十三時二十分頃

 僕は彼女を冬華と呼んだ。


 一学年に一クラスしかないような小さな小学校だった。クラスの全員が幼馴染みたいなものだったけれど、同じ地区の同じ学年は僕と冬華だけだった。

だからとりわけ彼女とは距離が近かったと思う。

地区の行事は何かと多い。僕と冬華はいつだってペアのように扱われていた。冬華は大人しくて言葉数も多い方ではなかったけれど、とても良く笑う子だった。

僕がおどけてみせればニコニコと笑い、調子に乗って流行りの芸人の真似でもすれば赤いほっぺたを溢しそうな程に目を細めて笑ってくれた。破顔するとはあんな顔のことを言うのだろう。

僕は冬華を笑わせるのが好きだった。笑ってくれることが嬉しかったのか、冬華の笑った顔が好きだったのか、あの年齢の自分では良く分かってもいなかった。

そんな冬華はお父さんの転勤で小学校を卒業すると同時に、県外へと引っ越して行った。このことを伝えられていた同級生は多くなかった。中学校がはじまると何故か居ない冬華のことを色んな奴から訊かれた。何故僕に訊くんだよ、という気持ちと、訊くなら僕にだよな、なんて気持ちが混じり合った形容し難い感情を持て余してるのを自分でも感じた。淋しさや優越感が同居する気持ち悪さ、今でも良く覚えている。

たまに元気だろうかと考えたりもしたが、そんなことも次第に減っていった。高校受験へのプレッシャーや合格の安堵、新しい環境への不安で冬華のことなど思い出さなくなっていた。そうして高校生活がはじまっての六月、冬華がこの高校に編入してきた。どうやら両親が離婚をして、お母さんの地元であるこっちへ戻って来たらしい。そんな情報を何処から仕入れて来るのかと自分の親に思った。

久しぶりに見る冬華はとても垢抜けていた。若かったお母さんの影響だろうか、それともつるんでいた友達の影響だろうか。

クラスが違ったから話しをする機会はあまりなかった。たまに下駄箱なんかで顔を合わせ話しをした時には、相変わらず口数は少なく、僕の言葉にコクコクと頷くばかりだった。でも、僕の良く知るあの笑顔を見せてくれた。

見た目が変わっても冬華は冬華だった。

冬華と同じ小学校だった奴も何人かこの高校に居たし、比較的早く馴染んでいったように思う。


 冬華が転入してきてどれくらい経った頃だろうか、校内で見掛ける冬華はいつも一人だった。違和感には気付いていたのに何もしなかった。何も行動しなかった。一人不自然にジャージ姿だったり、変な噂を聞いたり、授業も良くサボってるみたいだった。

何度も声を掛けようとは思った。でも俯く冬華とは目が合わなくてタイミングを掴めなかった。そう言い訳をしていた。


 僕らは二年になった。僕が感じていた不穏な違和感はその濃さを増していって、誰もが見ないふりに勤しんでいた。


 テスト期間中で学校は半日で終わり、部活動もない校舎にはまばらに人の気配が残っていた。図書室で明日の教科のテスト勉強をしていたが、くたびれてしまって呆けながら窓外へと視線を移した。その時、目に入ったのは誰かが屋上のフェンスをよじ登っている姿だった。そして屋上へ居る誰かに何かを言っているように見えた。少し距離があるし確信はなかったが、本能的な直感があった。僕は慌てて駆け出した。さっきまで僕が座っていたであろう椅子が倒れた大きな音が後ろで響いたが、振り返らなかった。

夢中で駆ける。

図書室がある一階から三階上の屋上まで。途中、派手で嫌な奴等のグループとすれ違った。きっと何かを言っていたと思うが、そんな物を処理する為に僕の脳は使われなかった。

息が切れる。喉が貼り付き、飲み込む唾が熱い。

三階から屋上へ続く階段を二段飛ばしで登る。

もう直ぐだ。あと少し。

間に合ってくれだとか、辿り着いてどうしようなんて考えてはいなかった。

そう何も考えてはいなかった。

ただ一秒でも早く、体がばらばらになる程に必死で駆け上がり、磨り硝子から薄く光の漏れる扉を押し開いた。

開かれた扉を風が勢い良く叩きつける音が響いた。


きっと何かの間違いだと思うんだ。

あの距離で声など聞こえる筈もない。

口の動きから僕の脳が勝手に作り出した幻聴だったんだと、今なら思う。


でも、あの時、あの屋上で、僕にはこう聞こえたんだ。

慣れ親しんだ、僕の好きだったあの笑顔で。

その笑顔で、いつぶりに冬華は笑ったのだろうか。



「バイバイ、冬華」



冬華の口の動きに合わせて、静かに響いたんだ。

誰も居ない屋上に。




 数日の休校を挟んで、学校は再開された。

あんな事があったのに、この世界は日常を強要してくる。

また何処かで、色目を使っただの、愛想笑いがウザイだの、その程度のきっかけで人はどれだけでも残酷になれるのだろう。


そして、見える物を見えないとし、聞こえる物を聞こえないとすることにも、正当な理由などは一つ足りともない。ある筈がない。僕にも、誰にも。


皆が等しく愚かで、皆が一様に人殺しだ。


人生最後の日に、救わなかった命を思い出し、囚われ、後悔しながら、出来得る限りに苦しみながら、死ねばいい。死んで行けばいい。



なあ。


苦しかったよなあ。


辛かったよなあ。


痛かったよなあ。


逃げたかったよなあ。


なあ。


助けて、欲しかったよなあ。


なあ。



天気予報通りに降り出した雪は、いつか教えてもらった白く小さい頭を垂れて咲くスノードロップに良く似ていた。

窓外を見つめながら小さく声が漏れる。


「なあ、冬華」


昼休み、賑やかな中に一際耳障りで、聞き慣れた高い笑い声が響いている。

僕はポケットへ右手を滑らせると、登校前に忍ばせたカッターナイフの所在を確かめた。


そして、そのまま、強く握った。






おわり。

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それは天使が変えた花 花恋亡 @hanakona

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