雪女

泣き響むれば羅刹

第1話 『 雪山に響く古びた伝説 』

- 雪原の手招き


鉄平は都会の喧騒から抜け出し

静かな自然と向き合うため

雪に覆われた深山へと向かっていた。

降り積もる雪が徐々に車のタイヤを

重たくする中、助手席では妻のみゆきが

熱いコーヒーを飲み、微笑みを浮かべた。

二人は心の距離を埋めるために

この旅を選んだのだ。

しかし、雪山の入り口に一歩足を踏み入れた瞬間、背筋に冷たい何かが忍び寄る。

雪山の空気はどこか異様で

人知れず潜む悪意の気配を感じさせた。


到着早々、山小屋付近で出会った

たった一人の老人、「とおじい」と

名乗る古老が、険しい表情で

二人に言葉を投げかけた。


「よう来たな……だが、この山には

“知らんほうがええこと”がごまんとある」


彼の顔には、長く積み重ねられた

恐怖のシワが刻まれているようで

まるでこの山そのものが彼を老獪な姿に

変えたかのようだった。

とおじいは「白い女の足跡」を見たら

それ以上先に進まんことだ、と念を押す。

だが、彼の話は暗示的に過ぎて

その真意を悟ることはできない。

どこか頭の片隅で不安を感じながらも

鉄平とみゆきは予定通り

雪山でのキャンプを始める。

しかしその夜、淡く光る満月の下で

聞こえてきたのは

不気味な音――濡れ布を引きずるような

低く浸る音。その方向を見ると

何か、白いものが木々の間を緩やかに動いて消えた。



- 消えた足跡


翌朝、昨晩の出来事は夢だったのだろうか

と自分を納得させようとする鉄平。

しかし、みゆきが寝袋から姿を起こし

氷のように冷たい声色でこう呟く。


「だれか……山から……見てたよね」


二人の間にしこりが生まれるが

それを吹き飛ばすように、鉄平は再び

自然と向き合おうと山を登り始める。

しかし――雪の表面に浮かぶ奇怪な足跡を

見たその瞬間、寒さ以上に底知れない悪寒が走った。二人で降り始めた雪を掘り返すと

出てきたのは人間のものではない

動物とも呼べない歪な形……。

その後、足跡は唐突に消え、雪面だけが

風化していないかのように滑らかだった。

地元パトロール隊に問い合わせると

関係者たちは曖昧な態度を取る。

しかし、とおじいだけはなおも厳しい表情を崩さない。彼らの会話の中で急に発せられた "雪女" という言葉が、異様な重みを持って

響く。その存在を信じていないはずの

二人の心が同時に揺らされる。


「真実を知れば、この山は

ただ冷たいだけじゃなくなる」と

警告を受けるが、

彼の暗示は謎のままに過ぎる。



- 古びた伝説のささやき


とおじいは、鉄平たちにこの雪山に伝わる「白銀の娘」の物語を話し始める。


「むかしむかし、この雪山には

男を凍てつかせる白い娘が住んでおった。

命を求めて、暖かい人間を見つければふれ、その心臓を氷に変える……。」


彼の話はどこか昔話のようにも思えるが

不気味な迫力がその語りに滲む。

そして、とおじいはこう付け加えた。

「だが、この話には続きがあるんだよ。

“白い娘”はただの悪魔じゃない。

その正体は、山に未来を託すため

永遠に苦しみ続けた

“誰か”の成り果てなんだ」


誰か? 何を意味するのか

それに答えることなく彼はただ立ち去った。

雪山は静寂に包まれ

「本当の伝説」の一片だけを残す。

だが、その夜、鉄平は妻みゆきが

雪に吸い込まれるようにふらつく姿を

目撃する。彼女の肌は雪のように白く

息はかすかに凍り付き、瞳にはどこか

遠くを見るような虚無が漂っている。

彼女の体には、ある刻印が浮かび上がり

鉄平の記憶の奥に眠る

ある「過ち」を呼び覚ます。


「どうして……いまさら……」


みゆきが震える声で呟き

雪山の奥から響き渡るのは、かつてどこかで聞いたことがある、低い笑い声だった。

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