第6話

 斎藤くんが言うには、その道は周囲を空きアパートと塀に挟まれている細い私道だった。突き当りの空きアパートは取り壊し予定で、左右は古いブロック塀と植込みに囲まれている。数秒で隠れられるようなスペースはそもそもなかった。取り壊し予定のアパートに電気は通ってなく、自分が立っている場所からの街灯に照らされた細い道には、音もせず誰も見当たらなかった。

「僕はそんなに霊とか怖い話とか、信じてないし好きでもないけど、あれは何て言ったらいいかわからない。自分が体験したのが今でも何かの思い違いじゃないかって思う」 

 斎藤くんの両手は強く握られて白くなっていた。

「でも、もうあの道は歩きたくない。――今では、ちょっと遠回りだけど、明るい道から帰るようにしてる」


 僕たちは何も話せなくて無言になっていた。すると将生が手を伸ばし、斎藤くんの背中を軽くたたく。

 ――強張っていた斎藤くんの顔は少しだけ口元が和らいだ。

 こういう時の将生は、本当に頼りになる。斎藤くんの顔を見て、僕も少しホッとした。

「怖いことを思い出させてごめんなさい」

「ううん、もう結構前の話だから大丈夫。……それに、杉元くんから、君は茶化すタイプじゃないって聞いていたから。僕もちゃんと話して少しすっきりした」

 思わず将生を見ると、目が合った。

「だって、ほら、言っとかないと来てくれないだろうし。安心して話せないだろ」

 と目をそらして、照れくさそうにぼそぼそ話す。

「うん、ありがとう」

「いいってことよ」

「……比呂に言ってないよ」

「なんでお前が言うんだよ」 

 比呂が茶化し、僕と将生が突っ込むやり取りに、斎藤くんもようやく笑顔になってくれた。


「それで、話を戻すけど。いつ頃からこれって話題になってたの?」

「どうだろうな……。うちの塾のクラスでは話題に上ったのが六月くらいだった。でも、実際に『白い少女』に遭った奴は、だいたい春先くらいから目撃してるっぽい」

「僕は四月二十一日だった」

 斎藤くんが付け加えた。すると、比呂が思いついたように前のめりに話す。

「あ、そうか、俺たち中一だからさ、四月五月はまだそこまで仲良くなってないし、そういう話題になりにくかったんじゃないか?」

「それは一理あるね。そうすると、別の学年では目撃時期が違うのかも。……でも、基本親が送り迎えしている子は遭遇してないようだし、小学校高学年から中三で、どれだけ見た人がいるかだね。できるだけ目撃時期や場所のデータを集めたいんだけど……」

「先輩かあ、俺は伝手ないな」

 と将生。斎藤くんも首を横に振った。学年が違うのに、そこまで親しくない人に微妙な話題は振りづらいだろう。


 どうしようかと思っていたところに、

「――私、先輩に聞いてみてもいいよ」

 それまで無言だった美天が急に右手を挙げた。僕は目を瞬いた。そういえば、美天は誰かの代理だったっけ。

「美天、目撃した先輩を知ってるの?」

「小学校で同じクラブだったいっこ上の先輩が、うちの塾にも通ってて、以前休憩中にその『白い少女』の話になったことがある。直接知っている人じゃないけど、その先輩の友達だから、話を聞けると思う」

 思わぬところからの援軍だった。申し出はかなりありがたいけれど、美天の積極性がちょっと不思議に思う。だって、彼女は昔から結構な怖がりだった。 僕は疑問をいったん置いておき、美天に向き直る。

「それはかなりありがたいけど。……そういえば、美天は誰かの代理だったよね? 先にその話を聞いていい?」

 美天は頷き、アイスティーを一口飲んで話し始めた。


 美天の友達、小島まどかさんは、苦手な英語のためにゴールデンウイークの特別講習に通っていた。十六時半ごろに終わったので、駅前のカフェで少し勉強をし十九時前に帰宅する途中だった。

 五月のちょっと汗ばむ気温は、夕方になりさらっとした気候に変わり、日の入り直後の辺りはうすぼんやりしていた。

 自宅はマンションで、やはり駅前から入り組んだ住宅街を歩いて十五分かからないくらい。大きな通りから曲がって住宅街の奥へ、歩いていた。

 ふと、少し先の街灯が瞬いた。すると遅れて、自分のすぐ後ろの街灯も瞬く。

 (あれ?)

 思わず斜め上を見上げた視界の片隅に、子供が映った気がした。 視線を向けると、薄暗い道の隅に白っぽい服を着た子供がしゃがんでいた。六~七歳くらいの女の子。


(通り過ぎた時、あんな子いたっけ?)

 小島さんは、その時はそれほど気にせずまた歩き出し、自宅マンションに向かう道を曲がった。

 曲がる瞬間、ちらっと見ると、その子供はまだそこにいる。何となくホッとして、少し歩いてマンションのエントランスに入った。

 エントランスのガラス扉を開けた時、ふとガラスに白いものがよぎった気がして思わずそちらを見ると、曲がり角にその子供が同じ格好でしゃがんでいるのが見えた。

(――え?)

 驚いて立ち止まった。改めてよく見ると、確かにさっきの子供に見える。しゃがんだ地面の何かをじっと見ている姿勢で。

 宵闇の中で、街灯から少し外れたうすぼんやりした暗がりに、うずくまる子供の白い服が浮かび上がっていた。

 それほど遅い時間ではないのに、周囲は静まり返っていて、その子供がかすかに何か唄のようなものを口ずさんでいるのが聞こえてきた。

 小島さんは何となく不安でその子供を凝視していたが、そのまま早足でエントランスに入り、エレベーターに乗り込んで自分の住む階のボタンを押す。 エントランスのガラスの扉越しに、白い服の女の子が立ってこちらを見ていた。

「⁉」

 慌てて『閉』のボタンを連打して扉を閉める。


 エレベーターはそのまま上階に向かった。小島さんは扉が開くと飛び出して、自宅ドアに向かって駆け出し、震える手で鍵を取り出して玄関ドアを開けた。思わずエレベーターの方を見たけれど、誰もいなかった。少しホッとして視線を下げると、共同廊下の柵越しに、道路に佇んでじっとこちらを見上げる少女が見えた。

 悲鳴を上げて玄関に飛び込みドアを閉めると、母親が驚いてリビングから出てきた。

「どうしたの⁉」

 震えてうまく話せない小島さんを落ち着けて、何とか話を聞きだした母親は、ちょっと呆れたように言った。

「なんだ、てっきり変質者に追いかけられたかと思ったじゃない」

「だって……! 本当に怖かったんだから!」

 涙目になっている小島さんの背中をたたくと、母親は

「わかった、ちょっと見てくる」と言って、玄関を出て行った。

 不安な気持ちで待っていると、いくらもたたないうちに戻ってきた。――誰もいなかった、と。

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