第22話 ルーチェの妹

 クラウスに愛想を尽かされる未来は、いつだって想定している。いつかルーチェを、見限るかもしれない。


(ちゃんとわかっているもの。私は、ちゃんと……)


 ルーチェの身の程というものを、弁えて暮らしているのだ。いっときの幸せに浸る邪魔をしないでと、ミレーラに叫びたくなった。


「旦那様は仕事に行っているの。だから会えないわ」

「ええ、本当にお仕事? お姉様に飽きて遊びに行っているんじゃないかしら。可哀想だから、私がお姉様の暇つぶしに付き合ってあげるわ」

「結構よ。あなたに構ってもらわなくても、私は忙しいの」

「社交界に顔をだしてもいないくせに?」


 ミレーラの言葉に、ルーチェは唇を噛み締めた。


 クラウスは特に社交界で繋がりを作ろうと考えていないため、ルーチェは今までそれに甘えていた。彼のことを支えるというのならば、事業が円滑に進むように顔を繋げるのは妻として大事な役目であるに違いないのに。


「カサンドラ姉様が言っていたの。ルーチェは陰気な子だから、屋敷に閉じこもって過ごしているだけだって。夫のバルト卿も知っている人がいないから、陰気な者同士気が合っているのかもねですって。その通りなのかしら」


 クスクスと笑うミレーラに、ルーチェは今度こそいい加減にしてと怒鳴った。自分のことは構わないが、クラウスのことを馬鹿にされるのは、どうしても許せなかったのだ。


「何も知らないあなたが、勝手なことを言わないでちょうだい!」


「やだ、今度はヒステリーを起こすの? そんなんじゃお友達がいなくても当たり前だと思うけど。大人になったのだから、少しは人から好かれる努力をしたらどう?」


 ルーチェがどんなに怒っても、ミレーラには通用しない。可哀想なものを見るような視線を送り、ルーチェを諌めるばかりだ。


「……もう帰って」


「ええ、お茶も出してくれないの? お姉様ってケチねぇ。まあいいわ、じゃあ馬車で送って」


「あなた、どうやってここまで来たの?」

 ミレーラは肩を竦めて、お願いして馬車に乗せてもらったのだと言った。

「ちょうどこっちの方へ行きそうな人がいたから、お願いしたの。もちろん、ちゃんとした貴族の方よ。お姉様に会いに行こうと思ったけど、迎えの馬車が来なくて困っているって言ったら、親切に乗せてくれたの」

 ルーチェに来訪の知らせを送っていないのだから、迎えの馬車なんてあるわけがないのに。ミレーラの言い方だと、聞いた人間はルーチェが意地悪をしているとしか思わないだろう。


 流れるような言葉でミレーラは嘘を吐く。嘘をついている自覚もないのかもしれない。


(だってミレーラにとっては、すべてが事実だもの。私に連絡などしなくても、迎えの馬車が来るのが当たり前。私がミレーラの為に気を回して尽力することが、当たり前だと思っているのね)


「……バルト家の馬車を使いたいということ?」

「お姉様はどうせ家にいるのだから、私のことを送っていくのに使っても、構わないでしょう」

 ものすごく断りたかった。でも断ったらミレーラは、バルト伯爵邸の前で大袈裟に泣いて、ルーチェがいかに酷い姉かを訴えるに違いない。付き合いがあるわけでもないが、クラウスに迷惑を掛けるわけにもいかない。


(馬車を貸したら、ミレーラの性格上、絶対に寄り道をするわ。そしてバルト伯爵家のツケで買い物をするかもしれない)


 クラウスにとっては大した金額ではないだろう。でもクラウスが働いて稼いだお金だ。ミレーラが勝手に使っていいわけがない。





「おや、かわいいお嬢さんじゃないか」




 どうしたものかと困っていたルーチェに、後ろから声を掛けてきた人物がいた。振り返ればそこには、恰幅の良い男性が立っている。


(えっ、……どなた?)


 男性はルーチェと目が合うと、悪戯っぽくウィンクをしてきた。


「デック、こちらのお嬢さんがお帰りになられるのなら、馬車を貸してあげなさい」

「はい、旦那様」

「お嬢さん、何なら一緒にお茶でもしていくかい?」

 男性の誘いに、ミレーラは半笑いで身を引いた。


「いいえ、結構ですわ。……お姉様、用事を思い出したから私帰ります。それにしても、お姉様にお似合いの方で良かったわね」


 鼻で笑ったミレーラは、そのまま玄関ホールを出て行った。恰幅の良い男性とデックが、その後ろを追いかけて笑顔で見送っている。

 一体どういうことだろうと呆気に取られていたルーチェに、今度は聞き覚えのある声が名前を呼んだ。振り返ればそこには、クラウスが立っている。


「クラウス、帰ってきていたの?」

「玄関の方の様子がおかしかったからね、裏口から入ったんだ」

 クラウスもまた、悪戯っぽくウィンクをして見せてきた。

「旦那様、オルローブ家へ直行するように馬車に乗せました」

 デックの報告に、クラウスが頷いている。その後ろを、先ほどの恰幅の良い男性が付いてくる。

「チャドもありがとう」

「いいって事よ。っと、すみません、奥様。失礼しました」

 くだけた話し方を正して、チャドと呼ばれた男性が頭を下げた。クラウスの知り合いなのだろうか。


「昔の顔馴染みでね。それからうちに食材を卸してくれている店の主人だよ。ルーチェも知ってるんじゃないか?」


「はははっ、随分変わっちまったから、奥様だって気付けないんじゃないですかね。ミレーラ様は全然わかってませんでしたよ」

「ごめんなさい、一体どこで……」

「カサンドラ様はよく、うちでベーコンとかを注文してくれましてね。売れ行きが良くって助かりました」


「もしかして姉さんが熱を上げていた、肉屋の若旦那!?」


「はい、そうですよ」

 あっさりと肯定され、ルーチェは驚きの声を上げた。カサンドラが通っていた時は、ほっそりとした体型に切長の目元が涼やかな男性だった。


「幸せと一緒に腹回りの肉も増えましてね。結婚してから商売に精を出して、肉だけじゃなく食料品全般を扱うようにしたんでさぁ」

「……そうだったの」

「カサンドラ様もミレーラ様も、見目が良いのがお好みですから、俺みたいな丸っこいのが相手をしてくれって言えば、あっさり逃げますよ」

 チャドはミレーラの性格を知り尽くしているようだった。聞けば、カサンドラとミレーラは教会のボランティア活動に参加していたので、街の人間の間で有名だったそうだ。

「クラウスの旦那なんかが出てきちゃ、余計拗れますからね」

「揉め事は少ない方がよろしいでしょう」


 チャドとデックの手腕に、ルーチェは驚きながらも頷くしなかった。ゴネていたミレーラが、あっさりと引き下がったのだから。

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