第25話 回想2008年 4R
さて、渡邊どうも怪しくないか?と思い始めた山田であったが、すっかり自分も渡邊に任せきりの頼り切り、のようになっていたところもあったし、それになによりふと気づくと店舗内「自分以外全員渡邊派」みたいなことになっていて、しまった!と臍を噛む思いもあったが「時すでに遅し」なことは最早どうしようもない、と逆に居直る、というか逆手にとる、ことにした。こうなったらいろいろ「すっとぼけて」逆に渡邊副店長凄いっす!みたいなこの空気を壊すことなく、むしろそのままどんどん助長される展開の成り行きに任せた。
いずれにせよ、元来「一匹狼」気質でもあったし、「孤立感」味わう状況は馴れっこでもあったし、客からの罵声、時には暴力、の局面に比べれば、内部の者からの冷たい視線など扇風機の微風レベルですらない、と。
防犯カメラシステム操作に関しては、既にマニュアル読み込んでおり、やろうと思えば渡邊の名人芸に匹敵するくらいな早業をやってやれなくもないレベルに達していたわけだが、そんなことはおくびにも出さず、むしろ「いまだに慣れないんで頼むわ」と、苦手意識があるので触れたくもない、といった雰囲気を常々醸し出すようにした。
肝心のパチンコ目標スタート値、スロット設定配分の意思決定に際しても、のらりくらりと「聞き役」に回り、俊英渡邊と比していかにも鈍重な年長者であることよなあ、という印象が強まりそうな態度で居続けることにした。京都の茶屋における大石内蔵助みたいな有り様。
またWEB各所の更新、送信について、従来は店舗ツートップでやりくりしていたのだが、こういうものは若い感覚打ち出した方がよかろう、と、副店長、主任に全部任せる、と宣言し、それは非常に歓迎されたし、そのうえで「他業務で手が回らずWEBの確認などまるでしていない」体を装うことにした。
まあ、実際この規模の店で、しかも入れ替えも頻度高く、台数多い、となると、所轄警察への書類提出しかも作成も自分、等、業務過多気味でもあった。
そのような状況下、すっとぼけながら、気づかれないように渡邊「観察」し始めた。
「目標スタート値」「設定配分」意思決定の際の渡邊の挙動をいままで以上に、しかし表向きは「さりげなく」注視していたところ、従来「8:2」くらいの割合で、山田の示す「辛い」目標を、渡邊が「甘い」方向へ覆す内容の意見具申していたものが、「9・5:0・5」レベルになってきたのが手に取るようにすぐ分かった。
「8:2」レベルであれば、月間の粗利目標、通期の粗利目標などを見据えても、そうそう支障はないところだったものが「9・5:0・5」となれば、そりゃちょっとその意見具申を丸のみするわけにはいかん、となるし、こいつやっぱり誰か特定の客に利益供与してるんじゃないの?という疑いも濃くなる。濃くなるんだが瞬時に厳しく拒否して、「おまえのこと怪しんでるんだぞ」というのを察知されないように、一旦渡邊の要求を呑んだように見せかけ、実際の現場の調整作業で従来の辛目な方でシレっと修正し、渡邊に後に疑問を呈された場合は、「いやデータシート見ながら歩いてたら、やっぱりちょっとビビった」とか、これもいかにも「鈍重」な調子でのらりくらりとかわした。そういった場面のある時の渡邊のこちらを見返す態度に何か尋常でない、これは「殺意」なのでは?みたいなものがキラリと一瞬光ったのを山田は見逃していなかった。むろん気づいたような素振りはなにも見せずスッとやりすごす。
さて、この時代は本邦回胴式遊技機=パチスロの歴史のなかでも最も波が荒く、放出する時の瞬発力の威力が最大であった「4号機」の時代で、物凄くわかりやすく言うと朝イチ最初の千円50枚(貸しメダル1枚20円)の最初の投入3枚で「当たり」の状態を引いてきてそのまま閉店までずっと放出しっぱなし、ということも稀ではなく、となると獲得メダル枚数5万枚程度、等価交換だとすると特殊景品100万円分に相当するわけで、ある日一撃100万円を手にする可能性が全国津々浦々のホールどこでもいつでもあった、ということだ。4号機といってもいろいろなタイプがあるのだが、どのタイプでも、さすがに5万枚はそうそうないとしても、「1万枚=等価交換で20万円」は、設置台数300もあれば、毎日複数台発生するのが当たり前の状態。2桁あってもおかしくはない。4号機というのは最低設定1でもツボにハマれば平気で万枚出るような高スペック(逆に最高設定6で気配皆無ということもあった)で、設置300台規模の店で二桁10台程度「万枚」発生あっても、総台数でカバー可能な「高稼働」「商売繁盛」の状況がほぼ毎日であり、まさに空前絶後の獲得メダルインフレ時代だったのだ。「万枚」という語句が符牒として広く浸透してもいたし。
貸し玉料金1玉4円のパチンコ、特殊景品等価交換で20万円分となると8万発の出玉獲得が必要であるが、パチスロの1万枚に比べるとそれは非常に困難であるし、その頃のパチンコの出玉性能だと、4~5万発程度、特殊景品10万円分程度はそう珍しくなかったが、6万発超えてくるのものを「毎日複数台、時に2桁台数見る」レベルではなかった。
となると、特定客にスピーディーに利益供与するのであれば「パチスロ」だろう、と睨むのが本筋。一番手っ取り早いのが「高設定」台の情報漏洩、いわゆる「設定漏洩」であろう、と、手口も見当をつけ、その漏洩あるやなしやの観点から網をはる。
この時代、「内部不正」試みる方も、見張って警戒する方も、まずはここから、という考えになるのはある意味きわめてオーソドックスな思考方法だったと言える。
さてこのパチスロ狂乱時代に自分がほぼそれしか打たないことにしていた「ジャグラー」だが、周囲で唸っていた「爆裂」4号機各機種と比較するとまったくもって「穏やか」なテイストの放出風味であって、「万枚」望める機種ではない。せいぜい5000枚出れば「ジャグラーにしてはよく出たな」という感覚が一般的な見方だろう。「万枚」可能な爆裂4号機狙わずジャグラー指向になったのは、先述したシンプルな風味に加え、「穏やか」な波ゆえ初当たりの引きやすさの点で「安全性」がより高いという「お小遣い制」亭主向きな面もあったためだ。
「吸い込み」=まったく何も当たらずどんどんメダル消費が進む状態、もジャグラーに比べ「爆裂4号機」はキツく、現金5万円、10万円、そしてメダル枚数1万枚分の20万円費やして「何もない」などということもザラだったのである。パチスロ廃人ともいうべき依存症患者や多重債務者も多く生み出していたし、それゆえ「貸金業法改正」はホール業界にとっては痛手となったわけだ。
そんな「万枚」獲得可能な4号機を自分は全く見向きもせずただひたすらジャグラーだけを打っていた、わけではなかった。そりゃ店側の者として、あるいはユーザーとしてホール空間で1万枚2万枚3万枚とドル箱積み重なっていく光景を日常的に目にして、「おれもおれも」ならないはずはない。ない、のだが、ついぞ「万枚」体験することはなかった。店内、社内で「万枚」未経験者おれだけ??といった様相を呈してきたのを感じ取ったあたりからプライベートはジャグラーのみにしたのだ。
「おれには4号機ユーザーたりえる博才はない」と自覚した。それもまた「仕事熱心」さを失う大きな要因であっただろう。ほんとうに引きが悪く、万枚どころか2000枚レベルですら自分にはなかった。多分「北斗の拳」か何かで1500枚程度交換したくらいが爆裂4号機における自分の最良の戦績だったと思う。これは確率的に考えても余程のことだ。そしてある日西川口の競合店で財布の中身全部の7万円で当たり全くナシっていうのを「ミリオンゴッド」という最も凶悪な4号機で経験し、これはおれに業界を去れっていう啓示か何かか?と思った。ま、実際そうなったわけだが。
(※「ミリオンゴッド」でストレート7万円消失など、「ゴッドマニア」から言わせれば、甘い!とでも称されるべき「大したことの無さ」評価であっただろう。まさに「狂乱」としか言いようのない時代であった※)
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