなぜ『力』が使えるのか。自分の素性を、生い立ちを疑問に思ったこともなかった。
自分の中に在る特異な力が王家に伝わる力に似通っていると、アディーラに告げられるまで。
一介の神官として教皇の指針に従って生き、ひっそりと神に召される。
以前の彼なら、神に与えられた定めとしてすべてを淡々と受け入れただろう。
だが、彼はアディーラと出会ってしまった。教会本部で、魔物討伐に向かう隊で。後に知った。お互いに一目ぼれだったと。
3つ年上の彼女は彼にとって姉であり、恋人であり、教師であり、彼の欲するすべてになった。
事実がどうであれ、父親もわからぬ婚外子と、当代きっての
家を捨ててもいいと、彼女は言ってくれた。だから、共に生きてほしい、ここから逃げて平民として一緒に暮らそうと。
彼女が教会を離れたのを見届け、 まず兄弟同然に育ったた神官を頼って、『
出奔しようとした彼をそこで待っていたのは、神官の裏切りと教皇の残酷で理不尽な仕打ちだった。
手足の自由を奪われ、光も差さぬ場所に幽閉され、『薬』を打たれ続けた日々は朧気に覚えている。
時おり正気に戻ると、どうしようもない状況を嘆き、ひたすらに愛する人のことを想った。彼女の死を知らされてからは、彼を見捨てた神を、踏みにじった教会を恨み、世の中全てを呪った。
絞りつくされながら何年あの地獄で永らえたのだろう?
ようやく死ねると思った瞬間、聞こえたのだ。同じように愛するものを奪われ、世界を呪う呪詛の声を。
解放を求める声に応じたとき、彼は『
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