犬の学生
@erhngi
前編
ある春の日、僕らのクラスに転校生がやってきた。
「今日から皆さんのクラスメイトになる、アカサカ君です」
先生がそう紹介した瞬間、教室の空気が凍った。
柴犬だった。
いや、比喩でも例えでもなく、正真正銘、四本足で立ち、茶色い毛並みをまとった、本物の柴犬が制服を着て立っていた。
「よろしく……お願いします」
低くて落ち着いた声で、犬が喋った。
教室はシーンとしていた。誰も笑わなかったし、誰も驚きの声を上げなかった。ただ、席に座らされたアカサカを、当たり前のように受け入れていた。
僕、平尾悠人(14)だけが、心の中で絶叫していた。
(いやいやいや、犬だろ!? なんで誰もツッコまないんだよ!?)
その日一日、僕は何度も自分の正気を確かめた。アカサカはちゃんと制服を着て、ノートを取り、体育では俊敏に走り回り、しかもクラスの女子から「カワイイ〜!」とキャーキャー言われていた。
教室に犬がいる。しかもめちゃくちゃ優等生。
帰り道、僕は勇気を出して声をかけてみた。
「……あのさ。アカサカ、だよな?」
「うん」
「お前って……犬……だよな?」
「うん。君はまだ人間?」
「は? 何だよその質問」
「ちょっとずつ分かるようになるよ。僕も、最初はそうだった」
意味がわからなかった。
次の日も、その次の日も、アカサカは何事もなく教室にいた。誰も違和感を口にしない。
それから、一週間後。
図書委員の藤崎が、いじめられた。
無口で目立たないやつだったけど、ある日、机の中にゴミを詰められ、帰りの会で「くさい」と笑われて泣きながら教室を飛び出していった。
次の日、藤崎は学校に来なかった。
だが、藤崎の席には、見たことのない黒い犬が座っていた。制服を着て、出席番号は藤崎のまま。
皆、何事もなかったように「フジサキくん」を受け入れていた。
(おかしい、絶対におかしい)
放課後、僕はアカサカに詰め寄った。
「なあ、あの黒い犬、あれって……藤崎なのか?」
「うん、そうだよ」
「な、なんで……犬になってんだよ……!」
アカサカは、曇り一つない目で僕を見た。
「この学校では、心を失うと犬になるんだ」
「……は?」
「いじめられて、絶望して、自分の言葉を失った人間は……犬になる。そういう仕組み。もう長い間、ずっとそう」
背筋が凍った。まるで悪い夢だった。
アカサカは最後に言った。
「君も、そろそろみたいだね」
その瞬間、僕の耳に、微かに“犬の鳴き声”が聞こえた。それが自分の喉から漏れたものだったと気づくのに、数秒かかった。
──後編につづく。
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