第5話-④

 パスカルは風と光の魔法を得意としている。風を使って音を消し、光で姿をくらませる。この二つを掛け合わせた高度な隠密魔法によって、彼はその正体を知られることなく堂々と情報を集められた。これを利用して馬車を急襲し、グラウを救出した実績もある。

 そして、東西を行き来して長い彼は、過去に王都ヴィモールを訪ねたこともあった。何度か立ち寄ってみて思ったのは、貧富の差がひどい、というものだった。

 たしかにリリィのように、平民でも豊かな暮らしをしている者もいる。だが、病気や怪我で働けない人へのサポートはない。金の切れ目が縁の切れ目とばかりに、家賃が払えなくなったら即日叩き出す光景も日常茶飯事だった。収入のない貧民層は王都の外へ放り出されるか、廃屋やどこかの屋根裏などに潜んで生き延びている。

 手段はどうあれ、宝石を産出するようになっても、その印象は覆らなかった。

(あの宝石たち、ほとんどエデルガルトの懐にあるんだとしたら、やるせないな)

 宝石化の手段と材料を知っているだけに、陰鬱な気分になる。

 しかも、グラウが失踪した後は政の立て直しもせず、悪魔に頼って呪いを発動させる始末。リリィのSOSがなかったら正直近付きたくない状況だった。

 とはいえ、期限はまだ数週間ある。周辺国で情報を集めるだけの時間は十分にあった。

 情報収集に一週間。それらを元に王都ヴィモールの上空へと彼は飛んだ。

「うっわー。なにこれ」

 風魔法で声が漏れないのをいいことに、大きめの独り言が出る。

 そこは、すべてが宝石でできていた。

 城門はダイヤモンド。城壁はラピスラズリ。石畳は水晶。街路樹は幹がメテオライトで葉はエメラルド。他にも数え切れないほどの色と種類の宝石で、国が埋め尽くされていた。

「屋根と家屋だけで何通りあるんだよ……。ルビーにサファイア、アメジスト、トパーズにジルコン、オパール? これだけで宝石の見本市じゃん」

 そして当然のことながら、あらゆる生き物が宝石になっていた。人間はもちろん、犬や猫、鳥に虫まで、すべてだ。

 人間はそれぞれ微妙に違うカッティングと色で、かろうじて個人を識別できる。だが統一された服装の兵士は、全身がフローライトで覆われていた。兜の着用も相まってただの人形に見えてしまう。定期的に彼らが巡回や交代で動くから、まだ辛うじて生き物だと思えるくらいだ。

(宝石にされてなお、“生きてる”って言っていいのかは疑問だけど)

 姿かたちが変わっても、彼らは人の営みを送っている。子どもたちは遊び回り、大人たちは世間話に興じたり自らの仕事に従事する。それが人間の形をした宝石であること、若い男女がほとんどいないことを除けば、どこにでもある風景だ。だからこそ、それがあまりにも滑稽で、吐き気を催すほどむごかった。

「これは周囲も迂闊に刺激できないな」

 西側を旅する上で、パスカルには独自の情報源がある。それはとある王室であったり、裏道にひっそりと建つ怪しげな店であったり、流浪の情報屋であったり……。彼らと時に酒を酌み交わし、対価を払い、あるいは駆け引きをして、欲しい情報を得る。

 その過程でわかったのは、ヴィモールで起こった暴動と宝石化、そして女王の乱心だった。

「わたくしは黄金。黄金はわたくし。この世の美しさはすべてわたくしのもの。それを脅かすなら容赦しない」

 ある王室に届いた宝石の手紙には、そんな文面が何枚にもわたって綴られていた。時に見とれるほどの筆致で、時に判別不可能なほどめちゃくちゃに表面を削られて。

 ある裏通りに住む情報屋の魔法使いは、派遣していた式神が暴動の一部始終を捉えていた。

 武器や松明を手にした集団が城へ乗り込む。しかし王城の一室が金に輝いたかと思うと、城、壁、地面、樹木、そして人や動物が瞬く間に宝石になった。式神も宝石となり、そこで交信が途絶えたという。

 彼らが口をそろえて言うことはただ一つ。

あの国ネヒターは終わりだ。そして、滅ぼさなければ我々も終わる」

 別に頼まれたわけではない。だが、望みを託せるのが自分パスカルしかいないのも、彼はわかっていた。

「さて……。例の女王様はどこだ?」

 周囲の人間や建造物は宝石に。そして自分は黄金に。自分だけが光り輝く黄金になると明言するなんて、よほどの自信か傲慢さがなければ実行できない。

 パスカルは魔力とマナを結び付けた。風が彼の周りに集まり、綿毛のように彼を城へ飛ばす。

 城全体も、眩しいほどのダイヤモンドで埋め尽くされていた。廊下を兵や召使たちが行き交う。メイドの一人が持ち歩くモップは毛先までターコイズで固まっている。アクアマリンのバケツには水が張られ、ジャスパーの雑巾が二つ折りの形で沈んでいた。

 宝石にされたせいでその表情は読み取りにくいが、彼女らが沈んでいるのは雰囲気でも読み取れた。

 その時、バケツを持っていたメイドが床の目地につまずいた。

「あっ」

 と気付いた時には遅かった。バケツの中の水はぶちまけられ、雑巾が転がり出る。宝石同士がぶつかる澄んだ音が響いた。

「も、申し訳ございません」

 誰に言うわけでもなくメイドが謝る。すぐに片付けようとするが、布製品がないこの環境で水は片付けられない。

 周りが遠巻きにする中、兵士が二人、メイドに近付いた。気付いたメイドが、自分の手で水を隅に押しやる。床と手がこすれた場所から、小さくキイキイと音が鳴った。

「……来い」

 兵士の一人が、メイドの腕を掴みあげた。もう一人の兵士も同じようにし、メイドは両腕を抱えられるようにして立たされる。

 引きずられるようにしてどこかに連れていかれるメイドが、首を激しく振って抵抗した。

「や、いや……! 待って! 死にたくない! 許して! 助けて、誰か!!」

 悲鳴にも似た命乞いに、他の兵士や召使たちは目を逸らし、足早に去る。

 パスカルは連行されるメイドをそっと尾行した。その先に、もしかしたら女王がいるかもしれなかった。

 だがメイドが連れてこられたのは、ブラックオニキスの小さな塔。城の裏手にあるそこの周りにはなにもない。見張りらしき兵がドアを開けると、中はひどく殺風景だった。高い場所にトルマリンの格子のついた窓があるが、日の光は満足に届かない。かつては木箱だったらしいトパーズの箱が乱雑に置かれ、壁には金色に輝く大きな槌が一つ、立てかけられていた。

 初めて見る光景だが、内装は聞き覚えがある。

 グラウが監禁されていた場所と酷似していた。箱や槌は後から用意されたのだろう。

 パスカルは窓の近くまで上昇する。眼下で、部屋の中央に連れてこられたメイドが兵の一人に組み伏せられる。床の目地に埋まった砂が、じゃり、と音を立てた。

「嫌だ……嫌だ……」

 ぶつぶつと呟く声は、高い天井に吸い込まれるようにして消える。

 手が空いた一人が、重そうな金の槌を手に近付いた。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 槌が振り上げられる。元の肌なら、引きつった顔や縋る目もよく見えただろう。しかし宝石の顔では、光の屈折も邪魔してすぐに判断できない。

 涙が一滴もこぼれないのは、かえって処理しやすかったかもしれない。

 現実逃避するパスカルの目の前で、槌が振り下ろされた。

 ぐわしゃん、と砂を握りつぶすような音がする。

 頭を破壊されたメイドは、それきり動かなくなった。彼女を押さえつけていた兵士が離れ、さらに胴体や足も粉々にしていく。物言わぬ宝石になったそれらを、兵士たちは二人がかりでトパーズの箱に入れていった。集めきれないほど細かくなった宝石は、適当に床に均される。砂状の宝石の中に、また一種類追加された。

 パスカルは消音の魔法の範囲を、塔内部に広げた。

「ずいぶんと手慣れているんだね」

 塔の中を声が反響する。箱を持って出ようとした兵士たちが、飛び上がって周囲を見回した。

「そうして何人、人を殺してきた?」

「な、な、なんだ? なんなんだ?」

「敵襲!! 敵襲だ!!」

 姿を見せないまま、パスカルは問う。兵士の片方はうろたえ、もう片方は声を張り上げた。

「無駄だよ。この塔の内側の声は、絶対に外に届かない」

 パスカルの風魔法は強力だ。壁にぴったりと張り付くように広がったそれは二重構造。間に真空を挟んで音を吸収する。パスカルの声はもちろん、兵士たちの声も外には届かなかった。

「さあ答えろ。この数日で何人殺した? ……答えられないなら、外に出て応援を呼ぶか?」

 わざと煽るようにゆっくりと喋る。声が反響する。位置を特定できない。トパーズの箱を抱えた二人の兵士は、パスカルが提示した後者の選択肢を取った。

 重い宝石が入った、さらに重い宝石の箱を持ってよたよたとドアへ向かう。ドアノブのないそれを叩けば、すんなりと開いた。

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