第32話 玲の移籍とソロデビューの話
「玲、久しぶりだな」
「け、けいじ、さん。お久しぶりです……その説はお世話になりました」
「いいんだよ。今日は仁菜のことできたんだ。中に入らないか?」
「あ、はい! そう、ですね――」
ヴィクトリアチャームの扉を開けると、カフェタイムのスタッフが丁寧な接客で迎えてくれる。
今朝の自分はこんなふうにお客様の目に映っていたのか、と玲はちょっとした発見をして、メイドたちの立ち居振る舞いを見て勉強しようと思った。
奥のテーブル席で五人は、真ん中に車椅子の茜を挟んでそれぞれ両脇に座った。各自がコーヒーやケーキ、パフェなどを注文するなか、玲は視界の奥、カウンター席に神大がいることに気づく。
休みの日や手が空いている暇なとき、俊太郎は必ずここで朝食や軽食を取ると聞いていたから、今日は暇なんだなと理解した。
仁菜は持参した手土産を、玲に渡してくる。
今朝といい、今回といい貰ってばかりでは申し訳なくなってしまう。「昨日はありがとう、玲ちゃん、沙也加」と仁菜がいい、圭司と茜が「お世話になりました」とそれぞれ頭を下げる。
「仁菜から倒れたと聞いた時は、驚いたもんだ。けど、ほとんど無傷で良かったよ。これも二人のおかげだ――こいつはアイドルだからな」
「いえいえ、そんなことないですよ。私たちはできることをしたまでですから、仁菜が元気で安心しています」
「そうですよ、圭司さん。ボクたちはたまたま仁菜を見つけて、送っていっただけですから」
「いやいや、そんなことはないよ。送ってくれただけでもありがたい。Eclipse Rhythmも新曲をだしたばかりで大事な時期なんだ」
圭司が仕事のことを持ち出すと、仁菜の両肩がピクンっと跳ね上がる。
茜は「また仕事」と小さく言い「いつもそればっかり」とぼやいた。
圭司は茜の小言を素知らぬふりをして受け流し、隣に座る仁菜の肩に手を置くと、苦言を呈するように言った。
「玲が復活したんだ。仁菜も負けないようにしないとな」
「……はい、プロデューサー」
父親を仕事の上司として扱う仁菜の表情はどこか暗くて、声はどこか物悲しさを感じる。
これが仁菜を苦しめている重圧の原因かと思うと、圭司の言葉を素直に受け止めることができない。
「私――、いまいろいろと混乱していて、その――」
「混乱?」
「それってどういうことなの、玲ちゃん」
二人が質問してくる。
「ただ物忘れが激しいだけじゃないの、ばかばかしい」
茜の嫌味が真実を射ていて、玲は言葉に詰まってしまう。
「玲は流星に撃たれた衝撃でちょっとだけ寝込んでいたんだよ。それが原因で、記憶が混乱しているの。まだ二週間だよ、みんな優しくしてあげないと、ボクは悲しいなあ」
「え、そんなにひどい状態なの、玲ちゃん」
「まだ病院にいなくていいのか、玲?」
「さ、沙也加! いえ、その――そこまで、では――ちゃんと仕事もできてるから」
「仕事って……アイドル活動を再開したのは動画で見たけど、玲ちゃん、どこからかお仕事きているの?」
「え、いえ、ちがっ――」
「玲はここ! このお店、ヴィクトリアチャームの店員をしているの! 事務所の紹介で、ボクと一緒にね」
仕事の詳細を語れない玲を咄嗟に助けてくれる沙也加は、本当にありがたい相棒だ。心で感謝しながら「今日からだけど」と伝えると、圭司や仁菜、茜はへえ、という顔をして、働けるならまあ大丈夫か、と納得してくれた。
「でもな、玲。俺は最近の画像事件も気になっているんだ」
「え! あれ、見たんですか!?」
「やめてよ、圭司さん。ボク、恥ずかしい」
気配りが足りない圭司の言葉に、二人は頬を赤くする。
仁菜も赤面して父親を責めていた。
「ちょっ、お父さん、それセクハラ!」
とそれぞれに責められて圭司は心配したのに損をしたと思ったのか、面白くなさそうにコーヒーをすすった。
「セクハラじゃねーよ、仁菜、なにいうんだよ。俺は活動そのものが難しくなる可能性があるから、心配してるんだ。見たとは言ってない」
「まあ、確かに……でも、いわれたら気になるよ」
「そう思うだけで寒気がする!」
沙也加が両手を抱えて震える真似をすると、圭司は「いい加減にしろ」と頬杖をついついて、出てきたワッフルを口に運んだ。
圭司はいろいろとおかしい、と告げる。
「不思議なんだ。画像が大量にネットへアップされたはずなのに、ほぼすべて消去されてる。一部では保存した個人のスマホやパソコンからも消されていて、悪質なウィルスをばら撒いていたのか、なんて声もあがっているんだ」
「そうですね、私たちは助かっています。アンジュバールのみんなもそうだと思います。いま二人だけだけど」
「再開したけど二人だとなあ……まあ、なんだ。普通、個人のスマホにまで干渉して消すことはできない。できたら、デジタルタトゥーなんて言葉も生まれない」
なのに、と圭司は口元を歪ませて眉根を寄せた。
「玲ちゃん、大変だったよね」
「仁菜のいうとおりだ。まるで魔法にでもかかったみたいに、ネット上からデータが消えた。これはありえないことだ。まあ、二人にとってはいいことだ」
魔法みたい、という圭司の言葉に玲はどきりとした。
もしかしたら、本物の魔法使いがいたのかもしれないと玲は思い、あはは、と笑ってごまかす。
アンジュバールの情報戦担当、家窓秋帆なら、もしかしたら――という期待が捨てきれない。
圭司は「事務所にしてもそうだ」と続ける。
「いまのところだと大手だが、なにかあった時にアンジュバールを助けてくれるとは限らない。俺のところなら――」
「あの、移籍は考えていません!」
彼の言葉を遮るように、玲はとっさに叫んだ。
圭司と仁菜は快諾してくれるもの、と思っていたのか、びっくりして顔を見合わせる。沙也加はそうそう、玲は移籍しないんだー、としたり顔でうなづいていた。
「どうして、玲ちゃん? うちは弱小だけど個人個人に沿った経営ができるよ?」
「ごめんね、仁菜。私たちアンジュバールは五人でひとつだから。勝手にここで決められないし、提案を受けることもできないの」
「いやいや待ってくれ、ただ提案してるだけだ。この前、プロデューサーがいないっていってただろう? 移籍しなくても、俺がプロデュースを請け負うことだってできるんだ」
「……圭司さんが、ボクたちをプロデュースしたいってこと?」
仁菜と圭司から言葉をかけられ焦っている玲に沙也加が助け舟を出す。圭司はまあな、とうなずいた。
「休む前にパパにお願いしたんでしょ、あなたが」
茜が冷たく指摘するが、玲にその記憶はない。ここでそうだね、とも、違います、ともいえず黙るしかできなかった。
「あの、申し訳ないんだけど、圭司さん。そういうことは事務所を通してお願いします。ボクたちは契約しているタレントなので」
圭司は釘を刺されて苦い顔し、「前フリは大事だからなあ」と会話を濁してしまった。
「と、とにかく! 今回はわたしを助けてくれたお礼をしたくて! それだけなの……いきなりごめんね、玲ちゃん、沙也加」
「いや、別にいいけどね。仁菜が謝る事じゃないし」
「私たち、当たり前のことしただけだから」
「ふーん、どうだか。予算不足で新曲も出せないんでしょ?」
他によこしまな意図があったんじゃないの、と茜が冷たい声を放ち、圭司が茜の頭を軽くこづく。どうやら茜は他人の失敗をあげつらう性格のようだ。
オルスで早くから戦士としての訓練を受けてきた玲は、まだまだ子供だなあ、と感じてしまう。
そして、仁菜と茜の姉妹といることが苦手だという沙也加の気持ちがよくわかった。
圭司と仁菜があらためて助けたお礼を告げ、茜を連れて去っていく。
圭司はまた連絡すると諦めていない様子だった。
茜はきたときと同じように玲を睨んで去っていく。
どうして恨まれているんだろう、と玲は困惑しきりだった。
「玲が頼んだ、って言っていたね。茜」
「うん――、ソロデビューしたかったのかもね」
「……玲? 記憶の共有ができたの?」
「ううん、まだ。なんとなくそう思っただけだよ」
玲はプロデューサーを探さないといけないんだ、と沙也加を見る。そういう問題があったのなら、先に話してくれればよかったのに、という意思表示だ。
肝心なことを伝え忘れたという自覚があるのか、沙也加は遠い目をして顔をそらしてしまった。
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