10話-②:分かり合う光

 ──中国、寧波海軍基地付近、エイダたちの監視地点──


 永遠にも思えるような待機時間の中でエイダとm分隊はただじっと待ち耐え続けた。実際には十分も経っていなかったが、何とも言えない空気の中、手持無沙汰であることは、時間の感覚を歪ませているかのようだ。少し眠気を感じ、目をこすると、ようやく、コールマン大佐から通信が入る。


 〈こちらウォッチタワー。 任務遂行を許可する。 目標はひな鳥の救出。 象山県の東端、松蘭山海浜リゾート付近に回収地点を設定し、第五空母打撃群を派遣する。 気をつけろ〉


 エイダは少し微笑んで、「了解」と返し通信を切った。視線をホークスに向けると、「キャプテン、許可が出た」と告げる。


 ホークスは嬉しそうに頷き、分隊全員に声を張り上げる。「よーしお前ら、これから俺たちはヒーローになるぞ! 怖いおじさんたちに見つからないように潜入し、可愛いひな鳥を救い出す!」


 カーターが軽く笑いながら、「鶏肉より豚肉のほうが好きなんですがね」


 ホークス大尉は肩をすくめ、「食べるわけじゃないからな。 ここでキンタマ凍らせるよりはマシだろう」と返し、エイダもそのやりとりに少しだけ微笑む。勇ましい精鋭たちだ。


 ホークス大尉は満足げに頷き、「おしゃべりはここまでだ! ロドリゲス、カーター、車両の確保と陽動用の爆薬の設置。 李国家主席は負傷し、長距離の移動に耐えられないだろう。 俺とドク、少佐で突入する。 全員、行動に移れ!」


「了解!」


 合図とともにエイダたちはそれぞれ指定された役割を果たすべく、静かに行動を開始した。ロドリゲスとカーターが後方で退路の確保に動く一方、ホークスを筆頭にエイダとドクが目標の建物へと向かって慎重に進んでいく。


 辺りはすでに明るくなり始めており、人目につかない行動が難しい。その上、東海艦隊の演習のため普段より人員が増強されている。ホークスが、「迷彩魔法、起動!」と静かに告げると、全員の姿が周囲の風景に溶け込むように同化していく。時間が勝負だ。魔法探知を避けるより、目視による即自的な発見を避ける方が優先される。


 魔法使いは絶対数が少ないため、海軍においては基本的に艦隊に配属される。それは人民解放軍でも同様だろう。大多数の地上勤務の非魔法使いをかい潜るには十分だ。


 エイダ、ホークス、ドクは互いにカバーし合いながら、李が捕らえられている建物へと着実に接近していく。音も立てず、迷彩魔法の効果でその姿は完全に隠されている。建物にたどり着くと、簡素なグラウンドエリアに面したエレベーターと、ドアが一つ見えた。下り階段のマークがある。地下に続いているのだろう。ドアの前には兵士が二人立って警戒している。


 ホークスとエイダが数メートルの距離まで接近すると、一斉にナイフを抜き飛びかかる。エイダは兵士の脇腹にナイフを突き刺し、力を込めてひねる。ナイフに込められた微細な魔粒子が敵兵士の体内で小さく爆ぜ、穴の空いた肺に血が流れ込み、兵士は声も出せずその場で絶命する。


 続いてドクが素早く近寄ってきて、取っ手がついた円盤状のようなものを床に設置する。そして胸の魔導機で、マナチャンネルを活性化させながら取っ手をひねる。この魔粒子の込められた円盤状の遮断魔法によって、大気中の魔粒子が一階ホールと地下の音が外部に漏れるのを防いでくれる。


 さらにドクは五〇㎝四方の正方形状の板をドアに貼り付け、少し後ろに下がった。起爆と同時にドアが吹き飛び、音は遮音魔法によってかすかな低音に吸収される。その先に続く地下への暗い階段が何かの口のように思え、低音はくぐもった咆哮のようだ。


 すぐさま迷彩魔法を解除し、小銃を構えたドクが突入していく。エイダとホークスも続き、無力化した敵兵を踊り場へ引きずり込んでいくここまで一分もかかっていない。


 ドクが手で合図を出し、五分間の音遮断時間が残っていることを知らせた。ホークスが床に手を当て、地下に探知魔法を展開し、瞬時に地下の様子をレーダーのように感じ取る。


「地下にはいくつかの部屋があり、最奥の部屋を除いて無人だ。 最奥の部屋の前に二人、さらに部屋の中にも二人が確認できる。 その部屋に救出対象がいるはずだ」


 ホークスは視線を全員に配り、広げた手を前に倒し突入の合図を出す。エイダたちは階段を素早く駆け下り、三〇メートル先に立っている二人の兵士を視認した。ドクとホークスが発砲し、二人の兵士は倒れる。


 廊下を突き進み、目標とする部屋の前にたどり着いた。ホークスは脚部に力を込めて強化魔法を発動し、全力でドアを蹴り飛ばした。ドアが吹き飛び、開かれた部屋の内部が露わになる。


 中には血の気の引いた顔で座り込む李国家主席と、顔を青ざめさせて震える秘書官がいた。李は負傷しており、痛みに顔を歪めながらこちらを見てくる。秘書官は恐怖に震えながらも、必死で気丈に見せようと何かを言っている。広東語なので咄嗟には何を言っているかわからない。


 ホークスは低く、冷静な声で応じる。「困ったな……慌てるな、落ち着け。 我々はお前たちのケツを拭きに来たヤンキーだ」


 李国家主席は傷の痛みに呻きながらも、かすかにニヒルな冷笑を浮かべつつ、「アメリカ人か……」


 どのような感情なのだろうか。助けが来たことに対する単純な嬉しさなのか、アメリカ人の助けを得なければならない自身の運命を呪ったものなのか、その笑みからは読み取りづらい。


「あなたを救うことで、戦争を回避できる」彼らは当然のことながら英語を理解しているのだろう。ホークスは短く告げ、ドクに手を振って指示を出した。「ドク、治療だ」


 しかし李国家主席はそれを拒否し、怒りを込めて叫ぶ。「触るな! お前らが何者で、何を企んでいるのか、正体が本当かすら怪しい! 私は中華人民共和国の代表だ。 仮に本当だとしても、アメリカの手先になるつもりはない!」


 まっとうな反応だ。今この場で、李国家主席からしてみたら、どの所属を告げられたところで、少なくとも自身の腹心以外は信用に値しないだろう。ましてや仇敵のアメリカ人だ。仮に救出が本当だとしても、ここでアメリカ人に救われてしまうと国際政治上のキャスティングボードをアメリカに握られてしまうことになる。しかし、今は時間がない。


 ホークスは困ったような顔をしながらエイダを見やり、ぼやくように、「話になりませんな……。 この状況で協力を拒むとは、時間がないというのに」


 エイダは、ある決意を胸に、静かにその決意を口にする。「パッケージを使用する。 双方向マナチャンネル同期を通して、こちらの真意を彼に伝える」


 パッケージとはマナシンクロナイザーを指す隠喩だ。感情調整魔法により思考が合理化された将校の独断専行による即断即決である。ホークスは驚き、厳しい声で、「少佐、双方向マナチャンネル同期はリスクが大きすぎます! こんなパッケージの使い方は許されていないはずだし、少佐の安全も保証できない」


 双方向マナチャンネル同期は、魔法使い同士でさえ意識の混濁や記憶の流出を引き起こす危険な行為だ。訓練官立ち合いの元、エイダがウィンチェスター(魔法士官学校)で実践した際にも、一瞬であったにも関わらず、一時的に混乱状態に陥った経験がある。もちろん感情調整魔法起動下での話だ。マナチャンネルの相性が重要だという説もある。それに李国家主席はそもそも魔法使いではないため、そういう意味でもリスクは計り知れない。しかし時間がないことを考えれば、エイダにはこれしか手段がなかった。


 李国家主席の協力姿勢抜きにして、この場を切り抜けるのは非現実的だ。つまりは、自身に起きうること、独断専行による責めといったリスクと戦争を回避できる可能性を天秤にかけた結果、戦争を回避できる可能性に賭けた。それこそがエイダにとって、極めて合理的な思考による判断だ。

 ドクが手を振ってエイダに賛成の意を示す。


「やりましょう! これで戦争を防げるのでしょう?」任務の枠組みの中ではあるが、人命を尊重する。これがドクの合理的な思考なのだろう。


 エイダは頷き、ホークスに冷静な声で、「責任はすべて私が取る。 君たちには関係のないことだ」


 あくまでエイダの責任であり、ホークス大尉、引いてはm分隊に咎はないことを強調し、ホークスの合理性を後押しする。


 ホークスはエイダを見つめ、考え込むように口元を引き締めたが、最終的に諦めたように、「なんつー胆っ玉だ……。 この状況で無責任ではいられないでしょう。 しかし、判断は少佐のものでお願いしますよ」


 ホークスは無責任ではない。責任を負うべき範囲でしっかり責任を負おうとしているだけだ。ホークス大尉が責任を負うということは、将来的にm分隊のみならず特殊魔法作戦群の全体にまで責任が及ぶ可能性がある。


 つまるところ、合理的な思考とは一に一を足したら二になる、という話ではなく、それぞれの知識や認識の上で下される正当な判断のことだ。マジョリティが同じような判断を下すかどうかという捉え方もできるが、それが客観的という言い方がなされるのであれば、あくまで客観すらも主観の上に成り立っている。同じような教育を受けていても、それぞれが別の経験をしてきた別の人間である上、立場も違えば少しずつでも合理が違ってくるのは当然のことだ。


 エイダは彼女の合理的な思考でそれを納得している。彼女の後を継いだホークスは、果たすべき責務を果たそうとしている。そもそもマナシンクロナイザーの扱いはエイダの責任だ。言うまでもない。


 エイダは無言でマナシンクロナイザーの入った注射器を、心なしか薄暗く銀光りしているケースから取り出し、ドクに指示を出す。「ドク、治療しながら記録を取ってくれ」


 秘書官は驚いて、「何をするつもりですか!」と叫ぶが、ホークスが無言で秘書官を押さえ込み、エイダの決意を支援する。


 エイダは自身の真意を感じ取ってもらうため、感情調整魔法を解除した。作戦行動中の許可のない解除は明確な違反だ。魔法により適応されていた何かの濁流が胸のあたりに押し寄せる。戦場にいる現実、死と隣り合わせの恐怖、先ほど敵兵を刺殺した感触、鈴木局長に託された思い、戦争を止めなければならない使命感、様々なものが胸を突き刺す。心拍が高まり、生きていることの実感が鮮烈に浮かび上がった。胃液がこみ上げ、目の奥がジーンとする。湧き上がるのは強烈な生存本能だった。


 生きたいと思った。生きようと。そして皆がおぼろげながらも、この感覚を持っている。自分の感覚や思いを誰かと共有したい思いが強烈になる。今まで体験したことがない生きている感覚。凄まじい達成感に似たような感覚。


 口元を手で押さえながら、やっぱり思いって頭じゃなくて胸で感じるものなのだなと場違いなことを考えながら、エイダは静かに李に歩み寄り、マナシンクロナイザーを彼の首筋にあてて注射した。そして自らの胸の魔導器に手を当て、マナチャンネルに感覚を寄せ、李のマナチャンネルを感じ取る。目を閉じ、彼との意識の融合を試みた。

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