第3話-①

 グラウが精霊の森から発した救難信号は、村のどこからでも見えた。

「チャーリー!」

「マリー!」

 屋敷から走ってきたマーガレットが、牧場から降りてきたチャーリー一家とかち合う。

「グラウとリリィちゃんは⁉」

「いない! グラウは放牧場にいるはずだったんだ! リリィちゃんはちょっと前に屋敷に帰っていったはず!」

「そんな、見ていないわ!」

 信号の数は二つ。それはそのまま、グラウを含めた救助人数を指していた。

「ディーは?」

「森に行った!」

 チャーリーに答えながら、同時進行でディートリヒに念話で伝える。

《兄さん、ビンゴ! グラウとリリィちゃんよ!》

 竜人の間でだけ使えるこの魔法は、相手がどれだけ離れていても思念で会話ができた。

《わかった!》

 ディートリヒも簡潔に答える。人数がわかれば、あとは二人を見つけて脱出するだけだ。

「ま、ま、マリー姉ちゃん……」

 バラットと手を繋いでいたケインが、ぼろぼろと涙をこぼす。

「どうしよう……お、俺のせいで……!」

「……なにがあったの?」

 マーガレットはケインの目線に合わせ、努めて優しく問う。どちらかと言えば悪ガキに分類されるケインがここまで泣くなんて、よっぽどのことだ。

「俺……リリィお姉ちゃんに、ひどいこと、言っちゃって……! グラウ兄ちゃんと、あとで、あやま、りに……!」

 そこから先は声にならなかった。しゃくりあげる息子の背中を撫でながら、チャーリーが後を引き継ぐ。

「リリィちゃん、グラウのことをよく思っていなかったらしくてな。詳しくは聞いてないんだが、ケインの言葉が引き金になっちまったらしい」

「グラウ兄ちゃんのこと、化け物って言ってた」

 バラットも補足する。

「……そう」

 おおよその状況が掴めたマーガレットは、泣きじゃくるケインを優しく抱きしめる。

「大丈夫よ。ディー兄ちゃんが今助けに行ったから。みんな無事に帰ってくるわ」

「……うん」

《というわけだから兄さん、遠慮なくやっちゃって》

《任せろ!》

 直後、森の方から爆発音に似た地響きが轟いた。昼食の準備をしていた村人たちが何事かと家を飛び出し、羽を休めていた鳥たちが一斉に飛び立つ。

「森を破壊しろとは言ってない!」

 思わず念話ではなく口でツッコミが出た。

 ただし、妖精たちの悪戯にほとほと困っていたのも事実。

 だがよくやった、と心の中でサムズアップを送っておいた。


◆    ◆    ◆


 霧のかかった森の中を、グラウはひた走った。

 ただでさえ鬱蒼と茂っていて見通しが悪い精霊の森を、三メートル先も見えないほどの霧が覆う。

「リリィー! リリィどこだ、返事しろー!」

 叫びながら、突如隆起した木の根を飛び越える。

「アアッ、惜シイ!」

「ガンバレー」

 姿を隠した妖精が悔しがり、囃し立てる。

 精霊の森は、妖精たちが生み出す霧によってめちゃくちゃな迷路になっていた。まだかすかに明るかった森が、一歩踏み込めば日の光も届かないほど暗くなる。かと思えば川のせせらぎが聞こえ、次の瞬間には呼吸もためらうほど静謐な場所に出た。

 数歩進んだだけで景色が目まぐるしく切り替わる。空間がでたらめに組み替えられていた。たとえるならスライドパズルだろうか。森の中を一定の範囲で分割し、次々に区画パズルを動かして迷わせる。グラウが走り回る中、妖精たちがそれを見て笑いながらパズルをスライドさせているのだ。法則もなにもあったものではない。

 それと並行してツルや木の枝を利用して襲い掛かってくるから、走り続けなければあっという間に捕まって彼らの餌食だった。

「リリィー! くそっ」

 なかなか返事が返ってこず、思わず舌打ちする。

 捕まっているだろうリリィに対して、妖精がなんの手出しもしないとは考えられない。

 これはグラウの被害妄想ではなく、妖精の性格上そういうものだからだ。

 かつてパスカルは、彼らの行動を「悪意なき邪悪」と評した。子どもがアリの巣穴に水を流し込んで溺れさせたり、弱った虫の手足をもいで遊ぶのと同じことだと。

 納得したくないが、妖精の行動原理を人間に当てはめるのにこれ以上の例はない。悪戯という名の殺人に特化した彼らが、新しい村人おもちゃを前にして我慢しているとは到底思えなかった。

(これで口を塞がれていたらまずいぞ)

 グラウの声は届いているのに、リリィは声が出せない。そうだとしたら、このパズルのような森をいくら走り回っていてもすれ違うばかりだ。

 その上、先ほど喧嘩別れしたばかり。声が届いていても無視される可能性も捨てきれない。

(確実に合流するには……)

 グラウは魔力を練り上げた。

「広がれ、届け! 山の向こう、谷の先!」

 短く詠唱し、腹に力を籠める。

「リリィ! どこだ! 返事をしろー!」

「キャッ!」

「ワッ!」

 近くで観賞していた妖精たちが耳を塞ぐ。

 声を拡散させる風魔法。その範囲内にいれば、グラウの声はどこまでも広がるし、相手の声も届く。

「ナニ?」

「大キナ声ー」

「ビックリシター」

「えっ、えっ、なに今の?」

「ドコダー、返事シロー」

「あっちか!」

 妖精の声に混ざって、リリィの声が届いた。その方向へ駆け出しながら、さらに魔法を紡ぐ。

「我は民、我は騎士、我は道、我は国、我は王! 我がゆく道を阻む者なし!」

「アッ、ズルイ!」

 詠唱に気付いた妖精がキーキーと喚く。

 霧が晴れる。森に光が差し込む。めちゃくちゃなパズルがあるべき姿に戻る。

「リリィ!!」

「うぇっ⁉」

 木の根元に座り込んでいたリリィを見つけ、グラウは叫ぶ。飛び上がったリリィが驚いたように彼を見た。

「え、え、なんで? どうして?」

「その前に結界張るぞ! 墓守の城、太陽と月の守護者、棺よ鍵をかけろ!」

 地面に両手をついて詠唱する。せり上がった透明な膜が、完全に二人を包み込んだ。

「ヒドーイ!」

「ズルーイ!」

 外で妖精たちが騒いでいるが無視する。というか反応できない。走りながら詠唱したのだ。酸素を求める口がカラカラに乾いている。心臓も飛び出そうとするくらいうるさかった。

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