第6話-④
――はじめまして、エデルガルト王女。
不意に知らない声が聞こえた。知らない少年の顔が脳裏をよぎる。
――エデルガルトは宝石が好きなの?
その顔は、あどけないものから少しずつ精悍な男のものになっていく。
――誕生日おめでとう、エル。その……気に入ってくれるか、わからないけれど。君に似合うと思って。
照れくさそうに差し出された箱の中には、大粒の真珠のネックレスが納められていた。
――泣かないで、エル。
場面が一気に飛ぶ。その人物は、ベッドの上に横たわっていた。青白い顔に、痩せた頬。一目で命の火が消えかけているとわかった。
――笑って。いつものように、君の笑顔を見せて。
そう言って少しして、彼も優しく微笑む。
――やっぱり、君には笑顔が似合うね。
誰かが彼の手を握る。冷たいその手は、もう握り返す力も残っていない。
――エデルガルト。
男は声を振り絞った。まぶたがゆっくりと下りていく。
――どうか、いつまでも、美しく――……。
「――っ! か、ぁ……!」
息苦しさで現実に引き戻された。
時間にしてどれくらいなのか。あの光景はなんなのか。
ゆっくり考えている暇はない。わかるのは、彼女がこうなったすべてのきっかけ。
(とんでもねえ呪いを遺しやがって)
奥歯を噛む。
あんな願いのために産み落とされたのか。幾人もの命を犠牲にしてきたのか。
醜く笑い、道化のように歪む黄金に吐き気を催した。
首を絞める金の手を掴む。
「……水鏡の森、常闇を照らせ」
持てる酸素をすべて使って詠唱する。全身を流れる魔力を最大限練り上げる。
「真なる主は我にあり、反転せよ!」
精霊との契約が完了する。膨大な量のマナと魔力が結びつく。
――魔法とは、特定の呪文によって精霊と一時的に契約して起こす奇跡の総称。術者の得手不得手はあれど、その奇跡に値するだけのマナと魔力があれば、理論上は誰でも起こせる。
では、魔法の威力を左右するのはなにか。
これも理論上は単純な話。マナと魔力の結びつきだ。結びついたそれが多ければ多いほど、魔法の威力は上昇する。
ただし、マナは特殊な環境でもない限り一定以上の濃度にはならない。人間が持つ魔力も、どれだけ練り上げようと限りがある。
では、人間が窒息するほど高濃度なマナと、竜に匹敵するほどの魔力量があれば?
――奇跡を上回る、呪いと呼べるほどの威力にまで達する。
「え……」
「は?」
結界で閉ざされた空間内の光景に、マーガレットとパスカルは目を見開いた。
霧が少しずつ薄れていく。グラウが魔法を使ったのか、エデルガルトが呪いを使ったのかはわからない。ただ、マナが消費されて霧が薄まる結界の中で、その変化を見た。
グラウが触れた場所から、金が剥がれる。花びらが離れるように、表面から小さな破片となって黄金が舞う。
驚愕に目を見開いているのは、エデルガルトも同じだった。
「な……あ、あ……!」
グラウの首から手が離れる。その身から離れていく黄金を掴もうと手を伸ばす。
「わた、わたくし、わたくしの美しさが……!」
だが破片はその手をすり抜け、霧の向こうへと溶けて消えていく。
「黄金化の無効化……?」
素っ頓狂な自分の声に、パスカルは慌てて首を振る。
「いや違う。反転って、時間の逆転か!」
《え、なに? そっちでなにが起こってんだ⁉》
ディートリヒが戸惑った声を上げる。パスカルが興奮冷めやらぬまま答える。
《グラウの奴、術を反転して黄金化の呪いが発動する前まで時間を戻す気だ!》
《はあ⁉ んなことできんの⁉》
《今まさにやっているところだ! 屍竜山脈の霧を使った荒業だけどな!》
通常、反転の魔法は他人が発動させた魔法の主導権を入れ替えるものだ。言葉にするとシンプルだが、その実とても高度な技である。なにしろ他人が使っている魔法を自分の物にしてしまうのだ。その魔法への理解が浅ければ主導権は得られない。
その点、黄金化の呪いは、言い換えれば黄金に特化した宝石化の呪いだ。物心つく前からグラウの中に備わっていたのだから、その力の強さと恐ろしさを誰よりも理解している。
しかも宝石だろうと黄金だろうと、一度発動したら元には戻らない。
だから、グラウは黄金ではなく、黄金になったエデルガルト自身の時間に目をつけた。鉱物から生物へは戻せなくても、対象の時間は地続きになっている。そこに魔法を通じて干渉できれば、彼女が黄金化する直前まで巻き戻せる。
とはいえ、いくら桁違いの魔力を持っていたとしても、エデルガルトの中に悪魔が取り込まれていたら太刀打ちできない。グラウの魔力のほとんどは、元を辿れば悪魔のものだ。一時的にでもグラウの魔法が上回らなければ、逆にグラウがエデルガルトに取り込まれてしまう。
それを補うために、屍竜山脈を覆う高濃度のマナはうってつけだった。水晶から解き放たれたマナがグラウの魔法に染まる。瞬間的に能力が向上した魔法は、弱体化した悪魔の呪いを上回った。
文字通りの荒業が、エデルガルトから黄金を奪う。金色の花吹雪が彼女から離れ、結界を突き破り、空中でさらに細かい粒子となって消えていった。
金を失ったエデルガルトが、霧の向こうでその素顔を見せる。
くすんだ皺だらけの手。ただ長いだけで艶のないグレーヘア。血走った目。黄ばんだ歯。手よりもさらに深く大きな皺が刻まれた顔。
「……っ!」
マーガレットが口に手を当てる。
絹で織られたドレスは血まみれだった。額のサークレットは髪の毛と骨で編まれたものに変わる。胸元に目玉が埋め込まれ、腰回りを指の関節らしきものが飾った。スカート部分には髪の毛が付着した頭蓋や、ピンク色の脳漿まで見える。一緒に宝石の呪いが解けたことで、グロテスクな衣装に早変わりしてしまった。
唯一、真珠とタイガーアイのネックレスだけは変わっていなかった。形見の品だから当然なのだが、今はそれすらもおぞましい。
「う……っわ」
パスカルも嫌悪を隠さない声色が漏れる。グラウを救助するタイミングを見計らうため、直視せざるを得ないのが恨めしかった。
《これ、しばらく夢に見るかも》
《……親父、なにを見たの?》
《目玉とか臓器とかで飾り付けた年増のドレス姿》
《うげ》
うっかり念話で呟いてしまったのをディートリヒが拾ってしまった。同じく絶句しているが、実際にこの目で見ていないだけまだマシだと思う。
「父さん、霧が……!」
マーガレットが呼びかける。
グラウとエデルガルトを覆い隠していた霧が晴れた。
「マリー、引っ張るぞ!」
「ええ!」
パスカルが掴んでいた手を離し、二人で地を蹴る。
結界を解除し、グラウの両腕を掴んだ。
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