正体不明の医者(前編)
ウヌ・キオラスは、全速力で階段を駆け下り、窓から外へ飛び出した。ともに駆け抜けたシアンのほうが早く到着して、仲間に声をかける。
「ミラーノさん、聞こえますか? 返事をしてください!」
シアンの呼びかけに応える様子はなく、ミラーノは、木に背を預けて、眠るように瞳を閉じていた。
左腕は赤黒く腫れ上がり、砂漠の昼間に活動したときのような大汗をかいている。
傍らにかがみ、ミラーノの右手を持ち上げるウヌ・キオラス。体内に残った精霊の力をかき集めると、つながった手を通して送り込んでみる。こうすることで、傷の具合をある程度は確かめることが可能だ。
ウヌ・キオラスが注目するのは、外傷だけではない。
人間が持つ、生命の器。まるで見えない内臓のように、生きとし生ける者として誰もが持つ、その人だけの純粋な容れ物だ。体調に異変があると、この器にも異常が起こる。
ミラーノの体内を旅した精霊の力は、ほどなく、彼の生命の器を見つけ出した。
そして、ウヌ・キオラスは眉を
(ボロボロだ……これ、どうやって治療したらいいんだろう)
大砂漠を横断してたどり着いた風の神殿にて、アルフェリムも生命の器に重篤なダメージを受けていた。
それを治療したのはウヌ・キオラスで、損傷の程度だけ見れば、今回はまだ修復は容易であるように思われる。しかし、アルフェリムの器が傷ついたのは「魔障(魔境の毒による影響)」であり、ウヌ・キオラスの持つ祝福『闇夜の抱擁』はこれを清めることができる。治療方針が明確だった。ウヌ・キオラスが毒を取り除き、シアンが輸液、本人の意識が回復してからは栄養と休眠。それで回復が可能だった。
現在、ミラーノの器の損傷は、外傷が原因であり、範囲も広い。
ウヌ・キオラスは、外傷の手当てに関してはごく一般的な知識しか持っておらず、何から手を付けてよいのか分からなかった。
シアンは、ミラーノの呼吸と脈拍の数値をメモに取ると、医者を呼ぶために研究棟へ走っていった。サラヴィエが後を追い、ディックが残る。
サラヴィエ、ディックの傷も気になる。少量とはいえ、消石灰も浴びているはずだ。
ふたりを気にしつつも、ウヌ・キオラスは、腫れているミラーノの左側に触れようとした。ここが、一番大きなダメージであるように見えたからだ。
そこへ。
「胸の傷を先に手当てしないと、死んじゃうかもしれませんよ~」
のんびりとした声が降ってきて、ウヌ・キオラスは振り返った。
長い髪の男が立っていた。年の頃は、50歳前後か。ウェーブの白髪交じりの黒髪を、ゆるく編んで胸元に垂らしている。銀縁の眼鏡をかけているが、少しずれていて、口にはクッキーを咥えているようだ。白衣の前面に、ぽろぽろとカスがこぼれ落ちる。
ウヌ・キオラスと目が合うと、彼はにっこりと、黒い瞳を細めた。
この男が誰なのか――と尋ねている時間はないので、ミラーノの衣服をゆるめて、胸の傷を確認する。確かに、中心部に赤黒い痣があるが、ひどい失血というわけではなく面積も小さいため、ウヌ・キオラスは首を傾げた。
おっとり微笑む男は、のんびり患者の腹の奥を指さした。
「深刻なのはね、表面の傷じゃなくて。そこからつながる神経網……えーと、脳みその指令を届ける糸のようなもの、気脈とか経絡って言ったら通じます? まぁ、胃の裏側あたりなんですけど、そこがね、大きく損傷していると思いますよ。話を聞いた限りですけど」
ウヌ・キオラスは、精霊の力を薄く伸ばして、慎重に生命の器に触れる。大きな損傷が、二か所ある。そのうちの片方が、胃の裏側ということだろうか。
ウヌ・キオラスが腑に落ちないのも無理のないことで、人間が胃という臓器を使って食べ物を消化していることは知られているが、それを見たことのある者はほとんどいない。胃を患ったとしても、飲み薬による治療が一般的だったからだ。亡くなれば、火葬することにより、死者は女神の身許へ還ると信じられていた。
シアンが、駆け寄ってきた。白衣を着て、黒髪をアップした女性を連れている。彼女が、シアンの恩師エルブ・メディクエルナ教授であるという。
その教授が、白衣のあやしげな男を指した。
「このおっさんは、神殿から紹介された医者だ。重症者がいるなら
「どうも~、ベテランの医者です~」
にこやかに手を振る男を、ウヌ・キオラスはやや警戒の眼差しで見上げた。
(神殿の紹介って、本当かな。私は会ったことがないと思うけど)
不思議と、のんびりとした口調に和やかな気持ちが湧いてくるものの――素性の知れない人間に、仲間を預けるのはためらわれた。
その戸惑いを察したのだろう、シアンが、ウヌ・キオラスの隣にしゃがみこんだ。
「ミラーノさんの意識はない、アルナールたちもいない。判断して、行動できるのは私たちだけです。ふたりで決めなくちゃ!」
シアンの言うとおりだ。
いざというとき、判断することも、医者の大切な役割だ。
ウヌ・キオラスは立ち上がり、白衣の男と正面から向き合った。
「この患者に適した治療を、教えてほしい。施術は、私たちが主体で行います」
白衣の男は、クッキーの最後のひとかけらを口に放り込むと、やや不明瞭に「わふぁりました」と答えた。
「僕の名は、ユンジュと言います。専門は、
男の楽しげな呟きを聞いたウヌ・キオラスは、何かあったら即、錫杖でぶん殴ろうと決意しつつ、医務室への搬送を急いだ。
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↓(偽りの)次回予告
マッドドクター登場?!
ミラーノの容体は。ウヌ・キオラスとシアンは、医者として成長できるか。
あと、仲間たちが間に合いませんでした。
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