妖精を食べた女の子と妖精に食べられた大人たち
秋村 和霞
プロローグ―――――――――――――――
妖精に魅入られた少年の話
僕の家の裏手から道路を渡って雑木林を抜けると、小さな原っぱがあった。メネリ川にミナモちゃんと遊びに行くときに、彼女が「こっちから行ったら近いんじゃない?」と言うからついて行ったら、川辺の土手と雑木林の間にその場所を見つけたんだ。
「ああ、藤山さんの土地だったところね。勝手に入っちゃダメだから、遊ぶなら別の場所にしなさい」
その場所の話をお母さんにした時にお母さんから厳しく言われてしまう。すでにミナモちゃんと一緒にお花を摘んだり虫を捕まえたりして遊んだ後だったから、怒られると思ってそれ以上の事は黙るしかなかった。
「知らないうちに悪い事してたんだね」
お母さんから言われた事をミナモちゃんに伝えたら、どういう訳か少し嬉しそうな表情をしていた。悪い事はしちゃいけないってミナモちゃんも分かってるはずなのに、どうしてそんな顔をしているのか僕には理解できなかった。
ある日。ミナモちゃんはお家の用事で僕と一緒に遊べなかったから、僕は一人でメネリ川に遊びに行ったんだ。
一人で石を川に投げて遊ぶのはあんまり楽しくなかった。ミナモちゃんが一緒に居るときは、二人でキャキャと笑い声を上げながら石を投げて楽しかったのに、一人では全然面白くないって事が分かった。
でも、今日はお父さんがお仕事がお休みで家に居る日だから、お家には帰りたくなかった。お父さんは僕の事を見ると機嫌が悪くなる。お母さんも僕がお父さんとお話ししようとすると怖い顔で睨むんだ。親戚の叔母さんが言うには、僕のお父さんは本当のお父さんじゃないからなんだって。お父さんなのにお父さんじゃないって、どういう事なんだろう?
僕はつまらないと思いながらも、どこにも行ける場所が無くて、川辺に膝を抱えて座り込む。川の流れがゆっくりな所で水面を見ていると、その水面に僕の顔が鏡みたいに映っていた。
水面の中の僕は目から大粒の涙を落とし、鼻水で顔がぐしゃぐしゃになっていた。時折、鼻の周りを服の裾で拭いて、また顔がぐしゃぐしゃになる。
結局僕はそこからどこにも行けず、ひたすら川辺で泣き続けていた。泣いて泣いて泣きはらして、しばらく泣いていると、頭上から声が降ってきた。
「おい坊主。水の近くで寝てると危ないぞ」
その声にハッとなり、顔を上げる。土手の上から自転車に乗ったおじさんが僕の方を見ていた。僕はいつの間にか眠っていたらしい。
そのおじさんは変わった目をしていた。片目が真っ白でその周りに傷の跡があるのだ。
「ちゃんとお家に帰れるか?」
知らないおじさんからそう聞かれたので、僕はうんうんと頷いて見せる。するとおじさんは安心したように顔をほころばせ、「寄り道せずに真っ直ぐ家に帰るんだぞ」と言って自転車を漕いで土手の道を行ってしまった。
空は既に綺麗なオレンジ色をしていた。既にお家に帰る合図の鐘の音は鳴ってしまった後かもしれない。
約束の時間にお家に帰らない事は悪い事だ。僕はまた悪い事をしてしまったのかもしれない。
僕が悪い事をすると、お母さんからはとっても恐ろしい顔で叱られる。お父さんはそんなお母さんと僕を見て笑う。でも、その笑いは僕がミナモちゃんと遊んでいる時みたいな楽しい笑いじゃなくて、なんだかとっても嫌な笑いだ。
だから僕は悪い事をしちゃいけないんだ。ちょっとだけ怖いお母さんとお父さんが、とっても怖い二人になっちゃうから。
僕はまた泣きそうになりながら、近道で帰ろうとすると、原っぱの様子がこの前と違う事に気が付いた。
不思議な光る虫がふわふわと原っぱの周りを飛んでいた。テレビで見たホタルって無視とは違う、もっと大きくて、青白く光る虫だ。僕は綺麗だなと思って、急いで帰らなきゃいけない事を忘れて足を止め、その光る虫たちを見ていた。
「何見てるの?」
突然声がして僕は「えっ!?」と声を上げる。呼びかけられた方を見ると、原っぱの中心に僕ぐらいの女の子が立っていた。さっきまで原っぱの中に誰も居なかったはずだけど、光る虫にばっかり気を取られて気づかなかったんだと思う。
「何見てるの?」
女の子は再び僕に呼びかけた。白いワンピースで白い帽子を被った、僕よりも少しだけお姉さんな女の子だ。肌の色が僕やミナモちゃんよりもずっと白くって、不思議な色の宝石が付いたネックレスをしていて、なんだか絵本の中に出て来るお姫様や、ミナモちゃんのお家にあるお人形さんみたいな感じがした。
「何って……光ってる虫を……」
女の子は僕が言葉を言い終わる前に僕の元に駆け寄って来た。そして両手で僕の頬を挟むと、息がかかる距離まで顔を近づけてきた。
「妖精が見えるのね。そうなのね?」
両目をぎょろりとさせながら女の子は興奮した様子で言っていた。
「妖精……って、あの妖精?」
僕は絵本の中で妖精を知っていた。僕たちみたいな子供を守ってくれる、ちょっと悪戯が好きな可愛い女の子みたいな存在。だけど、この場所でふわふわ浮いているのは、絵本の中の妖精とは少し違う気がする。
「そう、あの妖精よ。私たちみたいないい子にしか見えない、悪い大人から私たちを守ってくれる妖精。嬉しい……嬉しいわ。あなた、お名前は?」
「り、りんどういっき」
僕は女の子の普通じゃない感じにびっくりしながら答える。女の子はようやく僕から手を放してくれた。
「いつき君ね。私はエリーよ。これからよろしくね」
これが僕とエリー、そして妖精との初めての出会いだった。
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