デュラン
「まったく、無茶するんだから」
包帯代わりに裂いたハンカチを巻きつけたおれの左腕を、ルナはどこか愛おしげなまなざしで見下ろす。
「心配かけて悪かった」
「いいよ。血管も骨も傷ついてないのは幸いだった。これなら、多少は余裕を持って病院に連れていける」
座り込んだまま柱に背中をあずけ、おれは長く息を吐く。腕の痛みは残るが、とりあえず状況が落着して心身とも安らかだった。
ルナもほっとしたように眉尻を下げて立ち上がったが、ふいにその表情が引き締まった。おれも気配に気づいて振り返ると、広間の入口から何人もの男たちが駆け込んでくるところだった。すぐにデュランの部下のギャングたちだと察する。
男たちは柱のかたわらにいるおれとルナを取り囲み、いっせいに拳銃を構えた。ひとりが操作盤の前に進み出てボタンをいじる。鈍い機械音が響いて天井のアームが動き、炎の上に宙吊りになっていたスーツ姿の小男はやがて柵の前の床に降り立った。
「やれやれ、久方ぶりに身体が軽くなった気がしますよ」
さほど消耗した様子も見せず、男はぐるぐると肩をほぐしたりなどしている。
おれはゆっくり立ち上がると、たたずまいを張り詰めさせるルナの隣まで歩み出た。
「やっぱり、あんたがデュランだったんだな」
「ええ。昨年の四月以来ですね、ヒデトくん」
なんでもなさそうな軽い調子でデュランはうなずく。
そのブロンドと口ひげ、冷徹な目つきは見まがいようがなかった。およそ一年前、夜の倉庫街でおれをいまの世界に引き込んだ張本人こそ、目の前に飄々と立つこの男だったのだ。もっとも、だからとここであえておれが言うべきことももはやない。
荒々しい気配を感じて振り向けば、柵のたもとでふたりのギャングが失神したアレクを抱え上げようとしているところだった。
「兄さん……」
ルナの言葉に機先を制するように、デュランが鋭く口を挟んだ。
「彼を助けてほしいという頼みならば、残念ながら聞き入れられません。わたしはすでに一度チャンスを与えましたが、結果はこのありさまだ。リスキーだと分かった取引をこれ以上続けるわけにはいかないのです」
「そんな……」
ふたりがかりで運び出される実の兄を、ルナは無力感のにじむ目で追いかける。
「そもそも、ビジネスを阻む者は誰であろうと排除する、それがわたしのやり方です。あなたたちも例外ではない。人の心配をしているような場合ではないのですよ」
「……くそっ」
周囲を取り巻く銃口に再びおれたちは緊張する。
「……と、言いたいところですがね」
デュランが右手を真横に伸ばすと、これまたいっせいにギャングたちは拳銃を下ろした。
「えっ?」
「なに。これまであなたたちのチームに、多大な恩恵を受けてきたこともまた事実です。ここはひと晩だけ、猶予を与えてやろうかと思いましてね」
素っ気ない足取りで、デュランは広間の入口へと向かう。
「この国に朝日が昇るまでの間に、あなたたちの存在を世界から完全に消してみせなさい。幽霊の行方を追いかけるほど、わたしも暇ではありませんから」
おれもルナも呆気に取られて、立ち去る小男の背中を見つめている。
「あ、そうそう」
ふと思い出したというように足を止め、デュランは横顔を振り向けてきた。
「ひとつ、ヒデトくんに聞こうと思っていたのでした。なぜあの男の力は、あなたにだけ効かなかったのでしょう」
「……あぁ、そんなことか」
ぶっきらぼうな口調でおれは答える。
「たいしたことじゃねぇよ。あの能力のタネが奴の声にあると分かっただけだ」
「声?」
「奴が発する声の微細な波形が聞いた人間の脳に作用して、奴の命令に従おうという気にさせるんだ。だからその波形を相殺するような声を、おれ自身が出してやっただけだ」
おれの説明にデュランはぽかんとした表情だったが、やがておかしそうに相好を崩した。
「なるほど。これはまた、にわかには信じがたい話だ。ただ、ひとつ深く納得できたことはありましたが」
「なんだ?」
尋ねるおれに満足げににやりと笑ってみせ、男は再び歩き出す。
「あの日、あなたをスカウトしたわたしの目に、狂いはなかったということですよ」
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