第14話 メイビーヘブン

 今、ARディスプレイに映るニュース番組がネビュラフォージの記者会見を報じている。


 会見の内容は、ブレイブデスマッチで発生したキャラクターデータ削除事件だ。


 エリュシウムフロンティアスのシステム障害により、プレイヤーたちの貴重な個人資産が失われたという。


 このゲームでは、キャラクターが取引可能なため、それらが資産として扱われているんだ。


 被害者は2000人に上り、損失総額は1000万円以上と見積もられている。


 ネビュラフォージの小津社長兼ゲームプロデューサーは次のように述べた。


「弊社は被害に遭われた方々の情報を完全に把握しております。削除されたキャラクターは今週末までに、同等もしくはそれ以上のキャラクターとしてお返しいたします。また、お詫びとして該当プレイヤーお一人につき500ネビュラドルを贈呈させていただきます」


 画面に映る小津社長はダークスーツを着こなしているが、背中まで伸びた髪は社長らしからぬ印象だ。


 返却されるキャラクターは同等品にすぎない。そして、予想通り、エーテルの補償には言及がない……


 消滅したキャラクターは非代価NFTであるため復元は不可能だ。同等品の用意はネビュラフォージの損失となる。エーテルに関しては曖昧にせざるを得ないのだろう。


 オービタがそのような扱いを受けたかもしれないと思うと、寒気がする。


「プレイヤーの皆様に、今後も安心してお楽しみいただけるよう、弊社はシステムの改善とスタッフの教育に全力を尽くしてまいります」


 と、小津社長は付け加えた。


 実際のところ僕は心から、この問題が静かに解決することを願っている。


 エリュシウムフロンティアスが炎上してしまうような不用意な発言は何としても避けてほしい。恐らく、他の多くのプレイヤーも同じ考えのはずだ。


 僕は常温のアルコール入り缶ビールをストローで啜りながら、そう考えていた。


 ネビュラフォージは最先端のゲーム会社として脚光を浴びているが、その注目度ゆえにマスコミやPoCのような団体の標的となるリスクも抱えている。

 エリュシウムフロンティアスには批判を招く要素が多分に存在するからだ。


 例えば、このゲームは「ネビュラドル」という独自の仮想通貨を使用し、キャラクターやアイテムの生産・取引を可能にするシステムを採用している。ネビュラフォージの主要な目標の一つは、ゲーム内で完結する「ネビュラドル経済圏」の構築だ。


 しかし、厄介なことに、ネビュラドルは非公式ながら日本円への換金が可能となっている。この状況が目立てば、最悪の場合、政府の監視対象になりかねない。


 記者会見が終わると、僕は缶ビールをストローで一気に吸い尽くした。会見の内容には到底納得できず、特に事件の原因説明が不十分だと感じた。


 小津社長は今回の事件をヒューマンエラーによるものと説明したが、その言葉に疑念を抱かずにはいられなかった。あれほどの事故が単なるヒューマンエラーで片付けられるとは、とても思えなかったのだ。


 次の缶ビールを手に取りながら、僕はエリュシウムフロンティアスの開発当時を思い返した。実は、その頃に小津社長と直接会う機会があったのだ。


  

 ◆◇◆

  


 3年前、外資系企業マニューバジャパンは札幌に最新鋭のウルトラコンピュータ「メイビーヘブン」を構築した。


 これはAIとメタバース処理に特化した巨大システムで、その膨大な処理能力を顧客企業に分割して貸し出すことを目的としていた。


 その処理能力の1パーセントを借りたのが、ネビュラフォージを起業したばかりの小津おずあおいだった。


 彼はたった一人でVRMMORPG「エリュシウムフロンティアス」のプロトタイプを作り上げた。


 メイビーヘブンで動作するスタンダードAIを適切に理解していれば、それほど困難な作業ではなかった。やりたいことを口述するだけで、望むワールドが出来上がったのだ。


 小津はプロトタイプを完成させると、使える資金をすべて投じてメイビーヘブンの40パーセントを借り上げた。これにより、プロトタイプを40倍に拡張することになる。


 この大規模な拡張作業のため、100人を超える各種技術者やプログラマーが他企業から出向した。

 僕、糸川いとかわひろしもその一人だった。


 僕たちのチームはまず、プロトタイプの初期化と最適化に取り組んだ。その後、借り上げたメイビーヘブンの40%を5等分し、それぞれを並列AIとして構築する作業に着手した。


  


 小津社長は開発者たちに、この並列AIが新世界をいかに創造するか、熱心に語っていた。


 彼は、5つのAIを幻想管理部――Aドミニストレーター・オブ・Gランド・Iリュージョン――と名付けた。もちろん汎用人工知能AGIのもじりでもある。


 彼にとって、このシステムはAGIに匹敵するという自負があったのだろう。


 そして、それぞれに名称と役割を与えた。


 AGI1:ヘルメスセプター(経済管理)

 AGI2:エキドナケイブ(モンスター管理)

 AGI3:プロメテウストーチ(プレイヤー管理)

 AGI4:ガイアフォーム(ゲーム環境管理)

 AGI5:パンドラボックス(NPC管理)


 そして、これら5つの総称を「AGIs」とした。


  


 AGIs起動後、僕を含む出向者は元の企業に戻された。


 小津社長によると、今後はAGIsそのものがプロトタイプを基にゲームを拡張していくという。


 僕は、ネビュラフォージが技術者を手放したことに疑問を感じた。


 確かに、ネビュラフォージはメイビーヘブンの一部を借用しているだけなので、ハードウェアの管理は必要ない。しかし、AGIsがトラブルを起こす可能性を考えると、ソフトウェアのメンテナンスを担当する人員をある程度確保しておくべきではないだろうか。


 それでも、1年の開発期間を経て、エリュシウムフロンティアスは計画通りにローンチした。


 ネビュラフォージは5つの管理課を設立し、それぞれにAGIを管理させることにしたようだ。


 まあ、順調なら問題ない。実際、このゲームをプレイしてみて、ネビュラフォージのゲーム運営に問題はないと安心していた。少なくとも今までは……。


 ただ、一つ言えるのは、小津社長なら無人AGI運用も辞さないだろう、ということだ。




【第三章・前編 カッシーニ救助隊】へ続く

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