第六話 進化
俺の家で勉強会が行われることになった。夏休み最大の宿敵『夏休みの宿題』。
自分一人では乗り越えられない壁も友達と一緒なら立ち向かえるはず。だがしかし、一人で乗り越えられない壁は四人集まろうが、絶対に乗り越えられない。ゼロになにをかけてもゼロである。勉強会ってなんだっけ?
「ふふふ……いけるぜ、だいじょうぶ……これで――ってあっー、おまっ! あっー! 海斗! そのアイテム! ふざけんな取るなよ! それで俺が一位に返り咲くのに!」
「二位のお前が取ったら一番危ないんだよ! 一位はおれがもらった!」
「ちょっと!、誰よバナナの皮をこんなところに置いたのは! すべっちゃったじゃない! てゆーかなんで車なのにバナナで滑ってんのよ!」
「あ、あれ……わたしいつの間にか逆走してた……あれれ~?」
結果は1th、俺。2nd、涼介。3rd、美羽。4th、椎名。
俺たちは開始三十分で四人プレイのレースゲームを始めてしまった。所詮子供の勉強会など、お遊び会に他ならないことを痛感する。
「みゅう?」
ナチュは俺の膝の上でテレビ画面を不思議そうに見つめている。
「はあーもうやってらんねえわ! なんでお前に勝てねえんだああああ」
涼介はカーペットに寝転び頭を抱える。このゲームで涼介に負けたことは一度もない。
「青岬はゲームやっぱりうまいのね、クラスでもゲーム脳ゲーム脳言われてたし」
「え、なに?」
「あ、やめとけ黄桜、海斗それすっげー怒るから……くそー、めんどいけど勉強するか~」
ローデスクを囲むように敷かれた座布団の上で各々の宿題を進める。冷たい麦茶のグラスから雫が流れる。
「おい……なにやってんだ」
黒縁眼鏡をかけ直し、涼介がローデスクに突っ伏す俺を呆れた表情で見やる。
「匂いつき消しゴム嗅いでる」
「あら、消しゴムよりこっちのがいい匂いよ。ほら、かいでみなさいよ」
美羽は自信満々な表情でパンパンに膨らんだナイロンペンケースからペンを取り出し、俺の鼻先に持ってくる。
「いい匂い! バニラ? ほら、ナチュも嗅いでみ」
匂い付きのペンをナチュの顔の前に持っていくと、難しい表情をしたので俺は笑った。
美羽のペンケースの中を覗いてみると、様々な食品の形を模した消しゴムや、書いた文字がキラキラになるペンなど、バラエティ豊かに盛り込まれている。一方俺の筆箱は千切れまくった消しゴムと、鉛筆に手描きの乱数が書かれた遊び道具と化した筆記具だけだった。
涼介がぼーっと天井を見つめてながらぼやく。
「……みんなはさ、将来やりたいこととか、したいこととかあんの?」
「なんだよ涼介、急に」
「なんとなく、だよ」
涼介の目を見て、本気で言っていることに俺は気がつく。涼介はときたまなんの前ぶりもなく回答に困るような質問を投げかけてくることがある。
「おれはゲームクリエイターになりたい」
「……青岬くん、くりえいたーってなあに?」
椎名が純粋な瞳で俺に訴えかけてくる。
「制作者ってことだよ、物を作る人」
「えー、じゃあ青岬くんはゲームを作る人になるの? うわあ~すごい!」
「うん、なんかプログラムとかそーいうのできるようにならないといけないんだってさ」
「じゃあなおさら勉強しないとな~。せめて分数の計算はできるようになろうぜ」
涼介がニシシと笑い俺をからかう。
「黄桜は?」そのまま注目は美羽へと移った。
「あたしはねー、お洒落なモデルさんになるの! 可愛いお洋服着るの好きだし~、メイクとかもするようになっちゃうんだから」
「ふーん。じゃあ赤城は?」
「えっ、ちょっと、もうちょっと興味持ったらどーなのよっ、ちょっとみどり――」
美羽は涼介に特に突っ込まれずぶつぶつ文句を言うが、主役が椎名へと移ると口を慎んだ。
「う~ん……わたしはまだ考え中かな。でも……自分が好きなことをしたいって思ってるよ。わたし、青岬くんみたいにゲームが得意なわけでもないし、緑谷くんみたいに勉強もスポーツも卒なくこなすほど器用じゃないし、黄桜さんみたいに流行とかお洒落とかあんまりよく知らないけど……色んなことに興味を持って、その中で将来なりたいって思ったものになりたい」
「そっかー」と涼介は遠くを見つめるような目で窓の外を見た。
「なんだよ、涼介はなにになりたいんだよ」
「そーよそーよ、あたしたちだって言ったんだからちゃんと言いなさいよ!」
「緑谷くんならなんでもなれるような気がするなあ……」
涼介は天井のシミを数えるように、口をぽかんと開けて言った。
「おれなりたいものとかぜんぜんないんだよなー」
俺は少し意外だった。涼介は基本的になんでも卒なくこなす。勉強はできるしスポーツもできる。学校での成績もよくて親や先生、友達の親ともちゃんと喋れる社交的な性格だ。熱くなりやすくて、少し他人任せなところ以外は欠点が見つからない。
「赤城みたいに色んなことに興味があるわけでもないし、海斗みたいに明確なビジョンが見えてるわけでもないんだよなー。だからおれはお前らといられればそれでいいや」
頼むから美羽を入れてやってほしい。本人は少し涙目だ。
「はぁ、白けちゃったなー、地区センでもいこーぜ」
椎名と美羽が先に家を出て行って、部屋には俺と涼介だけが残った。
「海斗……さっきの話だけどさ」いつになく真剣な眼差しで、涼介は俺に向き直った。
「さっき?」
「おれは……負けたくないんだ。その、お前の……やっぱなんでもね、先に行ってる」
涼介はなにかを言いかけて、そそくさと俺の部屋から出て行った。
「なんだったんだ……涼介のやつ」
俺はローテーブルに広がる宿題に目を向ける。まったく進んでいない。つい溜息が出て、肩に乗っけているナチュにある願いごとをした。
「ナチュ、宿題全部やっといてくれよー……」
「みゅう」
ナチュは俺の言葉の意味がわかっているのかいないのか、いつもの調子で返事をした。
そして――ナチュの体は光り輝いた。
「うわっ、……ナチュ!? 一体どーしたんだ?」
――光はナチュを中心に微小の粒子を散りばめて、部屋中をぐるぐると回転し俺とナチュを包み込む。光の粒の一つひとつがナチュの躰と同じ碧色だったが、光加減で虹色にも見える。
まるで宇宙空間で三百六十度回転しながら走っているような……吐き気はしなかったが、とても不思議な感覚だった。気がつくと光は消えていて、俺はいつもの部屋に立っていた。
「一体なんだったんだ……? ナチュ」
ナチュに聞いてみたが、俺に擦り寄ってくるだけだった。
「あれ? なんかお前大きくなってない?」
ラグビーボールくらいの大きさだったナチュは、成長を終えた小型犬ほどになっていた。頭頂の植物も成長していて、ヒレに爪も生えている。
「ま、まさか進化……! み、みんなに知らせないと!」
流行していたゲームでは、モンスターが経験値を貯めてレベルをいくつかあげると、姿を変えて強く成長することがある。当時の俺はナチュのこの現象をそれに見立てていた。
俺は急いでナチュをナップサックに入れると、家を飛び出した。
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