まぁいいやの精神
自分は日本に生まれて、小さい頃から日本語を使っている。大人になってから日本語を覚えて使っている方もいるだろうが、言語の話をしたいわけじゃない。
要は、自分が生み出した言葉だけで会話を行っている人というのは、おそらくなかなかいない。
すでに存在する言葉をもじって会話しようと試みている芸能人とかはいたり、省略した流行り言葉がどこかで生まれたり、言葉の意味が変わって伝わっていったり、語源のよくわからない言葉はあったり。
そもそも古い時代には今の言葉がなかったとすると、もはや想像もできなかったり、誰かが作っていったことや、う◯こがなぜう◯こなのかとか調べる気もないけど、しっくりくる言葉が、すでに色々存在していたりする。
自分はそれらの言葉を借りて今も文章を書いているが、この発想も自分の中に湧いてきたとはいえ、どうして湧いてきたかわからない。
たまに自分でもニュアンスはあるけど、何言っているのかよくわからない言葉が降りてきたとき、でもなんか無理して考えた言葉より良い気もするけど、他人には伝わるのかなぁ? と思ったりする。
小説とかにしても、これは自分がした発想で、一応自分が作ったものではあるけど、なんでこんなふうな言葉を並べたのかっていうのはよくわからないし、どんな簡単な文章でも、気が向いたときじゃないと書けないし、本当に自分で考えているのか? と思う。
まぁ個人個人による描写力の差だとか、技量の面で能力差や経験値の差などがつくことはある気がするけど、結局どっかからの、誰かからの影響が自分に降り注いで、それを計算しているのかよくわからないけど、整理して出したもんが文章な気がする。
ほんで、「まぁいいやの精神」っていうタイトルは、どうしてそう名付けたのか書いているうちに忘れちゃったけど、たぶん、自分で作ったものだけど、自分で作った気がしない文に対して、まぁいいやとオッケーする精神のことだと思う。
後でそれが嫌になることもあるかもしれないけど、この人にこれ言わなきゃとか、勝手に浮かんでくることがあって、たまに時間を置いたりすることはあるけど、浮かんできたことはなるべく伝えるようにしている気がする。
それは自分発と言えるのかはよくわからない。相手がいて、言葉があって形になるような。
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