第12話 青年小説家
一人暮らしのアパルトメントに、窓の隙間から夜風が入り込む。
風に揺らぐランプではなく寒々とした電灯の下照らされているのは、まだ白紙部分の多い原稿用紙だ。
……新聞社の記者の人には昨日、「これ以上の取材の中止」を申し入れた。
「まだこれからじゃないですか! 元大臣の人たちとか半分も回っていませんよ! 」と嘆かれたが、平謝りの上で逃げるように帰ってきた。……これ以上は耐えられなかった。
あの時のことを思い出し、一時ペンを置く。
……あの心持ちのまま、アンの娘さんに読ませる話なんて到底かけそうにない。
自分にとっての小説というものは、革命詩人の先生が望んだような、そういうものではないのだ。その事が今、身にしみてよくわかっていた。
幼い頃は遊園地が欲しかった。自分だけの、いつまでも家に帰らないで済む、そういう遊園地。
……僕には家はなかったから。
母は僕が生まれた時に亡くなったと言う。
ぶどう農園を持っていた父がまだ乳飲み子の僕を一人で育てようとしてるのを見るに見かねて、母のいとこだった養母が引き取ることにしたのだ。……その父も、いつしかぶどう農園をたたみ、今どこでどうしているのか、その行方は分かっていない。
養父母夫妻には僕より年上の子が一人いて、後に下にも一人生まれた。
住んでいた周りにはちょうど僕と同じ年頃の子はいなくて、「あそこん家のもらわれっ子」として見られることが多く、居心地の悪いものをいつも感じていた。
遠出してあの横丁に迷い込んだのはいつの頃だったろう。
「お豆」扱いではあったけど、アンたちの中にいた頃は自分の居場所ができたみたいで嬉しかった。
……だから帰る時があまりにもつらかった。
三々五々、それぞれの家に帰る子たちを見送りながら、通りの店が少しずつ灯火番の手によってともされた街灯の明かりに照らされていくのを見る。
そんな時いつも、僕は遊園地が欲しいなと思った。
そこではいつも楽しいことがある。
いろんな遊びにいろんなお菓子。
珍妙ないでたちの人たちもいて、楽しい音楽がいつもなっている。
そして眠たくなったらそこで眠るんだ。
いつもいつも、優しい人達に見守られながら続く、楽しい日々。
……後に学校に行くようになってから、そういう場所を作るのはなかなかお金やその他のこともあって難しいと知るようになり、そしてその代わりに本を見つけた。
そこにはいつも楽しいことがあった。
いろんな話や珍妙な人たちもいて楽しい心もちにさせてくれる。
そしてそれを抱えて眠ることもできた。
いつもいつも本を開けば会える、優しい楽しい日々。
……いつしか僕は小説を書くようになっていた。
きっと、革命詩人の先生は見抜いていたのだろう。
僕の作品に書き込まれた怪盗紳士がその色に染められて、事実とは違うものになってしまうことを。
「やるのなら、彼の実像をちゃんと知ってからやれ」
次々と彼を知る人たちの話を聞いていく中で、自分の中に溜め込まれていく、何か耐えきれないものが増えていくのを感じていた。
……おそらくそれがその頃の空気だったのかもしれないし、事実そういう時代だったのかもしれない。
でも子供のころ「遊園地が欲しい」と僕が望んでしまったように、それは自分には到底耐えきれないものだったのだ。
きっとこの先を聞いたら僕は僕の話を書けなくなる。
だからここで僕はかきあげる。アンに頼まれた彼女の娘さんへの話を。
それはもしかしたら、僕にかける僕の話としては最後になってしまうのかもしれないと、そう思いながら。
快盗「月影」異聞 草屋伝 @so-yatutae
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