第22話 古の竜

 ゆっくりと伸びあがってくる泥まみれの…あれは何?

 ひし形を横にしたような、あれは・・・頭?


 泥が一気に滑り落ち、瞼のない深紅の虹彩が露になる。

 巨大な蛇頭がゆらりと動き、深紅の眼がレイリアたちを捉えた。

 大きな口が裂け、長い舌が飛び出した。


「危ない、リア」


 ハッとした時には、レイリアは突き飛ばされて尻もちをついていた。

 その傍らに倒れこんだ小さな身体を慌てて掻き抱く。


「アンジェ!」


 手に触れたねっとりした感触に背筋に冷たいものが走る。


「アンジェ?」


 震える声で呼びかけても、閉じられた瞼は動かない。


「アンジェ、目を開けて、お願い」


 軽く揺さぶっても、ぐにゃりとした小さな体からは何の応えも感じられない。

 必死に治癒魔法をかける。

 ダメだ。こんなちっぽけな魔力では止血さえままならない。


 また助けられないのだろうか、自分は?


 見知らぬ男の子の顔がなぜか浮かんだ。赤く染まった胸元。虚ろな瞳。徐々に失われていく体温。


「落ち着いて、レイリア。血は止まってるよ。大丈夫だ」

 

 宥めるように肩に触れる暖かな掌に、過去に飛んでいた意識が引き戻される。

 いつの間にか、新たな結界にふんわりと包まれていた。

 少年を硬く抱きしめていた腕がそっと外される。


 レビが膝まづいてアンジェの脇腹の傷を覗き込んでいた。何か小さく唱えると、傍らの何もない空間に手を突っ込む。腕が何かに飲み込まれ一瞬消えたように見えた。


 再び現れた時には、その手には大きな袋が握られていた。袋を開け、迷いのない動作でいくつか薬瓶ポーションと治療具のようなものを取り出すと、レビはレイリアの方を見た。 


「治療はあたしに任せな。あんたは、あちらをよろしく」


 少し離れた場所では、エドワード達が剣を振るって怒り狂った『竜』と応戦していた。

 岩を粉砕し、地を穿つ『竜』の長い舌に、うねる胴体に、彼らは明らかに苦戦している。


 このままでは、こちらも危ない。

 なんとかしなくては。


 意識のない少年の顔を一瞥して、レイリアは剣を構えて走り出したのだった。 


 あれからどれくらい経ったのだろう?

 また日は陰っていない。そんなに立ってはいないはずだ。


 レイリアは岩陰で荒れた息をしばし整えた。

 携えていた水筒で喉を潤し、汗ばんだ額を手の甲で拭う。


 アンジェは、本当に大丈夫なんだろうか?

 レビは手慣れた様子だった。わかってる。今は彼女を信じるしかない。


 領主が寄こしたあの男たち…。彼らは人間ではなかった。おそらく、人の形に擬態した魔道具か何か。


 領主は、協力するふりをして、レイリアたちを裏切ったのかも。真意はよくはわからない。が、『竜』の居場所を突き止めさせてから、始末するつもりだったと考えるのが妥当かもしれない。


 ならば、あの教会から遣わされたと言う神官は?

 本当に自分たちの味方なのか?


 顔見知りだとは、ウラウスは認めていた。だが、本物の教皇からの密使だとしたら、領主の企てを全く知らないなんてこと、ありえるだろうか?

 

 レイリアは、教皇ファーレン一世の体調がここ数年芳しくないという巷の噂を思い出した。


 ウラウスの、フォルギ大司教の生家であるフォルギ侯爵家は『古の聖女』の流れを汲む、誰もが知る名門貴族だ。


 現フォルギ家当主は、ウラウスにとって、親子ほど年が離れた異母兄にあたる。魔力は大したことはないが、次期宰相と目される切れ者だ。そのすぐ上の姉は、たぐいまれな治癒魔法の使い手として知られ、一時は皇太子妃候補にも挙げられていたらしい。残念ながら、現国王が即位する前に、事故で没したらしいが。


 現フォルギ侯爵には、聖女の資格を持つ妹もいる。彼女もある意味、有名人だ。帝都の貴族間だけでなく騎士たちの間でも。


 なにせ、兄の反対を押し切って専属治癒術師ヒーラーとして騎士団に随行し、当時の騎士団長のハートを見事に射止めた令嬢なのだから。


 つまり、現在、『竜』と交戦中のエドワード・エクセルの実母である。


 前代が家督を譲る直前に娶った後妻が産んだ末子がウラウス・フォルギ。なので、帝国軍トップのエクセル総帥はウラウスの義理の兄だ。


 聖女であった異母姉と同じ緑の髪を持つウラウス。

 彼は幼くして才を認められ、本山で英才教育を受けたエリートで現教皇の覚えもめでたい。帝国の五大侯爵家のうちの二つ、聖女の直系『治癒のフォルギ家』と皇帝の懐刀『武のエクセル家』の後ろ盾を持つ人物でもある。


 当然、大司教の中で最も若輩であるにもかかわらず、次代の教皇としての呼び名が高い。


 今回、この極秘任務に任ぜられたことからも、教皇ファーレン一世の彼への信の厚さがわかるというものだ。


 もし、教会内に裏切り者がいたとしたら?巷で騒がれている異教徒と通じる輩がいたとしたら?


 教皇の跡目争いが激化し、命を狙われている可能性だってある。


 世界の危機よりも己の欲望を優先し、聖なる遺物アーティファクトを横取りして利用しようとたくらんでいる者がいるのかもしれない。


 ウラウスは今、領主の館に一人きりだ。

 とにかく、一刻も早く、彼にも、この窮地を伝えなくては。

 彼ならば、この危機から脱ずるための何らかの手立てを講じてくれるかもしれない。


 ベルトに手をやり、ウラウスから有事の際にと渡された通信用魔道具『飛文フライングエピストル』を起動させようとしたその時・・・


 山全体が揺れた。地面が波うち、辺りに無数のひび割れが走った。

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