第18話 夫の病気の真実

「奥様、旦那様の容体ですが」

「ええ」




「食あたりです」




「……えっ?」

 間抜けな声が、ルーチェからもれた。


(いま、デックは何て言ったのかしら? 食あたりと聞こえたような……)

「食べ過ぎによる、食あたりです。腹痛を引き起こして動けなくなっただけですよ」

「……うそ」


「嘘ではございません。なんならもうすぐ来る主治医へお聞きになられたら良いでしょう。そして旦那様は食あたりを起こしただけで、そのほかは至って健康でございます。医者からは、殺しても死なない生命力をお持ちだと、褒められているほどです」


(……それは、褒められているの?)


 呆気に取られたルーチェは、クラウスの方を見た。クラウスは両手で顔を隠して、耳まで赤くしてボソボソと小さな声で肯定している。

 つまり、デックの言っていることは全て本当で、余命がどうとかはルーチェの勘違いでしかない。


 ボッと火がついたように、ルーチェの全身が羞恥で熱くなった。



(嘘、嘘、嘘!? 勘違いで私ったらなんてことを……! 恥ずかしい、恥ずかし過ぎるわ!!)



「わた、私ったら、ごめんなさい! あの、クラウス、勘違いして、本当にごめんなさい!!」

 全身を掻きむしりたくなるような事態に、ルーチェは居てもたってもいられなくなり、部屋から出て行こうとした。しかしそれをデックが引き留めた。


「お待ちくださいませ、奥様。この件は、旦那様が変に口止めをしたからこそ、生まれた誤解です。悪いのは全て、旦那様ということですから、お気になさらないで下さい」


「……でも」


「だいたい、旦那様は奥様に良いところを見せようと、見栄を張り過ぎているのです。夫婦なのですから、本当の姿というものを、見せるべきなのですよ」


 デックの指摘にクラウスは身を縮こませている。本当の姿という言葉に、ルーチェは訝しげな視線を向けた。一体どんなことを隠しているのだろうか。

「だってルーチェには、格好良い男だと思われたい……」

「食あたりを起こして倒れている時点で、終わってますよ、旦那様」

 執事のデックは温和な見た目と違い、クラウスに辛辣な言葉を吐き続けている。クラウスはそれを受け入れていて、昔からこうであったのだろうということが見て取れた。

「奥様、旦那様のことでお話があります。どうか、覚悟して聞いてくださいませ」

「え、あ、はい」

 だめだ聞かないでと叫ぶクラウスを無視して、デックは言葉を続けた。


「旦那様の胃は、高価なものを受け付けません」


「……はい?」

「ですから、旦那様の胃は、お高い肉や魚、油をふんだんに使った料理は受け付けないのです」

 ルーチェは何を言われているのか理解できず、瞬きを繰り返した。

「町のレストランで食事をお召し上がりになったと聞きました」

 何を食べたか聞いても良いかと言われ、ルーチェは覚えている限りのメニューの内容を話す。デックは難しい顔で首を横に振ると、すべて旦那様の胃には無理な内容でございますと言われた。

「すべて?」

「ええ、すべて。旦那様は普段、質素倹約を体現したようなメニューを召し上がっています。しかしそれでは、奥様が気になされるだろうと、同じものを無理に食べておりました」

 最初に来た日の夜は、ルーチェの好きなものばかりがテーブルに並んでいた。思い返せばクラウスは、ルーチェを見ていて料理に手をつけていなかった。

 街へ出かけた時だって、クラウスは飲み物くらいしか口にしていない。夕食の時もルーチェを見て話をしてから、ゆっくりと食べていた。

「無理をしていたの、クラウス。あなた、そんなに小食だったの?」

「いや、そういうわけでは」

「奥様、旦那様は高価なものが食べられないだけで、量は成人男性の三倍ほど食べます。ご安心ください」

 何を安心すれば良いのかわからないデックの言葉に、ルーチェはとりあえず頷いておいた。クラウスはベットに伏せて、唸り声を上げている。

「……あの、クラウス」

「ルーチェと一緒に食事をしたいだけなのに、……もう無理なのか、無理だろうな」

(も、ものすごく、しょんぼりしてるわ……!)

 ルーチェはおろおろとしながらも、クラウスに声を掛けた。


「あなたが嫌でなければ、私は一緒に食事をとりたいわ、クラウス」


「……別メニューでもいいの?」

「ええ、あなたが構わないのなら。クラウスは私だけが好き勝手に食べているのは、嫌じゃない?」

「嫌なわけない! ルーチェが美味しそうに食べている姿を見ると、胸が幸せでいっぱいになるんだ! あなたが美味しいと言ってくれる為なら、宮廷料理人を世界中から引き抜いても良いくらいだ!!」

「そ、そう。でもね、バルト伯爵家の料理人の腕が良いから、今のままが一番いいわ」

 クラウスならやりかねないと思った。

 彼の突飛な行動はだいたい理解したので、止めないと今夜あたりから料理人が変わっている可能性がある。


「クラウス、あなたが無理をしても一緒に食事をしてくれたこと、嬉しいと思うわ。だってあなたとお話をしながら食べるの、楽しかったもの」


 食事が楽しいと思えたのは、クラウスと一緒だったからだ。


 実家での晩餐は、ルーチェは黙っているだけだった。父と兄の事業の話、姉の自慢、母と妹のおねだり、ルーチェが話すことは何もない。苦痛しかない時間だった。

「食あたりが治ったら、また一緒に食事をしましょう。今度は、クラウスの胃が受け付けるもので」

 ルーチェの言葉に、クラウスは感激したように声を震わせた。

「なんて優しんだ。ルーチェは天使の生まれ変わりなのかい?」

「言い過ぎよ、クラウス」

「いいや、あなたは本当に心優しい人だ。……ありがとう、ルーチェ」


 クラウスの手が、ルーチェの手を取り握りしめた。微笑むクラウスの顔に、ルーチェは思わず見惚れてしまう。


(優しいのは、あなただわ)



 二人でしばらく見つめ合っていたが、デックの咳払いにルーチェはハッとした。我に返って手を離して、クラウスから少し距離を取る。人前なのになんてことをしたのかしらと、ルーチェは恥ずかしさから頬に手を当てた。

「……邪魔をするな、デック」

 クラウスが低い声で責めるように言った。しかしデックは気にした様子もなく、体調が回復していないのに不埒なことはお控えくださいと言い放つ。

(不埒なこと?)

 どういうことだろうかと思ったルーチェに、クラウスは気にしなくていいよと優しく言った。デックは首を横に振ってため息を吐いたのだった。

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