第二話


 別々にお会計を済ませた私と栗田先輩は、背に冷やかな視線を感じながらキッチン・ヤマモトを後にした。


「栗田先輩、何で奢ってくれなかったんですか? 年長者は若者に腹いっぱい食わせてやるのが義務なんじゃないんですか? どうせ儲かってるんでしょう?」


「バカ言うなよ。こちとら嫁と娘と家のローンを抱えた小遣い制のサラリーマンだぞ。どうして部下の昼飯も面倒見なくちゃいけねぇんだ」


「羽廣ちゃんには奢ってたくせに。やっぱり奥さん一筋の栗田先輩でも、若い女の子にはお甘いようで」


「お前も初めて出社してきた時は奢ってやっただろ」


 羽廣ちゃんとは、この前の四月に入社してきた新人の女の子だ。今は資料作成室の中森さんが情報収集の基礎を叩き込むと言って、地方のフィールドワークに連れて行っている。入社二年目となる私にとっては、初めての後輩だ。


「それで、エリーが何でしたっけ?」


「ああ、どこまで話したか」


「蛆に食われたみたいな死体の話までです」


 その話が原因で、他の客から冷たい視線を向けられた(ような気がした)のだ。


「そうだったな。エリーと子供が出会った家の住人は、近いうちに全員が変死体として発見される。そこまではいいな?」


「はい」


 私たちは既に職場の雑居ビルへと辿り着いていた。しかし、会話をしながら入り口を通り過ぎ、ビルの角を曲がって路地へと入る。不衛生で淀んだ空気の小道を進み、ビルの非常階段下へと向かうと、その脇に赤いスチールの簡素なスタンド灰皿が設置されていた。まだ昼休憩の時間には余裕があり、私たちが近場で昼食を済ませる理由の一つがこの喫煙タイムにあった。


「おそらく中森も見つけられていない事例はいくつかあるのだろうが……悪い、火を貸してくれ」


 栗田先輩は安物の使い捨てライターをカチカチと鳴らして言う。どうやらオイルが切れてしまったらしい。私は懐から取り出した煙草を咥えて火をつけてから、オイル交換式のジッポライターを手渡す。


「中森さんなら他の事件も簡単に見つけて来そうですけどね。一家全員の不審死なんて、そう多くは無いでしょうし」


「いや、事件性があればニュースになるし、事故の疑いがあれば再発防止を目的に調査される。しかし、奇怪すぎる不審死……それこそ俺たちの領分に関わる案件は国が隠したがる。中々正しい情報が出回らないからこそ、中森も苦労して普段から苦労しているみたいだぜ」


 私にジッポーライターを返して、栗田先輩は渋い顔で煙草を吹かす。そこで初めて気が付いたが、栗田先輩の顎にご飯粒が付いていた。まあ、煙草を吸っていればそのうち自分で触れるだろう。


「再現性の無い事だから。でしたよね」


「基本的にはだがな」


 何か超常的な力によって引き起こされた事件は、科学的な知見で説明する事が出来ない。それでも事故が起これば、公的機関は同じ事象が起こらないようよう再発防止に努めなければならない。ならばいっその事、分かりやすい別の原因をでっち上げ、科学的な知見に基づいて再発防止策を提示してしまおうというのが、現状のお上の方針らしい。


 もっとも、インターネットの発展に伴い、誰もが気軽に情報を発信できるようになってしまった昨今では、その方針にも無理が来ている。何とか都市伝説の名を関して、創作という体裁を整える事で凌いでいるが、いつまで持つ事やら。


「話を戻すぞ。中森からの断片的な情報を受け取った所長は、この件に妖精が関わっている可能性があると考えた」


「妖精ですか? あの、絵本とかゲームとかに出て来るファンシーの代名詞みたいな妖精で合ってます?」


 私の頭の中では、スマホアプリのゲームに登場する少女のキャラクターが浮かんでいた。そういえば、次のイベントではメイド服のコスチュームが実装されるんだったか。今のうちにガチャを回す為の石を集めておかなければ。


「ああ。厳密な意味での妖精はお前の想像しているモノとは違うと思うが、今回はいわゆるフェアリーと呼ばれてる連中だと認識しておけば良い」


 栗田先輩は白い煙をふかしながら言う。以前、娘にキスをしようとしたら、臭いと拒絶されたと嘆いていたが、禁煙という選択肢は無いらしい。


「そのエリーっていう子と妖精がどう関係があるんですか?」


「さあな。所長の考えている事はよく分からない。何か所長しか知らない事があるのか、或いは……」


「勘ですかね?」


「かもな」


 私と栗田先輩は互いに渋い顔になる。所長は時折、突飛な判断を下す。それは概ね誤った選択ではないのだが、その結論に至った理由をあまり話したがらない。もっとも、一度話し始めると中々終わらないため、無理に聞き出したいとも思わないのだが、組織を率いるトップの姿としては、いかがなものかと考えさせられる。


「それで、今回の仕事は一体何なんですか?」


「それはこれから聞く事になっている。本当は朝一で説明があるはずだったんだが、どこかのバカが仕事を終わらせてなかったから、午後に回してもらったんだ」


 私はばつが悪くなって、頭の裏をかく。


「た、怠慢ですね。どこの愚か者なんでしょうか」


「お前だよ。今日中に提出しなきゃならない顧客向けの報告書を当日に書き上げようとするバカが他に居るのか?」


「いやぁ、営業の畑山さんが今日でいいって言うから……」


「赤入れして修正した完成版を今日出せって話だろ。しかも、畑山は今日の朝一で出せって言ったらしいぞ」


「でも、午前中に書き上げたじゃないですか」


「何とか終わらせる器用さは評価してやるが、おかげで畑山は昼休憩返上で最終チェック中だ。戻ったらちゃんと謝っておけよ。分かったか、このバカ!」


「先輩……あんまり後輩にバカバカ言ってると、労基に訴えられますよ?」


 栗田先輩は拳骨で私の頭を軽く小突いた。言い逃れができないレベルでのパワハラである。


「労基が怖くてお前みたいな甘ったれと組めるかよ。ったく、そろそろ戻るぞ」


 やれやれと呆れた様子で煙草をもみ消す栗田先輩がだ、こっちからすれば、こんな口も態度も悪く、手も出すようなパワハラ先輩と仲良くバディーを組んでいる私の方がやれやれだ。


 私も煙草を吸い殻入れに片付けて、先輩と共に非常階段を登る。三階のフロアを借りている我が社に戻るには、正面玄関からエレベーターを使うよりも非常階段を登った方が近いのだ。


「先輩、感謝してくださいよ」


「何にだよ?」


「労基に駆け込まない事ですよ」


「……階段から突き落とされてぇか?」


 栗田先輩が本気で怒り始めた気配を感じ取って、私は口のチャックを閉めるジェスチャーをして黙る事にした。

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