第21話 プライド

 翌朝、律儀に月丘はわたしの部屋に来た。正月の二日目から彼女のお守りでは大変だ。

 それでも彼は昨日とは違うアイボリーの暖かそうなセーターと黒いコートを着て、わたしの前に現れた。

 わたしはと言うと、まさか八時に現れると思わなかったので部屋着のままだった。月丘は部屋は暖かいと言い、黒いコートを脱いで自分からハンガーラックにかけた。黒いコートはわたしのハンガーラックの住人になった。

「おにぎりを作ってきたよ」と彼は言った。相変わらずまめまめしくて、わたしの心のツボを心得ている。彼の握ったおにぎりはほぼ正三角形で、その性格をよく反映していた。中身は昆布と鮭。朝から鮭を焼いてほぐしたと聞いて、これは勝てそうにないと思う。


 わたしの着替えが終わる頃、電話がかかってきて、誰からかと思ったら母だった。

『ニコ、どういうことよ! 昨日、慧ちゃん、ひとりで帰ってきたって』

『用事があったんだよ』

『喧嘩でもしてるの? 今までこんなことなかったじゃない。なんでもいいけど荷物、取りに来てよね! 送るなんてお金のかかることしないわよ、わかった?』

 言いたいことだけいうと、電話は勝手に切れた。月丘にも筒抜けの大声量だった。

「はぁ、行かないとダメかぁ」

「僕が荷物持ちになるよ」

「えっ? 母さん、驚いて倒れると思うんだけど」

「やっぱりいきなり現れては⋯⋯」

「そうだよ! いきなりこんな美丈夫が現れたら驚くでしょうが」

 月丘はわたしの足を心配して、揉めた挙句、一緒に来ることになった。なんならどこかで時間を潰しているよ、と彼は言った。気の利く人だ。


 月丘にガーゼを変えてもらって着替えをする。「跡に残らないといいけど」と残念そうに彼は言った。

 その彼は「そんなことはできないよ」とわたしの着替えを見るのを嫌がり、わたしは脱衣所で着替えることになる。まぁそうか。まだ始まったばかりだし、焦ることはなにもない。


 ◇


 正月の電車はガラガラで、快速を乗り継いで思ったより早く地元に着いた。駅を出たところでばったり万里に会って、逃げられず事情聴取を受ける。

「ちょっと、ちょーっと、どういうことよ!? あのイケメン、何処で釣ってきたのよ」

「大学」

「あー、都会は違うわ。男も違うなんて慧人も捨てられるはずだわ」

「ゲッ! 何故それを」

「そりゃ、慧人じゃない男と帰ってくれば一目瞭然でしょうよ。ほら、行っちゃって」

 簡単によそ行きの笑顔で自己紹介すると、万里はさっさと行ってしまった。万里は地元の大学に進学して、大学に彼がいるらしい。今日はデートの日だ。

 ⋯⋯段々、憂鬱になる。万里に見られるなんて。

 周りがみんな知り合いに見えてくる。これはきっと噂になる。

 覚悟して来たことだけど、気が引ける。

『アンタ、着いたの? え? 怪我してるの? え? 荷物持ちがいるって?』

 それだけ伝えて電話を切る。嘘偽りはない。


「ただいまぁ」

 家は一般的な4LDKの注文住宅だ。月丘の家に比べたら、きっと玩具みたいなものなんだろうと思うと恥ずかしい。

「ニコ! 荷物持ちって慧ちゃんに迷惑ばっかり⋯⋯あら」

「初めまして。月丘肇と申します。お嬢さんとお付き合いさせていただいています。今日は荷物持ちとしてお嬢さんの意向に反して僕はついてきただけですので、ここで失礼させていただきます。帰りに荷物を持たせていただきにまた参ります」

 月丘は上がりかまちにあがりもしなかった。

「ちょっと、月丘!」

「月丘くん? 上がってお茶くらい飲んでいきなさいよ」

 月丘だって同じような台詞を言うくせに、彼は固まってしまって、すぐに返事をできなかった。わたしはドキドキしてなにも言えなかった。

「はい、では失礼して」

 月丘らしい丁寧さで靴を脱ぐと、彼は家に上がった。肝が冷えるとはまさにこのことだ。

 母さんは電話とは違って上機嫌で、お茶を出してきた。


「おかしいと思ったのよ、慧ちゃんと別行動だなんて」

「どうして知ってんの?」

「だって慧ちゃん、いつも挨拶に寄るじゃない」

「ああ」

 家族ぐるみの付き合いというのはこういう時に不便だなと思う。慧人がこの家に何度も出入りしていたということは月丘に嫌悪感を与えないか、心配になる。

「月丘くん、よね。ゆっくりしていってね」

「いや、僕は⋯⋯」

「もう大歓迎よ。慧ちゃんはニコには背が低かったし、ちょっと強引なところもあったしね。ニコも我が強いところがあるから、月丘くんも苦労すると思うけど、娘をよろしくお願いします」

「いえ、こちらこそ」

 月丘は恐縮しっぱなしだった。


「あんなに小さくなってる月丘、初めて見た」

「僕は人見知りなんだよ」

「そうだね、確かに」

 ふたりで地元のショッピングモールに行く。ブラブラして家で夕飯を食べていきなさい、と母が強く勧めたからだ。

「ごめんね、なんか母さん、盛り上がってて」

「いや、そういうものなんじゃないかな? 追い払われるよりはずっといいよ。――時に、足は大丈夫かい?」

 月丘らしいやさしさにじんと来る。なんていい人なんだろう。これは母さんじゃなくてもわ。

 わたしたちは文字通り、ブラブラして、ランチをして、また無意味にブラブラしていた。家具を見たり、お互いの部屋に飾ったら良さそうな物を見て、似合いそうな服を見る。

 月丘の入る店は何処も高級な店ばかりだった。


「仁美!」

 後ろから声をかけられてビックリする。するなと言われる方が無理だ。後ろから肩を叩いてきたのは慧人だった。

「どうしてこんな目立つところにいるんだよ」

「ほかに行くところもないし」

「俺のところにジャンジャン知らせが来るんだけど」

 それは申し訳ないことをした。考え無しだった。

「俺の友達で、俺もふたりに合流することにしたからよろしく」

「え?」

「それは違うんじゃないかな。誠意が足りない」

「田舎だから飛ぶような早さで噂が流れるんだよ。今回だけは頼む!」

 慧人とわたしは公式のカップルで、わたしは慧人を追って、遠い大学に進学したとみんなが知ってる。慧人の気持ちがわからないでもなかった。まだ一年も経たない。

 その一年も経たないうちに浮気したことがすべての発端なんだから、自業自得じゃない? 有り得ない。


「有り得ないから」

「僕も同感だね。同情の余地もないよ」

「そんなこと言うなよ⋯⋯」

 こんなに情けない、プライドばかりが高い男だったのかと思う。わたしの目は節穴だったのか、月丘が完璧なのか。絶対的に後者だろう。

「じゃあ高田くん、そろそろ行くよ。ニコの家にご招待されているんで」

「おばさんまで裏切ったのか?」

「裏切ったのは慧ちゃんでしょう? じゃあね」

 昔の男に用事はなかった。月丘の手をギュッと握る。

「良かったのかい? 彼を立ててあげなくて」

「いいんだよ。⋯⋯もう他人だもの」

「ニコは切り替えが思ったより早い?」

 瞳がやさしい。意地悪だ。

「そんなんじゃないよ⋯⋯」

 裏切ったのは何度考えても慧人の方だ。


「ただいま」と帰ってきた父さんも仰天して、「うちのニコはいい子だから」と仕切りに恥ずかしいことを言った。こんなことなら最後まで反抗して帰ってこなければよかった。

 月丘は人見知りだと言っていたのに、ハキハキと受け答えしていた。父さんにビールを注いで、自分は未成年でまだ飲めないからと断った。

 そういうところがますます好感度高くて、ふたりとも満足そうだった。

「このまま慧ちゃんとゴールインなのかと思った」

「その話はもうやめてよ」

「月丘くんは慧人くんを知ってるの?」

「はい、ライバルですから」

「聞いた!? ライバルだって! やっぱり慧ちゃん、まだアンタがすきなんじゃないの! こんな男の子みたいな子にねぇ」

「ニコは女の子ですよ」

 それまでと違う、キッパリした口調で月丘はそう言った。



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