第2話-②
その姿を見送り、父親がこっそりと礼を言う。
「助かったよ、マリー」
「いいのよ。ただ、今回はネヒター絡みだから、もうちょっと早く帰ってくるかも」
「え……そうか」
父親がグラウの方を見る。その視線の先では、グラウがバラットとケインに両手を掴まれていた。じっと見つめる彼の肩をマーガレットが叩く。
「いつも通りに接してあげて。その方が変にプレッシャーがかからないから」
「ああ、わかった」
頷いた二人の耳に、兄弟の声が聞こえた。
「ねえねえ、グラウ兄ちゃん! はやく遊ぼう!」
「違うよ、ケイン。グラウ兄ちゃんはうちの手伝いに行くんだ!」
「バラットの言う通りだぞ、ケイン」
北へ引っ張っていこうとするバラットとケインにディートリヒが答えた。
「ついでに、父ちゃんや兄ちゃんたちのお手伝いをしていたら、いっぱい遊べるかもな」
「ほんと!?」
ケインがパッと顔を輝かせ、はやくはやくとグラウたちを急かす。
「はいはい、わかったって。じゃ、行ってくる」
「おう。午後になったら東の原っぱな」
ディートリヒと午後の約束を確認し、グラウはバラットたちに連れられて歩き出した。
「グラウ、ちょっと待って!」
その背中をマーガレットが呼び止める。
「ねえ、リリィちゃんも一緒に行っていい?」
「え?」
振り返ったグラウは驚いて少女――リリィを見る。マーガレットの後ろにいる彼女は、心配しているような、怒っているような顔で彼を見ていた。
「この間来た人?」
それを知らないバラットがマーガレットに訊ねる。数日前に、リリィは新しい村人として紹介されたばかりだ。
「ええ、そうよ。みんなのことを知りたいんですって」
マーガレットが頷く。主語をわざと大きくしたのは、子どもたちにグラウとの因縁を悟らせないためだろう。
「へー。俺、バラット! こっちは弟のケイン! それとグラウ兄ちゃん!」
「さらっと俺を混ぜるな」
そうとは知らないバラットが自己紹介した。グラウが仕返しに髪を乱暴に撫でてやると、バラットがひゃあと笑った。ケインがそれを見てずるいずるいとねだる。
「で、大丈夫かしら?」
マーガレットが気遣わしげに訊ねた。グラウが嫌なら無理強いはしない、と言外に言われる。だが、それを理由に断ればこの小さな兄弟が文句を言うだろう。
グラウは頷いた。
「チャーリーさんがいいって言うなら」
ただし、逃げ道はちゃんと用意しておく。勝手に人数が増えても問題はないだろうが、一言許可をもらっておくだけでトラブルの芽は摘める。
「オッケー。チャーリー、ちょっといい?」
「ん?」
他の村人と話し込んでいたチャーリーを呼び、リリィ参加の許可を取り付ける。
二つ返事で許しが出たので、バラットたちが歓声を上げて彼女の手を取った。
「こっち! 俺んちの牧場って広いんだぜ?」
「そりゃあ、村唯一の牧場だからな」
グラウが苦笑交じりに言うが、聞いていない。南に畑が広がっているように、北はそこがまるっと牧場になってるのだ。
「うちーのぎゅーにゅーはせっかいーいちー♪」
「うちーのぎゅーにゅーはせっかいーいちー♪」
バラットとケインが交互に歌いながら、グラウとリリィを牧場に連れて行く。
「……ねえ」
その背を見つめながら、リリィはぽつりと言った。
「本当に、女王様を殺すの?」
「しつこいぞ」
温度のない声が出た。
「まだ諦めていなかったのか?」
「そりゃそうよ。バレたら死刑だよ? この村も滅ぼされるのかもしれないのに」
するとグラウは、ジトッと半眼になってリリィを見た。
「……お前、この村がどこにあるのかちゃんとわかってんのか?」
「え?」
「ここ、屍竜山脈を挟んだ東側だぞ」
リリィが頭の中で地図を描く。大陸を二分するように横たわる屍竜山脈。その西側が、人間が住む場所。東側は精霊の住処。そう教わってきた。
「嘘でしょ?」
「本当。じゃなかったらこんな平穏な暮らし、できてねえ」
屍竜山脈を登れば窒息死。海から回り込もうにも、急な崖や岩礁が着岸を阻み、荒れ狂う波で船はひっくり返る。そもそも村の存在自体、西側に知られていない。天然の要塞に守られたこの村は、まさに楽園と呼ぶに相応しい場所だった。
「ポータルを利用して乗り込もうとしてきた奴は、ディートリヒたちが速攻で叩き出すし」
「ポータルってなによ」
「向こうに師匠が山ほど置いてきた、転送用の魔法。ボロボロの教会の形をしてただろ?」
「あれがそうだったの⁉」
ひっくり返ったリリィの声に、「今気付いたのかよ」とグラウが肩を落とす。
「あれ、本気で亡命を希望する奴にしか見えないように細工がしてあるんだと。だから亡命を阻止しようとしても、そもそも見つからない」
「……まあ、あたしもマーガレットに会うまでおとぎ話だとは思っていたし」
「師匠が設置ついでに話もばらまいてきたみたいだからな。口伝えの話ってなかなか根絶が難しいらしい」
本なら焚書にしてしまえばいい。しかし人間の脳に刻まれた言葉は、それこそ呪いを使わない限り奪えない。
「だから、女王を殺してすぐにこっちに戻れば、俺は完全に自由になれる」
嬉しそうにグラウは語る。たしかに、パスカルたちの手引きで捕まる前に屍竜山脈を越えられれば、彼は二度と西側の法で裁けなくなる。
「だからって、女王様を殺すなんてどう考えてもおかしいじゃない」
リリィは唇を尖らせた。この一週間、リリィは何度もグラウたちに女王暗殺の撤回を訴え続けていた。しかし彼らが首を縦に振ることはなく、逆にリリィの方が説得されかける始末。議論は平行線のまま、最大の協力者であるパスカルは旅に出てしまった。
「なら、その女王様のために宝石になれって言われて、お前は素直に頷いたのか?」
「それは……」
言葉に詰まる。それくらい女王を盲信していたら、今頃ここにはいない。
「俺は自由になりたいんだよ。そのためなら殺人だってためらわない」
「……今すでに自由なんじゃないの?」
「宝石の呪いを持っている以上、女王は俺を諦めない。この三年がその証拠だろ? 被害が拡大する前に、悪魔も女王も両方片付ける」
「もう被害出てるじゃない。しかも、そのための準備を村長さんに丸投げするのはどうかと思うけど?」
「適材適所だ。俺自身に屍竜山脈を越える技術がないんだし、そもそも追われている身の俺がほいほい現れたら大騒ぎだ」
ああ言えばこう言う。こんな感じで一週間、リリィの努力は徒労に終わっていた。
彼の言い分もわかる。人間を宝石にし続けるなんて正気を疑う所業の中心にいさせられていたのだ。リリィだったらたぶん発狂している。だが、彼がいなくなったことで自分たちの日常を壊されたのも事実なのだ。彼の帰還ですべてが元通りになる。そう思って捕まえようとしているのに、相手は蜃気楼のようにのらりくらりと消えてしまう。
「……じゃあ、もし復讐が、女王様の暗殺が成功したら、どうするの?」
リリィは話題を変える。復讐をやめさせようにも、その意志はあまりに硬い。しかも彼には竜人という強い後ろ盾がある。だったら、せめてその先の未来を知りたかった。
「どうもしないさ」
グラウはあっけらかんと答えた。
「女王を殺して、この呪いの力も還したら、村に戻って、またみんなの手伝いをしながら村でゆっくり過ごす。自分だけの畑を持つのもいいし、今みたいにいろんな仕事を手伝うのもいいし。そういう人生を、死ぬまで送りたい」
そう語る彼の横顔は、とても穏やかだった。一国の長の殺害を企てているとは思えない表情に、リリィの方が呆気にとられる。
「……それだけ?」
「それだけだ。なんだ? 他になにかあると思ったのか?」
「だって、あんたの持ってる呪いで宝石が作れるんでしょ? 無限に財産を築けるじゃない」
「こんな力いらねえっつーの。それに宝石が食えるか? それなら土いじりしている方がいい」
「えええ……。一生働かずに済むじゃん」
「俺は人間らしい生き方をしたいだけだ。ほら、そろそろ牧場に着くぞ」
会話を切り上げたグラウが指さす先には、いくつもの建物が点在していた。木製のそれは窓の代わりに板を部分的に外して換気している。人が暮らすようにできていないのは明らかだった。
同時に、ぷうんと嫌な臭いが鼻につく。
「……ねえ」
手で鼻を覆って、リリィは問う。
「なんか、臭うんだけど」
「そりゃあ、牧場だからな」
グラウが不思議そうに答える。少し考えて、ああ、と一人頷く。
「動物も生き物だからな。ウンコとかするぞ」
リリィが青ざめた。
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