第40話 街歩きの代償

 クラウスとルーチェの乗った馬車が、王都から少し離れた商業都市へと到着した。クラウスの説明によると、ここは装飾品の工房が多いのだそうだ。

「王都で売っている装飾品のほとんどは、ここで造られているといってもいいんだよ。そうだルーチェ、結婚指輪を買わないかい?」

「クラウス、結婚指輪はあるわよ」

「ルーチェと結婚した事実を証明する指輪は、いくつあっても構わないだろう」


(婚約指輪だけでも十組あるのに?)


 すでにルーチェの両手の指では足りない数になってきている。きっと止めてもきかなさそうなので、ルーチェは考えた末に一つの答えを出した。

「クラウス、せっかくあなたが買ってくれる指輪なのだから、きちんと身につけたいの。せめて、一年に一度、新しいものを買うのはどうかしら」

 これなら無理のない範囲で、結婚指輪が購入されることだろう。多分。

 ルーチェの申し出にクラウスが気を悪くしないか心配だったが、感激した様子で言った。

「それじゃあなたに、百組の結婚指輪を贈れるように頑張るよ!」

「……百?」


(百年以上結婚生活を続けるつもり? 百歳以上生きる気なの?)


 色々と思うことはあったが、ルーチェは笑顔で頷くことにした。


「指輪は買わないから、その代わり首飾りと耳飾りと髪留めを買おう。お店を買ってもいいけど、こういうのは流行りもあるからね。……いろんなお店を買ったほうがいいかな」


「お店はやめましょう、クラウス」


 というか指輪より装飾品の数が増えている。店を買うのを阻止しようと、ルーチェはクラウスの手を引いて、近くの市場の方へと歩き出した。


「お店で装飾品を見るのも良いけど、私はあなたと街歩きをしながら、色々と見て回りたいわ」

「もちろんだよ、ルーチェ」


 都市の中は市が開かれており、屋台には様々なものが売られていた。食べ物に服、陶器に装飾品、古本に。花や植物の苗まで。

 見て回るだけでも楽しくて、王都の高級店街での買い物よりこっちの方が好きかもしれないとルーチェは思った。


(きっとこういうところが、貴族令嬢らしくないかもしれないけど)


 クラウスはルーチェの貴族令嬢らしくないところも知っていて、好きだと言ってくれるのなら。


(これでもいいのだと、思える気がしてくるわ)


 服を売っている屋台の老婆が、ルーチェに声をかけた。


「お嬢さん、お嬢さん。こちらの布はいかがかね。ウィンブルとして使ってもええ。海のほうに行くなら日差しが強いからね、首元を覆った方が安心だよ」


 ヴェールより厚手の生地で、鮮やかな刺繍がされている。けれどもドレスには少し合わないかもしれない。

「こっちには、風通しの良い服もあるよ。見ていくかい」

「ええ、そうしようかしら」

 せっかくだしこういうところで買い物もしてみたかった。

 旅行に来ているのだから、いつもの畏まったドレス以外の服装で過ごすのも良いかもしれない。

 店の奥へと入ろうとしたところ、店員が大きな布を抱えて歩いてきた。老婆が勝手に通り抜けに使うなと、店員にくってかかっている。ルーチェは商品の衣類がかかっている棚へと身を寄せて、その様子を眺めていた。クラウスは入り口でその店員と荷物に邪魔をされて、足止めされてしまっている。

 どうしようかと思っていると、不意に背中に当たっていた棚が消えた。


(……えっ?)


 振り返った瞬間、棚はなくなっており、隣の店の通路が見えていた。

 市の中は壁で区切られているわけではなく、商品を置いた簡易な棚が置かれているだけ。だから移動しようとも思えば、簡単にできるようだった。


 ルーチェはクラウスを呼ぼうと、声を上げようとした。


「……っ! ……っ!!」


 口は塞がれ、ルーチェは引き摺られるようにして奥へと連れ込まれていく。そして目の前で、棚が移動しクラウスの姿が見えなくなってしまった。


(助けて……っ、クラウス)


 あっという間に体を担がれて、ルーチェは隣の店からも連れ出されてしまった。


「離して……っ、離してちょうだい!」


 市の裏通りらしき場所では、ルーチェがいくら叫んでも誰も関心を向けなかった。貧民街のような雰囲気を持つ場所だったからだろうか。こういった場所の住人は、厄介ごとには絶対に関わらない。

 それはルーチェもよく知っている。


(このままじゃだめ。とにかく、逃げなきゃ……!)


 暴れても、ルーチェを抱えている男は屈強で、ビクともしない。


 あっという間に、建物の中へと連れ込まれてしまう。


「……連れてきたぞ」


 中には数人の人相の悪い男たちがいる。

 明らかに、無事に帰れる気がしない。ルーチェは恐怖で身を竦ませた。

 奥の部屋へと連れていかれ、ルーチェは椅子に座らされた。一応、そこまで乱暴に扱うつもりはないようだが、逃げ出すことは叶わなそうだ。

 ルーチェを取り囲むように、男たちが立っている。扉のところにも、壁にも。

 逃げる前に捕まるのは明白だ。


「悪いな、あんたには恨みはないんだが、大人しくしててくれ」

「かなりの金を積まれて頼まれたんでな」


 俺たちはあんたに危害を加えたりしないと、 下卑た笑いを浮かべながら言わレたが、ちっとも信用できない。


「お、お金が必要なら、私の主人に言えば、好きなだけ払ってくれるでしょう」


(……多分)


「はははっ、そいつは豪勢だね! あんたが誰の女房かは知らねえが、そんなに金払いの良い旦那がいるのに、一体どうして恨みを買ったかね」


「恨み? 私をここに連れてくるように頼んだのは、誰です?」


「さあ、引き取りに来る時にでも確認したらどうだ。俺たちは金で動くだけ。……あんたの旦那に金を要求してもいいが、試しに名前でも言ってみたらどうだ」


「……クラウス・バルトよ」


 クラウスの名前が果たして、この男たちにどれだけ通用するかはわからなかったけれど。

 ルーチェは今ここに助けに来てほしい夫の名前を呼んだのだった。

 





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