第32話 回想2008年 11R
「『360度評価システム』というのは今初めて聞きまして、詳しいことは何も把握できてませんが、さきほど東堂部長のおっしゃった、自分が昨年度末に提案した、主任クラスに限ったそれも釘調整に限った『能力の棚卸し』との関連で考えると、ちょっと方向が大きく広がり過ぎていてなんともお答えのしようがありませんし、パッと聞いた言葉のイメージだけでいえば、人が人を言葉で評価する機会が増える、という印象が強く、それですと何かと誤解が生まれることも多くなるのではないか、と考えられますので、正直、積極的に推し進めてよいもののようには思えません。大変恐れ入りますが」
と自分としてはスラスラ話した山田であるが、むろん今自分が言ってることは置いて、同時並行で秘密裡に渡邊の設定漏洩疑惑調査を進めているというこの現状も強く念頭に浮かんでいたのは言うまでもない。
しかし、それはそれ、これはこれ、で分けないといけない、とベテラン山田は直観で即座に舵を切ったのだった。自分の立場の有利不利を考えればそれでいいのかどうか不明ではあったが。
「なるほど、いかにも山田さんらしいわね。こちらも今すぐに、ということではありませんし、まだ全体の仕組みの大枠程度、構想の段階ですから、念頭にいれておいてください。ただ、次回の会議から話として表には出しますから、その時にまた堂々と議論すればいいかな、と思ってます。」
秀美部長の口調は淡々としており、前回のプロジェクト・チーム参加拒否の時に見せた若干不機嫌そうな表情のようなものは全くみせなかった。単に自分との接し方に慣れた、ということなのか、と山田がいぶかしんでいると、新島が不意に話題を変える。
「ところで、人事考課の時に少し触れたハラスメントの件なんだけどね、いま丁度渡邊くんとの件で『任せきり』なところある、ような話だったけど、自分がハラスメントの当事者だと思い当たるようなところは、ない、ということで変わらないかな」
「嫌な話」は老兵新島が振ってくるという役割分担だったのか、と山田はもう一度気を引き締めつつ、シンプルに「変わらないです」と一言で伝えた。
「なるほど。じゃ、ここまでわざわざ出向いてきて何も隠し立てすることもないから、今こちらで把握している、というか、あがってきた情報について、そのまま知らせるので、率直な『感想』を聞かせてもらおうかな」
「はい」
ということで、老兵新島部長、初老男性にありがちな、ふんふん、ここはひとつ、でもって、さりながら、だがしかし、などの意味があったりなかったりの余分な語句が発話中にかなりの頻度で混ざりがちな為、煩雑さを避け、その内容は聞き書きの文章にまとめる体でいく。
山田のハラスメント情報があがってきたのには2つのルート、というか系統があり、まずひとつ目は「社内ホットライン」。これは自分が入社した1989年頃からすでにあった制度で簡単な話「なにかあったらここに電話してね」という電話相談室であり、繋がる先は社長室。おそらくまずは社長秘書が応対するのだろうと思われる。思われる、というのは自分も、山田も利用したことはないし、また、利用した、と言う者の話も聞いたことはないからだ。ま、通報する者は「密かに」するのであるし、ホットライン使用する動機の無い、世間一般の大過なく過ごす「会社員」であれば、実情そんなところではなかろうか。したがって通報後の情報伝達の経路がどうなっているのか細かいことはわからないが、いまこの場でこのかたちで話をしている、ということは、秘書→社長→事業部長、という流れか。
「ホットライン」の話の中身は、ざっくり言うと、店長の目の届かないところで「セクハラ」が横行していて、店長にそれを是正する気配がみられない。と言う話であり、山田本人がどうこうというものではなかった。店長はいつも忙しそうで相談しづらい雰囲気だ、ということでもあるらしい。相談持ちかけにいったが無視に近い対応された、とも。
なるほど、そういうことか。まずこの「ホットライン」の話に関してはある意味納得した山田であった。いろいろな面で副店長渡邊以下に「任せきり」だったのは確かだし。で、よくよく思い返してみると、相談事を持ち掛けてきた風情の女性社員1,2名いて、「いま手が離せないのであとで」というような対応をして、それきり失念というのがあった。まさに「今思い出した」類の話。これに関しては明らかに山田の「ミス」であり、山田自身のその対応自体がハラスメントにあたると言われれば返す言葉もない。ないのだが自分嘉数の経験を振り返っても、この888台規模の店だと、必要人員数もそれなりになるわけで、ざっくり正社員25名、バイト45名、計70名程度の人間が常時出入りしているだろうと推察されるので、その全員と密にコミュニケーションとる、というのはなかなかに厳しい側面はあるはずだ。
次の情報ルートだが、秀美部長の肝入りで数々立ち上がった各種プロジェクトチームの会合そのものや、その後の懇親会の場、とにかくそういうある意味「非公式」な空間もこみの、いわば雑多な「口コミ」の数々ということであって、これはなかなかに手広く内容も豊富で、そこでの山田の「悪評」の数々は壮観ですらあった。
これらに関しては、当然秀美部長から聞かされることになったわけだが、
一応、「酒の席であいつが悪口言ってましたぜ」的な告げ口行為が文明人として大変無粋なものであるという評価も世の中にはそれなりにあることを踏まえ、そのうえで、あえてお知らせしていることでもあり、現状このことを、双方、つまり言ってる側、言われている側の、人事評価につなげるつもりは毛頭ない、ないけど、現状把握のうえ、どう思うか、忌憚のないところを聞きたい」というようなソフィスティケイテッドピープル風味な前振りを添えたうえで、あれこれ列挙される流れになった。
ご丁寧にそれがどの「プロジェクト」でのことかも教えられた。なので、言ったのが誰なのか名前を秀美部長が言わなくても自分にはわかる仕掛けであった。
主に店舗事務担当と本社経理社員が集まる「事務ミス撲滅プロジェクト」の場で、曰く「山田店長は人嫌いの傾向があって暗い印象あり、渡邊副店長がそれをカヴァーしている」曰く「山田店長は朝礼、終礼などで場が盛り上がるようなことはほとんど言わない、その役目は副店長以下の役職者に投げている様子」等々
主に備部品担当の店舗主任クラスと本社管財課社員が集まる「物の管理徹底プロジェクト」の場で、曰く「山田店長が、日々の釘調整や設定配分の話をしている時に、渡邊副店長に理不尽な指示命令をするなどパワハラ的な言動が目立つ」曰く「副店長と比べてコミュニケーション能力の差があり過ぎて、その面ではとてもお手本だとは思えない」曰く「朝礼、終礼で話す内容が面白くない」曰く「日々の役職者ミーティングでも店長会議の連絡事項を伝える以外はほとんど副店長がしゃべっていて、店長は大体うなずくだけのことが多い」等々
主にWEB以外の掲示物、POP等の販促物を担当する店舗主任クラスと本社販促課社員が集まる「店舗デザイン向上プロジェクト」の場で、曰く「店長が店舗ブログ更新やメール送信の作業やってた頃はセンスの古さに唖然とした」曰く「札差しのイベントのときに『ガセ』の設定入れ過ぎて2ちゃんで叩かれることになってる。自分もホールで直接客に文句言われるのでキツイ」曰く「渡邊副店長が時々、時事問題を絡めたたとえ話したりして教養を感じるのに対して、山田店長はその時事問題すらわかってないんじゃないか、と疑問に感じることがある」等々
主に景品管理を担当する店舗社員or店舗主任クラスと本社営業課社員が集まる「一般景品販売促進プロジェクト」の場で、曰く「山田店長は店舗のなかでも特に高卒のヤンキー系の従業員を贔屓しているような気がする」曰く「お客と揉め始めて店長が出ていくと言葉少なで威圧的な感じがしてみていてハラハラする」曰く「女性スタッフを避けてる気がする、というより女性苦手な気がする」等々
入社以来、客からも身内からも「面白くない」呼ばわりはずっと続いてきたことなので、そういうどうでもいいことはスルーとして、そもそも自分が参加を拒否した「プロジェクト」の類から拾ってきたネタを自分に面と向かってこのように伝えてくる、っていうのは、こりゃもう明らかに「世代交代」促しているよなあ、と内心苦笑いしつつ、手練れの山田は冷静にポイントを見極めていた。
「物の管理」のところで、パワハラを言ってたのは、1年数か月前に異動でやってきた、主任の梶山。
「店舗デザイン」のところで、ガセ札や2ちゃんのこと言ってたのは。これも1年数か月前の異動でやってきた、主任の阪東。
渡邊、梶山、阪東、を、ひとかたまりとして山田は認識した。
むろん今のこの「三者面談」的な場ではおくびにも出さず。
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