第5話-⑦
「…………。正直、突っ込みたいところは山のようにあるけどさ」
グラウはのろのろとテーブルから起き上がった。
「師匠、勝てると思ってるから、女王を挑発した?」
夜明け前のような、深い藍色の瞳が最年長の竜人を射抜く。齢二百を数える竜人は、にんまりと笑った。
「もちろん。勝てそうになかったら、勝てる準備をしてから仕掛けるもん」
「……わかった」
グラウは深く息を吐き出した。
心臓がうるさい。はやく、はやくと誰かがせがむ。熱くなっているのは血か、魔力か。
「ディートリヒ、マーガレット。俺は行くよ」
「「グラウっ⁉」」
二人の声がひっくり返った。リリィも驚いて顔を上げる。頬を透明な雫が一筋、星のように流れた。
「あいつを殺して、この力も悪魔に還す。そうして、やっと本当に自由に……グラウになれるんだ」
拳をぐっと握りこむ。竜人親子がなにかをこらえるように空気を飲んだ。
「……どういうこと?」
唯一理解できていないリリィが、ぽつりと問う。
「グラウは……この名前は、師匠がくれた。古い言葉で、“自由”って意味」
黄昏色の髪の少年は答える。
ずっと地獄に囚われていた。すべても奪われていた彼は、村に来てようやく名前と自由を与えられた。しかし、その体に刻まれた呪いは昼も夜もなくグラウを苛めた。
殺したくなかった。死にたくなかった。欲しくもない力に振り回され、死の記憶は今も生々しく心臓を締め付ける。
もうすぐ、それが終わる。
「師匠、ディートリヒ、マーガレット」
地獄を終わらせてくれた恩人と、満たしてもなお足りないと愛を注いでくれた兄妹を見た。
「力を貸して。俺が俺でいられるように。ちゃんと生きて帰ってこられるように」
「もちろんだよ、グラウ」
パスカルがふわりと笑う。先ほどまでの表情筋がつった笑顔ではない。祖父が孫に向けるような、優しい笑顔だった。
「「…………」」
ディートリヒとマーガレットは顔を見合わせる。それから、どちらからともなく大きなため息をついた。
「っとにお前は……。水くせえぞ!」
「うわっ」
ずかずかと近付いてきたディートリヒが、グラウの頭を乱暴に撫でまわした。両手でめちゃくちゃにされ、髪がひどく乱れる。
「俺たちがいつ『行かない』なんて言ったよ⁉ 行くに決まってんだろーが、アホ!」
「人のことをアホ呼ばわりすんな! いや、師匠はともかく二人が来てくれるか不安だったし……」
「ここで下りるなんてゴメンよ。悪魔も利用しているんだとしたら、総力戦しかないじゃない」
マーガレットがくすりと笑う。
「任せなさいよ。囮だろうが時間稼ぎだろうが、グラウがちゃんと目的を果たせるよう最善を尽くすわ」
「そーそー」
鳥の巣のようになったグラウの頭に、ディートリヒが顎を乗せた。
「これでやっと“ディー”とか“マリー”とか呼んでくれるもんな」
「ああ……まあ」
諦めてなかったのかよ、とグラウが半眼になる。
「復讐が果たせるまでの願掛けとか言っちゃってさ。ずーっとフルネームだったよな。いったい誰に吹き込まれたんだか」
「あ、それは師匠」
「親父っ!」
「父さんっ!」
「てへっ」
息子と娘に睨まれ、パスカルがウィンクしつつ舌を出す。見た目が二十代で中身が二百歳のぶりっ子はかなりイタかった。
「待って……待って!」
震える声でリリィが叫んだ。
「あたしも一緒に行く」
「「「「なっ」」」」
グラウたちが一斉に彼女を見た。
「危険よ。宝石人間にされちゃうわ」
「わかってる。でも、ここで指をくわえて待っていられない」
マーガレットが諭すように言うが、リリィは首を横に振る。顔色はまだ蒼白。緊張からか恐怖からか、体は小刻みに震えている。それでもリリィは、一人一人の顔をしかと見た。
「あたしも、あのまま国で宝石人間にされていたかもしれない。もしかしたら槌で壊された人の一人だったかもしれない。あたしが、あたしだけが、生き残っちゃったの。宝石人間になりたくないけど、このまま目を逸らしたくない」
父親の安否はわからない。もしかしたら反逆者として殺され、宝石になって輸出されてしまったかもしれない。友達も、その家族も然り。
「この目で確かめたいの。最後にみんなに会わせて!」
「……リリィちゃん」
パスカルが安楽椅子から立ち上がった。真顔でリリィの前に進み出て、膝をつく。
「それは、とても辛い経験になるよ。来なければよかったと後悔するかもしれない。正直言って、僕は君にあの姿の人たちを見せたくない。それでも行くかい?」
「行く」
リリィは即答した。
「絶対に行く」
まだ体は震えている。しかしその瞳は、パスカルの姿をしっかりと映し出していた。
パスカルもまたリリィを見つめ返す。無言で見つめ合う勝負は、パスカルふっと目を伏せて終わった。
「……わかった」
ゆっくりと立ち上がり、彼は子どもたちに向けて言う。
「出発は明日の夜でいいかい? さすがに今からだと、僕も魔力が心配だからね」
それに、とテーブルを指さす。
「せっかくの御馳走を捨てるなんて、僕も嫌だからさ」
まだ片付けられていない料理の数々。すっかり冷めてしまったが、十分に食べられる。
誰からともなく笑い出す。
異論は出なかった。
そして、料理は冷めていると思えないくらいおいしかった。
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