プロメテウス・インタラクション
EF
前奏: 奈落の星
太陰の英雄
カフェはその日の正午に予定されている一大イベントのため、方々から集まった地上人達でごった返していた。
エイリーク・スタヴァンゲルは劇物的な薬品の味しかしない劣悪な飲料と、がやがやとやおらに騒がしい地上人達に眉を顰める。
「……これほど地上人の態度が悪いと思わなかった。
好奇の視線ばかり。謙譲と言うものを知らんのか」
不機嫌そうな彼に、向かいの女性が応じる。
「彼らからすれば私達のような奈落の人種は、珍種の生物のようなものなのですよ、エイリーク。
私達はこれから更に大規模な見世物扱いを受けようというのですから、ここで辛抱する必要はありません。開き直るのです」
「……君の神経の図太さには感嘆するばかりだよ。
それはシュヴァルツフェルトで身に着けたのかね?
レディ・アッシャー」
「私は
その名で呼ばれるような立場にはありませんよ」
スタヴァンゲルの向かいの女————アイネスフィール・アツィルト、あるいは、彼女自身は否定するだろうが、レディ・アッシャー――――が、本筋の質問に答えることはなかった。
不味いものにはこうだとばかりに、スタヴァンゲルは飲料を一息で飲み干してしまう。
一方アイネスフィールは、味わうようにカップの飲料を口に含み、嚥下して、一息つく。
飲料の薄茶と白が、カップの縁の一端に向かう流線を液面上に描いていた。
「そちらは、スパイス茶か。
どうも地上のものは全て、雑味が多くていかん。ピアノの音とコーヒーが恋しくなる。
貴女はヴィッセンシャフトのロバスタでこの類には慣れているのかね」
「ロバスタは最早薬品ですので、食品として味わって慣れるどうこうの代物ではありませんね。
しかしスパイス、この味は、興味深くないでしょうか?
どれほど多彩な植物が、昆虫や病原体への対抗のために、言わば抗生物質を生み出し、それらがいかに人間の舌上では単なる刺激性の『バグ』となるか、という過程は?
背後関係に、生物相の広がりを感じることができる味。奈落では有り得ないことです」
スタヴァンゲルは、アイネスフィールの瞳孔の中に濁り切った黒を見た気がした。
彼女の紅の双眸は、得体の知れない生物のぎょろ目のように、無機質でエイリアン的な風格を持ち合わせている。
彼女はゆっくりとカップを持ち上げ、スパイス茶を一気飲みとも、味わっているとも言えない角度で傾けた。
ふと、スタヴァンゲルは端末を見る。
「そろそろ演台に立つときの様だ、マドモアゼル」
「もう少し異国情緒を楽しみたかったのですが、仕方ありません」
二人は立ち上がる。
不意にアイネスフィールの被るフードがずれ、白銀の髪が見えかけた。
瞬間的にスタヴァンゲルは彼女の右斜め前に立ち、周囲からの視線を遮る。
何も騒ぎは起きなかった。
「……消耗しているのは分かるが、露出には気を付けていただきたい」
「申し訳ありません。不注意でした」
スタヴァンゲルが想像したような皮肉返しも、異様な解答もなかった。
二人は連れ立って歩きだした。スタヴァンゲルは人を払うように先んじて、アイネスフィールはその長身が目につかぬよう、そそくさと。
———— ————
この日、地上九国市民の多くが、ルチフェール聖陽国の首府パンテラエへと集った。
目的は奈落より来る英雄を迎えるパレードである。
英雄が矢継ぎ早に成して行く偉業の数々は、以前より全球の週報として親しまれて来た。それが遂に前代未聞の成果まで至って、地上の民は総勢が熱狂に浮かれていたのだ。
そこに、英雄訪問の報があっては、交通機関が総出で便数を増やしてもパンクする程の人間の移動があってもおかしくはなかった。
この日のために組まれたはずのダイヤが、軒並み積載超過と異様な渋滞のために滞って行く様相は、担当官を諦念の苦笑いに陥れる。
その全ての元凶となった英雄であるアイネスフィール・リッター・フォン・シュヴァルツフェルトは、パレードの始まりに、アイソセレス・スタジアム中央の小塔から出でることとなっている。
15万席の閲観台を満員にした観客たちは、今か今かとその瞬間を待ち望んでいた。
やがて、時候は秋分の南中に至った。
中天に上った太陽の下、凡そ普通には聞くことが無いほど重く低い轟音が鳴り響き、小塔中央の祭壇が伸展し、上昇していく。
遂に現れた頂上には、英雄が跪いていた。
ちょうどアイソセレス・スタジアムの貴賓席中央に坐する七陽天帝の方を向いている。
純白の「天翼」は外套の様に彼女の背を包み、容貌の一切を観衆から覆い隠していた。
跪いた彼女は立ち上がると、陽帝に姿を見せるべく翼を広げる。
雛が遂に巣立つときの様に、ゆっくりと、艶やかに広げられた翼は未だに彼女の背面の多くを覆い隠していた。
辛うじて観衆の目は、奈落人特有の、異種的な白皙の肌と、忌み子の証たる白銀の髪を捉える。
アイネスフィールは左腕をさっと伸長する。東を示した。
彼女は次に、薬指と小指を折り曲げ、南中した太陽を指した。その掌には、何か見え難いが、柄のようなものが握られている。
虚の鞘。太陰の吸収線に紛れ、陽の性質を覆い隠すもの。
彼女は右手を不可視の鞘にかけ、静かに引いて行った。
何もないところから、まるで手品のように、複雑な装飾の施された曲刀が姿を現す。
奈落から届く数々の信じ難いような伝説に現れる、全ての闇を払う聖刀。
あるいは闇そのものたるその刀が、黒い刀身をそこに現し、柄の根の
印に浮かぶ文字、「門」こそは、星の座の回収の証。
星の魔どもが全て剋され、座が回収された時、人類が奈落に出てまで抱き続けてきた悲願が達成されるのである。
六芒星の頂点と切り欠きに置かれた十二の門は、彼女が第12星までの座全てを掌握したことを示し、六芒星の中央、誰も埋めたことのなかった空隙には、今や13を示す太古数が閃いていた。
歓声が爆発した。
先ほどの重低音より遥かに大きく、聖堂を揺らした。
帝は頷き、英雄は観客へと向き直る。
彼女の貌が彼らの目に入った。
神造。尋常ならざる超貌。人によってはそう評するだろう。
奈落の穢れた環境から生み出されるとは思えないような、美の頂点に立てる程の姿だった。
白銀の髪は新雪の様に煌めき、地上では全く見られない、彫像の如く白くありながら透き通るような肌は、色黒を尊ぶ地上の民をして気圧されるような非現実感に溢れている。
優れた容貌に謎めいたアルカイックスマイルを湛えた彼女に、観客たちは一瞬気圧されるように黙りこくった。
しかし次の瞬間、追って沸いた興奮に、観衆は総立ちした。拳を握り合わせて天へ掲げ、揺らし、その名を叫ぶ。
「アイネスフィール!アイネスフィール!アイネスフィール!」
一丸となった群衆の喚声は遂に彼女の翼をはためかせ、謎めいた微笑を湛える極限の美貌に、観客席は歓呼の声を浴びせ続けた。
では一方のアイネスフィールは、どう思っていたかというと。
(何この儀式……帰りたい)
式典の余りの異様さに口端が引き攣り、笑顔が歪みそうになるのを、必死に堪えていた。
———— | < | > |————
そして、話は2年前に遡る。
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