第2話「主人公を演じるプレッシャーと闘う新人声優」
「先生が倒れたら、全国のファンが心配しますから」
「……少しでも休んじゃうと、ですね」
表に立つ職業ではないにもかかわらず、人を安心させる喋り方ができる人だと思った。
決して喋りが得意というわけではないけれど、こうして一生懸命、相手と話をしようと頑張ってくれている。
そんな、人と積極的に関わっていこう。
一緒に良い仕事をしようという意志を感じさせる
「
「追いつけなくなる、とか……そんな感じですか?」
「そう、ですね」
率直に、真宮先生にも抱えているものがあるんだって思った。
たかだか数分の会話で真宮先生の何が分かるんだって気がしなくもないけれど、この業界で安定した地位にいる人から人間味のようなものを感じさせてもらえた気がした。
「大翔くんって、本当に本当に凄い方なんです」
「俺もそう思います」
「ですよね、凄いですよね! かっこいいですよね!」
人が好きな人や好きな物の話をするときって、本当にきらきらしているなって思う。
もちろん視界には光の粒子なんてものは映っていないけど、このきらきらとした輝きを受けているような感覚。めちゃくちゃ好きだなって思う。
「私が、この業界にいるのは大翔くんのおかげなんです。なので、これからも大翔くんと一緒にお仕事できるように、もっともっと頑張りたいなって思っています」
真宮先生の気持ちが、物凄くよく分かる。
こんなに長く話したのは今日が初めてだっていうのに、真宮先生の気持ちを深く理解することができる。
俺はデビューしてまだ数か月くらいしか経過していないけど、一緒に仕事をしてみたいって思う人たちとたくさん出会ってきた。
その人たちと一緒に仕事ができるように、もっともっと頑張りたいと思う気持ちは本物だから。
「そのためにも、絶対に体は壊せないですよね」
「そうですよね!
「これから真宮先生が直接携わった作品にも、参加できるように頑張ります」
「ありがとうございます。私も二人に出演してもらえるように、作品のクオリティを保っていかないといけませんね」
いろんな人たちと出会って、いろんな人たちと仕事をさせてもらって。
声優になることができて良かったと思えるし、幸せだって思える。
「オーディション、絶対に受かってみせます!」
「私も、また一緒にお仕事させてください」
「お待ちしています」
笹田さんに負けず劣らずの可愛らしい笑顔と、社会人として仕事する姿勢。
その両方を兼ね備えた真宮先生を素直にかっこいいと思う。
「お二人と一緒にお仕事ができること、大変嬉しく思っています。今日は、みなさんのお芝居を学ばせていただきます。宜しくお願い致しますね」
プロで活躍している人は格が違うんだなって感覚を味わうと、こんな凄い人たちと一緒に仕事することを自覚した心臓が猛スピードで動き始める。
「
「あ、はいっ!」
心臓の鼓動を落ち着かせる薬をください。
好きな人に名前を呼ばれるたびに、そんなことを思ってしまう。
「アテンドプロモーション所属の
活舌完璧な挨拶。
自分の名前すら上手く言えない若者が増えてきているって養成所の講師にお小言を言われたことを思い出すけど、やっぱりプロで活躍する人は自分の名前を綺麗に名乗ることができる。
(俺が好きになった人は凄い人なんだよな……)
目の前にいる笹田結奈さんとは、森村荘で一緒に暮らしている仲。
俺に物凄く優しく接してくれている先輩声優。
それは見れば分かるけど、収録スタジオに入った彼女の表情は真剣さを帯びていて受ける印象がまったく変わってしまう。
(こんな真剣な表情の笹田さん……初めて見た)
表情が違うなって、一目で分かる。
笹田さんの真摯な瞳が俺のことを魅了してくる。
(笹田結奈さんの……恋人役……)
笹田結奈さんと共演できて、万歳。
そんな風に、心の底から万歳三唱をすることができない。
笹田さんのファンをやっていたときの俺からすれば、妄想することすら不可能なくらいあり得ない現実を迎えている。
「和生くん?」
俺は笹田結奈さんを見返すために、声優を目指した。
褒められた志望動機でないことは分かっているけど、どんなきっかけがあったにしても俺は声優として仕事をさせてもらっている。
「和生くん、緊張しちゃっているみたいなんです」
「にゃはは~、初めての主人公役ですもんね~」
「
「ごめん、ごめん、ゆいなちー」
やっぱり今日は、いろんな意味で心臓が痛い。
初めていただいた指名の仕事。
初めていただいた主人公の仕事。
元想い人の笹田結奈さんとの初仕事。
彼女を炎上させた人間が、目の前で芝居をすることで彼女を見返す絶好の機会が到来。
それなのに、その、見返すだけの芝居が自分にできるのかって不安に包まれ始める。
「収録が始まる前に、外の空気吸ってきます!」
必要とされているから、俺はここにいる。
それに間違いはないのだから、遠慮なく芝居に打ち込めばいい。
ここにいてもいいのかなんて自問自答すら必要ない。
それらすべてを理解しているはずなのに、俺の心臓はやっぱりまだ痛みを帯びてしまっている。
「笹田結奈なんて、大っ嫌いだーーー!!!」
誰に聞かれているかも分からないビルの屋上で、大都会に向かって大きな声を放つ。
目の前には無数の高層ビルが立ち並び、真上には青い空が広がっている。
自分なんて、ちっぽけな存在に過ぎないはずなのに、抱えているプレッシャーがあまりにも大きすぎて耐え切れない。
「悔しい……マジで悔しい……」
簡単に言えば、怖気づいてしまっている。
笹田結奈を見返す声優になってやると言ったのは、どこのどいつだ。
「怖っ……主人公を演じるって、怖……」
深呼吸をし、胸の中に溜まった緊張を吐き出す。
心の中で静かに自分を励ましていくけど、ちっとも緊張が遠ざかってくれないから困る。
「恋人役、ラッキーじゃない……」
俺が、あのときあなたに
そんなネタばらしをしてみせるって意気込んでいた頃の俺が、今は存在しない。
プロの声優が仕事をしているスタジオに、自分がいるってことが不思議で不思議で仕様がない。
笹田結奈を陥れた人間が、笹田結奈と一緒に仕事をするなんてあり得ない展開が起きようとしている。
「先輩がいないなら、せめてマネージャーには付きっ切りでいてほしいわね」
「笹田さん……」
自分がへこんでいるときに大好きな人……元大好きな人が現れるとか……あり得ない。
「甘えられる人がいないって、ほんっとうに! 大変っ! その気持ち、私もよく理解しているつもりだから」
自分が沈んで沈んで地に落ちそうになっているときに、元大好きな人の声を独占できるとか……あり得ない。
「大抵の事務所のマネさんは一人で何十人もの声優を抱え込んでいますからね……」
「そうねー、マネージャーさん一人雇えないほど声優の給料は薄々だから」
「……声優は夢を届けるのが仕事です」
「炎上声優に、そういうこと言う?」
あり得ない、あり得ない、あり得ないことだらけ。
あり得ないことが続きまくっているけれど、これは現実。
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