第25話 友情と競争の狭間で
アンジュバールにおける沙也加の立ち位置は、サブボーカル、ラップ、ダンスだ。
このうち、アクロバティックなヒップホップダンスとラップはメンバー一のうまさで、ライブでも沙也加の独壇場だ。
「仁菜のお父さん。祭田圭司さんは、Eclipse Rhythm(エクリプス・リズム)のプロデューサーやダンス・ボーカルレッスンもしてる凄いひとなんだ。同時に、アンジュバールのダンス・ボーカルレッスンのコーチもしてる」
「あ、もしかして。一緒にレッスン受けたりしていた?」
「そうだね、向こうが売れるまでは。で、圭司さんはいつもボクを見習えってほたてや、ユマに指導してて……それで、嫌われてる」
「そういうこと?」
「そういうことなの! ほら、電車に乗ろう」
なるほどねえ、やっかみ。嫉妬なんだ、と思いながら列車に乗り込んだ。
平日の午後だというのに、ひとが多くて車内は座る隙間もない。
日本人の足腰はこうして鍛えられているのか、と見当違いの印象を受けながら、でも、と玲は考えた。
沙也加の実力に対する妬みやうらみでEclipse Rhythmの面々が嫌がらせをしたり、冷たい対応をするなかで、仲の良い仁菜はどうして沙也加のことをかばったりしなかったんだろう、と。
沙也加より交流がすくない自分の体調を心配してくれるのはありがたかったが、どこかしっくりこないものがある。
そう告げると沙也加は、困ったような顔になってしまった。
「玲は踊りも歌もうまくて……。圭司さんのお気に入りだったから、娘としては父親が気にかけている玲を、逆に羨ましく感じてるんだとボクは思うよ。その反動じゃないかな?」
「そうなのかな……? お父さんって子供が一番で、だれよりも愛しているんじゃないの? 地球では違うの?」
「どっちも変わらないと思うよ。オルスでもこっちでも――ごめん」
「なんで謝る? こらーまた変な考えしてないでしょうね? 沙也加」
「い、いや。そんなことない。違うよ、違う」
「ふーん、どうだか」
玲が父親の愛情の話題に触れた瞬間、沙也加はしまったという顔をした。
玲は半目になり沙也加をにらんでやる。
「本当だってばあー、同じ病院に生まれた幼なじみじゃないか!」
「確かにオルスでは生まれも育ちも近所だったから……でも、あとから沙也加が軍に入ってくるなんて思ってなかったから驚いたわ」
「玲のいくところ、ボクは全部、追いかけるからね! たとえ、異世界でも!」
ちょっと声を小さくして、沙也加はガッツポーズをしてみせる。
エヴォルを倒すことが目標だった玲は、オルスで軍人になった。
すると、翌年の入隊組に沙也加がいたのだ。
生まれてからほとんど離れたことが無かった二人。
沙也加は危険な任務よりも、玲という。エリカという個人を尊重して選んでくれた。
玲はそのことに感謝しているし、誰よりも沙也加を信頼して重きを置いている。
「うちのお父さんのことは、事故だから」
「だけど、おばさんだって……エヴォルのせいだし」
「もうその話は終わり! それよりも仁菜のことが気にならない?」
話をしていると地下鉄は玲と沙也加が住むマンションの最寄りの駅まで到着していた。
改札へと向かう階段で玲は先をいく沙也加に質問する。
エヴォルと聞いて、沙也加は顔を曇らせた。
「そうだね。『次元の狭間(ワールドポケット)』に、仁菜がいたのは気になってるんだ」
「気になってるって――仁菜が憑依された、で間違いないでしょ?」
「そうかもしれないけれど、ここは地球でオルスじゃない。地球人が『次元の狭間』に紛れこんだって可能性だって否定できないよ」
「あんなにたくさんの建材に埋もれて、ほぼ無傷だったんだよ?」
「そうだけど、偶然ってことだってあるだろ、玲」
「それは――」
どうやら沙也加は友人が欲望をむきだしにして、エヴォルに憑依されたことを認めたくないようだった。
まだ仁菜とのかかわりがすくない玲は、冷静な判断ができる自信がある。
だけど、もしエリカと玲の記憶が共有されていたら、いまのように怪しい、と一言でいってのけることができるかどうかは、判断に迷うところだ。
「ボクだって仁菜を疑いたくないよ。でも、あそこにいたのは仁菜だし、仁菜はボクが転移したこの子、沙也加の友達なんだ……沙也加の記憶が認めたくないっていってるんだよ、玲。ボク、どうしていいかわからないよ」
「沙也加……」
ひとには誰にでも醜い欲深い側面がある。
ふだんは見えなくても、なにかの拍子に知ってしまうとそれまでの友人としての仲がぎくしゃくしてしまうこともすくなくない。
玲はオルスでエヴォルに憑依されたあと、周囲のひとびとに誤解されたり、家族からの理解を失って家庭を無くし、それまで暮らしてきた場所から逃げるようにして去って行ったひとたちをたくさん見てきた。
沙也加もそうだ。そんなことを知ってなお、沙也加は仁菜という友人をうしないたくないと願っている。
切ない思いがわかる玲は、そっと沙也加の肩を抱いた。
「玲、ボク、どうしたらいいんだろう。オルスにいるときは、こんなことで迷ったりしなかったのに」
「たぶん……私たちは地球人に転移したことで変わろうとしているんだと思う。でも、沙也加の気持ちは間違ってないよ。ただ――」
「うん、分かってる。再発したら、また止めないと……エヴォルに一度、狙われたひとは、また狙われやすいから。気をつけておくよ」
「そうね。私も仁菜のことを気にかけておくわ。天眼にも反応をセットしたし」
「え、玲も!?」
自分たちの瞳にそれぞれの指先を向け、二人はやれやれと笑い合った。
地球上でも有数の人口過密都市、東京を狙って、オルスの犯罪組織の手により、大量のエヴォルが転移されてしまった。
その回収任務を行うために玲や沙也加は送りこまれたのだ。
一度、エヴォルに憑依された人間や動物は地球時間で約二週間、体内に残り香のようなものを残してしまう。
この残留物質が消えるまでの間、他のエヴォルが憑依しないように、スカッドでは特定要注意対象として、被害者の反応を天眼に保存し、監視する決まりがあった。
沙也加は恥ずかしそうに頬をかいて目をそらした。
「まさか、ボクが登録しないと思った?」
「ううん、いつもの癖でなにも考えずに登録したわ」
「そっか。うん、ありがとね」
「へんな沙也加。ほら、帰りましょう?」
「玲ほど鈍感でもないと思うんだよなあ、ボクってさ、よく気がつくと思うんだー」
「はいはい、私は鈍感なのね。じゃあ、今夜の晩御飯は気をつかって沙也加の番ね」
「え、ひどっ」
玲は、父親に愛されている仁菜のことをすこしだけ羨ましく感じたことを、心に隠した。
私は鈍感じゃなくて、一番ひどいことをしているのかもしれない。
記憶の共有が不十分で任務に支障がでると判断された場合に、処分されたくないと願っている。仲間たちと矛先を交えたくないと希望を抱きながら、ただ流されているだけの自分を情けなく思った。
夕暮れのなか、近所のスーパーで鍋の具材を購入する。沙也加が今夜は鍋がいいと譲らず、きのこ鍋をやることになったからだ。
季節のきのこや、鍋のスープの素、牛肉や長ネギ、野菜などを購入して店を出る。
「これだと野菜を切るだけで簡単に鍋ができるね、玲!」
「徹底的に手抜きするつもりねー、あきれた」
「手抜きばんざーい! 時代はタイパだよ、玲君」
と沙也加は知ったようにタイムパフォーマンスを略した。
タイムパフォーマンス、略してタイパ。
時間がもったいないと考える、現代の若者の間で流行の価値観のことだ。
紙を嫌い、サブスクで電子書籍を購入して手間を減らしたり、ネトフリで動画を倍速で視聴したりする。
マンガなどにもその波は及んでいて、従来のコミックのような紙で横読みのマンガはいまは流行らず、スマホで上から下に流し読みできる縦読みマンガが流行っているのだという。
沙也加が語る知識に、玲はなんでもかんでも無駄と割り切るのもどうか思ったが、それはいわないでいた。
「それで、タイパを効率よく過ごすためなら、なんでもしていい、と?」
「そこまでいってないけど、お金かけて手間かからないなら、まあ、いいかなって」
「そのお鍋の素を買うお金で、明日のお昼ご飯が食べられるわ」
「ぐっ! するどい……」
「出汁を取って調味料で味付けするだけじゃない。面倒くさい沙也加さんには、それがいいのかもしれないけど。でも、いいの?」
「なにが?」
「お金の節約しないと、マンション追い出されても知らないから」
「そんなああっ! 玲はボクと――いっしょ……?」
食材の袋をぜんぶ沙也加に渡して、玲は不敵に笑った。
沙也加は重たいーとうめきながら、上目遣いにこちらを見てくる。
玲が、まあね。と答えたら安心したような顔になる。
まるでご主人様の顔色をうかがう子犬みたいだ、と思った。
「でもさ、沙也加。そんなタイパを気にしているひとたちって、私たちの応援してくれるのかしら? デビューして売れるようなるまでものすっごく時間かかるかも」
「……だから、ボクたちの推しはおじさんだらけなのさ」
「ああ、なるほど。神大さんみたいなひとね」
そうそう、と沙也加はうなずく。
帰宅して鍋を囲みながら夕食を終えたふたりは、推したちへの報告も兼ねて「これからどうする、アンジュパール!?」というタイトルで現状を生配信することにした。
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